国立国際美術館 「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」その1~展覧会#30~
魅力的な展覧会が大阪にやって来ました。ピカソにクレーにマティス、そしてジャコメッティ! 日本初公開の作品が76点もあるといいます。これは見ないわけにはいきません。
ということで、平日の金曜日、中之島の国立国際美術館に行ってきました。
ベルリン国立ベルクグリューン美術館
この美術館は、ドイツ生まれの美術商ハインツ・ベルクグリューン(1914~2007)のコレクションを収蔵展示する美術館として1996年に開館しました。今回は、同美術館のコレクションから97点をまとめて紹介する日本初となる展覧会です。これらに、日本の国立美術館が所蔵する11点を加えて、20世紀ヨーロッパ美術の偉大な足跡をたどることができます。
中心となるのは、ピカソの初期の「青の時代」から晩年に至るまでの作品です。さらに、バウハウス時代を中心とするクレーの絵画も多数展示されていました。マティスやジャコメッティの作品も、この展覧会に彩りを添えます。
会場は、一部を除き写真撮影可能です。
今回のnoteでは、ピカソ(1881~1973)の描いた人物像(ほとんどが女性)に焦点を当てて、年代順に展示作品を並べ、その作風の変化を見てみようと思います。
青の時代(1901~1904)
19歳で初めてパリを訪れたピカソ。親友の自殺などを経験し、孤独で不安な青春時代を送りました。
ばら色の時代(1904~1906)
最初の恋人フェルナンド・オリビエと出会い、精神的にも安定し、作品にも明るい色彩を多用するようになります。
アフリカ彫刻の時代(1906~1908)
アフリカ彫刻や古代イベリア彫刻の影響を強く受けた時代。次のキュビスムの時代の入口になります。
キュビスムの時代(1908~1921)
初期にはポ-ル・セザンヌの影響を受けながら、ジュルジュ・ブラックらとともに、抽象的なキュビスムの世界に入っていきます。この時代には、静物画が多数描かれています。
新古典主義の時代(1917~1925)
第一次大戦の影響で「秩序への回帰」が叫ばれる中、ピカソも伝統的な芸術に目を向けるようになります。
シュルレアリスムの時代(1925~1936)
1925年に「第1回シュルレアリスム展」に参加して刺激を受け、変形された人間のイメージが描かれるようになります。
ゲルニカとナチス占領下の時代(1937~1944)
ピカソは何人もの女性遍歴の末、ロシア貴族の末裔の出身であるオルガ・コクローワという女性と結婚しましたが、その仲もやがて冷え、1936年に写真家のドラ・マールと知り合いました。翌年、ピカソはパリ万博のスペイン館の壁画「ゲルニカ」を描きます。その後、ドイツ占領下のパリでは、作品の発表もできない日々が続きました。
戦後の時代(1945~1973)
第2次大戦が終結したとき、ピカソは63歳になっていました。彼の芸術に理解を示したドラ・マールとの関係は、40歳も年下の画学生フランソワーズ・ジローとの出会いによって終わりを告げます。
ピカソは絵画だけでなく、陶芸や版画の制作にも打ち込み、91歳で亡くなるまで創作を続けました。
作品の写真と年代・作品リストを見比べながら、人物が描かれたものを制作順に並べました。出展されたピカソ作品は35点ですから、その3分の2は紹介できたと思います。ここに載せなかったのは、キュビスムの時代に多く描かれた静物画と3点のブロンズ像です。
時系列に並べると、ピカソの作風の変化がよくわかり、同時に女性への飽くなき関心と欲望が強く感じられますね。
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