見出し画像

奈良国立博物館 浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「聖地 南山城ー奈良と京都を結ぶ祈りの至宝ー」~展覧会#39

聖地  南山城

南山城・・・と聞いて、その場所を地理的に正確に思い浮かべることは難しい。「山城」は古くは「山背」「山代」と表記された。平城京から見て、平城山(奈良山)の背後にある地域だったからである。山城国は今の京都府に入るが、南山城は京都のイメージとはほど遠い。

若い頃、堀辰雄の『浄瑠璃寺の春』や会津八一の『自註鹿鳴集』を手にして、何度も当尾とうのの里を歩いた。この辺りはかつて浄土信仰の霊地として栄えたところであり、山道には石仏や磨崖仏があった。浄瑠璃寺や岩船寺などの寺院も魅力的であった。
現地までは、近鉄奈良駅前からバスに乗った。そのせいもあって、奈良のイメージがずっと強かった。

聖武天皇は平城京からこの南山城の地に都を遷したことがある。恭仁くに京である。しかし新都の完成を待つことなく、わずか3年後にはまた別の地に遷っていく。恭仁京の地には山城国分寺も建立された。


祈りの至宝

今回の特別展は、タイトルにもあるように「浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成」を記念した催しである。浄瑠璃寺は別名「九体寺」ともいわれ、本堂に9体の阿弥陀如来像を横一列に安置している。9体のうち、中尊のみ丈六で背が高い。9体あるのは、「九品往生」の考えに基づくものである。

みだうなる  九ぼんのひざに  ひとつづつ  かきたてまつれ  ははのみために

(会津八一『観仏三昧』)

9体の阿弥陀如来像は5か年に及ぶ保存修理が行われ、今回特別にそのうちの2体が公開された。

木造漆箔の阿弥陀如来坐像はもちろん国宝で、平安時代12世紀の作である。両者ともに膝の上で定印を結んでいる。ほの暗いお堂の中で拝むのとはまた違った神々しさが感じられる。光背ははずして別の展示ケースに収められていた。

浄瑠璃寺の境内は池を中心とした浄土式庭園で、たしか本堂と池を挟んだところに三重塔があった。目の前の阿弥陀如来坐像を見つめながら、何十年も前の記憶がよみがえる。

かれわたる  いけのおもての  あしのまに  かげうちひたし  くるるたふかな

(会津八一『南京新唱』)

南山城は、平城京から長岡京・平安京への遷都以降も、新旧両都をつなぐ回廊的な役割を果たす地域だったといえる。東大寺や興福寺といった奈良の大寺との深い関わりのなかで、この地に寺院があいついで建立された。さらに木津川流域の山々は、山岳仏教や修験道の拠点にもなった。
今回の展覧会では、ふだん訪れることのない寺々の仏像や宝物に接することができた。


子供たちにはちょっと退屈な展覧会だったようだ。しかし、京都国立博物館は、特別展でも中学生以下は無料なのに、奈良はなぜ有料なのかな?





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?