大阪市の神社と狛犬 ➋淀川区②香具波志神社~狛犬パラダイス~
大阪市淀川区の地図と神社
大阪市には、現在24の行政区があります。淀川区は淀川の北側にある三つの区の中央に位置します。
淀川区には、神社本庁に加盟する4社があります。(地図参照)
香具波志神社は、JR東西線・加島駅の北東600mほどのところ、神崎川近くに鎮座する神社です。
香具波志神社
■鎮座地 〒532-0031 大阪市淀川区加島4-4-20
■主祭神 宇迦之御霊神・保食神・天照皇大神・稚産霊神・埴山姫神・住吉大神・八幡大神
■由緒 平安時代の天徳3年(959)に、宇迦之御霊神(穀物の神)、保食神(食物の神)をお祀りしたのが当社の始まりである。後に、天照皇大神(日照の神)、稚産霊神(結実と生産の和合の神)、埴山姫神(土地の神)をお祀りし、香具波志稲荷大神として尊崇された。淀川水系、猪名川水系の川の港、中国街道の要衝として氏子地域が繁栄し始めた鎌倉時代には、住吉大神(海や河川の神)と八幡大神(海運の神)を併せてお祀りするようになる。(境内に設置されている由緒書による)
社名の「香具波志」は、孝徳天皇(在位:645年-654年)が有馬温泉への行幸の途中、当地を経由した際に詠んだ「かこはしや 此花いもみせぬ かもやこの花」という歌に由来しているという。
狛犬1
■奉献年 寛政七年乙卯八月吉日(1795)
■石工 大坂北堀江二丁目 吹田屋喜八
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
拝殿前にある寛政7年(1795)奉献の狛犬。五段重ねの台座正面には、「奉獻」「氏子諸方」と大きく深く彫られ、その下に「世話人」7名の屋号と名前がある。作者は大坂北堀江の石工、吹田屋喜八。この狛犬以外、同じ石工の作品は見当たらない。狛犬の像高は約1m。花崗岩製で保存状態は良好である。
阿形はギョロリとした目で、顔の周囲に巻き毛が連なり、背中に流れる毛は二段になっている。股間に陽物あり。一方、角のある吽形は丸い目に四角い顔、顎髭が八の字に左右に分かれる。背中の流れ毛は一段。
尾はボリュームがあり、阿吽で異なる形をとる。
狛犬2
■奉献年 寛保三亥九月吉日(1743)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 境内社・岩木神社前
岩木神社の祭神は、木霊神と地神。神木の楠は、楠木正成の三男・楠木正儀が馬をつないだことから「駒つなぎの楠」と言われていたが、枯れてしまったので切られ、木霊神として、磐座とともに祀られている。
小さな社殿の手前には2対の狛犬が安置されているが、像高50cmほどの小さな狛犬は、香具波志神社ではいちばん古い狛犬である。
狛犬と同石の第一台座に「寛保三亥九月吉日」の銘がある。
像高50cm足らずの小型狛犬で、砂岩製。表面に剥落があるものの、なんとか元の形が保たれている。阿吽とも垂れ耳で、眉の下の丸い目は奥にある。首の左右は巻き毛、後頭部から背中にかけては素直な流れ毛、尻尾は小さく背中に沿って右になびいている。阿形に陽物、吽形には角がある。
なお、花崗岩製の第二台座には、「嘉永三年」「庚戌三月」という紀年銘がある。これは別の狛犬の台座を流用したものである。
狛犬3
■奉献年 大正四年四月吉日(1915)
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 境内社・岩木神社前
岩木神社の寛保3年の狛犬(狛犬2)の手前に置かれている、大正4年(1915)に奉納された花崗岩製の狛犬。垂れ耳の角張った顔で、どっしりとした安定感がある。背中に流れるたてがみは二段になっていて、吽形にははっきりした角がある。背中に張り付いた尾にも表情がある。
紀年銘がなければ、江戸時代のものかと思わせる。浪速狛犬の伝統を受け継いだいい狛犬である。
狛犬4
■奉献年 天保十三年九月(1842)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 本殿東側境内入口
香具波志神社には、正面の参道以外に、東側の民家が途切れた所にも境内への入口がある。こちらに置かれているのが、天保13年(1842)奉献の狛犬だ。阿形は竹藪の中に隠れている。そばによって見ると、残念なことに顔の一部が崩れてしまっている。吽形も顔の上部に損傷がある。
顎の下の巻き毛や大きく筋をいれた流れ毛、尖った脚の爪など、大胆なデザインを採り入れている。尾はシンプルな七葉の扇形。
狛犬5
■奉献年 嘉永三年庚戌三月(1850)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 不明
香具波志神社の境内にある狛犬は、狛犬1~4の4対だけかと思ったが、一つ気になることがあった。岩木神社の寛保3年(1743)奉献の狛犬の台座に、「嘉永三年」「庚戌三月」という紀年銘があったことだ。幕末の嘉永3年(1850)に奉納された狛犬はどうなったのか。すでに廃棄されてしまったのだろうか。
境内に設置されていた由緒書きの案内板を読んでいて、もしかして・・・とひらめくものがあった。この神社は1995年の阪神淡路大震災で大きな被害を受け、境内は瓦礫の山になってしまったそうだ。社殿もほとんどが倒壊し、現在の配置は当時のものとは異なっている。境内の一角には廃棄された木材や石材が積まれていたが、その中に例の嘉永3年の狛犬があるかもしれない。そう思って、枯れ葉の山を踏み分けて奥をのぞいてみると、いました! 間違いなく江戸末期の狛犬さんだ。傷んではいるが、棄てられるには忍びない有様だった。連れて帰る訳にはいかないが、なんとか大切に保存する方法を考えてもらいたいものだ。