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アジア紀行~(続)ベトナム・ホーチミン再び②~

バスに乗る

今日は10年ぶりにチョロン(Chợ Lớn)地区に行く。チョロンは、ホーチミン・シティにあるベトナム最大の中華街である。ここには数十万人の中国人が暮らしている。
「チョロン」とはベトナム語で「大市場」(Cho=市場+Lon=大きな)を意味し、実際、ビンタイ市場という巨大な市場がある。

ホテルを出て、ベンタイン市場前のバスターミナルまで歩く。このターミナルから、チョロン・バスターミナルまで乗り換えなしで行けるはずだ。
どのバスに乗ればいいのかさっぱりわからないので、通りがかりの人に尋ねると、「No.1のバスに乗ればいい」と教えてくれた。
〈1番〉と表示のある青い色のバスを見つけて乗り込む。ワンマンカーで運転手席のある前から乗るが、料金がわからない。ほとんどの人は、どこかで切符を買っているようだ。とりあえず5,000ドンを料金箱に入れてみる。お釣りはないが、これで足りているようだ。
いちばん後ろの窓際の空いた席に座る。たぶん終点まで行けばいいはずだ。

やがてバスが出発する。タクシーとは異なる高い位置から町の風景を眺めるのは楽しい。30分ほど行ったところで、市場のような建物があり、4~5人の客がバスから降りた。
「あれっ? 終点じゃなかったのかな?」
よくわからないまま、続いて降りる。しかし、市場だと思った大きな建物は、チョロン郵便局だった。目の前を、今乗ってきた1番の青いバスが通り過ぎて行く。

たぶん、そう遠くはないと思って歩き出すが、ビンタイ市場までの距離も方角もわからない。道に迷いそうなので、もう一度さっき降りたバス停まで戻り、次の1番のバスを待つことにする。それがいちばん確実だ。

しばらく待つと、次のバスがやって来た。手を振らないと、バス停に止まらず通り過ぎるようだが、ほかにも乗る人がいた。料金がわからないままなので、今回は1万ドンを払ってお釣りを待つ。すると、2,000ドンの硬貨が3枚戻って来た。ということは、料金は4,000ドンか。
チョロン・バスターミナルまでは遠くはなかったが、バイクがひしめく狭い道路を、大きなバスがクラクションを鳴らし続けて前進する。恐ろしい交通地獄が至る所にある。

終点で乗客全員が降りる。終点まで行けばいいとわかっていながら、さっきはなんで降りてしまったのだろう。10年前はバイクタクシーに乗ってやって来たので、途中の道はまったく覚えていないが、ビンタイ市場の記憶は残っていた。バスの窓から見えたチョロン郵便局の建物を、市場だと勘違いしてしまったのだ。

ビンタイ市場は、チョロン・バスターミナルの南側にあるそうだが、この広いターミナルのどちら側になるのか? 近くのガソリンスタンドで道を尋ねると親切に教えてくれた。

ビンタイ市場

ビンタイ市場はすぐ近くだった。中庭を囲む2階建ての古い建物には、無数の問屋が集結している。ホーチミンシティ中心部にあるベンタイン市場が観光客用なのに対して、こちらは卸専門である。電気製品などはないが、日常品から食料品まで、大量に買い付けする人が集まってくる。

駐車場に止められるのはバイクのみ。過積載なんていう観念は彼らにはない。家族4人が乗っているバイクもあるのだから。
市場の中は、いろんな品物がぎっしりと並ぶ。

市場の外の路上にも、「ノン」(ベトナム帽)をかぶった女性が、てんびんや自転車で野菜や果物などを売っている姿が目に付く。

パラソルの下で商売をしている人は、香辛料を売っているのだろうか。

市場の前の交差点で、三輪自転車で若い竹のような植物を運んでいる人がいた。なんだろう?

チョロン地区を歩く

ビンタイ市場を出て、さてどちらに向かおうかと悩む。日本から持ってきた
『歩くベトナム』を見ると、〈ビンタイ市場→チャタム教会→天后廟(ティエンハウ廟)〉という推薦コースが載っていたので、これを行ってみよう。

路上で売っている果物の中に、ちょっと変わったものがあった。柑橘類ということはわかるが、一つ一つに「壽」というシールが貼り付けてある。
何か祝い事に使うのだろう。赤いリボンにも「囍」の字が見える。柑橘の「橘」という字の旧字は「桔」で、「吉」という字が入っていることから、柑橘類は慶事に用いられていたらしい。このあたりも、いかにも中華街らしい。

この付近は果物屋が多い。見たこともないフルーツもある。

「フルーツ通り」を過ぎて北に向かうが、チャタム教会の裏側の道を通ったために、まったく気づかず通り過ぎてしまう。この頃はまだスマホのGPSで自分の居場所を確かめる、などということはできず、おおまかな地図があるだけだった。いったん迷うと、自分が今いる位置がどこなのかわからなくなってしまう。
しかし、この「道に迷う」ことが、旅の面白さにつながるのだ。予定された場所をたどるだけでは「旅」とは呼べない。
しかし、実のところは、この暑さの中で、目的地がどこにあるのかわからないのは困ったものだ。

「フルーツ通り」が途切れて少し行くと、今度は「ニワトリ通り」に出た。歩道に、脚を縛られた鶏が並んでいる。

「ニワトリ通り」が途切れると、今度は「卵屋通り」が現れた。これはまあ、筋が通っている気がするが、こんな大量の卵を並べて売れるものなのか心配になる。
この後も、ネジなどの「機械部品通り」、「バイク用品通り」、「自転車部品通り」などが次々と現れる。

このような専門店が軒を並べるのは、中華街の特徴かもしれない。タイのバンコクにある中華街も、まったく同じだった。

ベトナムの歩道は歩道ではない。歩道はバイクの駐輪場であり、店の品物を並べる場所である。さらに、食べ物屋が店開きをしてテーブルや椅子を並べる場所でもある。
人はそれらをよけながら、しばしば車道の端を歩き、後から走って来るバイクの恐怖と闘わなければいけない。

空が暗くなってきたなあ、と思っていたら、ポツポツと雨粒が落ちてきた。それがあっという間に本降りになる。瞬く間にシャワーのような雨が襲いかかる。急いで雨のかからない建物のそばに待避する。
わずかな歩道のスペースに、バイクも何台かやって来て雨宿りに加わる。しかし、ベトナムの人たちにとって、こんな雨は慣れたもののようだ。バイクの人は雨合羽をかぶって、再び雨の中に飛び出していく

雨宿りは、もう少し続く・・・。
続きは次回に。

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