見出し画像

大阪市の神社と狛犬 ➍此花区③四貫島住吉神社~地元土地会社奉納の狛犬~

大阪市此花区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、此花区はもっとも海に近い西側に位置します。
此花区には、神社が6社があります。(地図参照)
住吉神社という名称は2社だけですが、この地は古来海との関係が深く、朝日神明社以外の5社には住吉大神が祀られています。
四貫島住吉神社は、阪神電車千鳥橋駅の南に位置し、此花住吉商店街「グッディー此花」を抜けたところにあります。現在の鎮座地の地名は「梅香」ですが、元の鎮座地の地名「四貫島」を冠して呼ばれています。

四貫島住吉神社

■鎮座地 〒554-0013 大阪市此花区梅香3-14-16
■主祭神 底筒男命・中筒男命・表筒男命・息長足姫命(神功皇后)
■由緒  この付近は「難波八十島」と呼ばれた土地で、天正年間に開墾が始まった。漁業を営む者が多かったので、慶長の頃に、海上安全の守護神である住吉大神の分霊を千鳥橋下方中津川沿岸(四貫島元宮町)に勧請してお祀りしたのが、当社の始まりだと伝えられている。大正10年(1921)、市電敷設の為、現在地の梅香に遷座した。

狛犬1

■奉献年 不明(推 昭和初期)
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  拝殿前

四貫島住吉神社 拝殿と狛犬
四貫島住吉神社 拝殿と狛犬

四貫島住吉神社は、昭和20年の3月と6月に、二度にわたって空襲に遭い、本殿・拝殿から末社稲荷社・神楽所・神庫・社務所まで、すべて焼失した。現在の形に復興したのは昭和38年のことである。神社復興にあたっては、地元の政岡土地株式会社が本殿一棟を寄付するなど、大きな役割を果たした。

拝殿前狛犬(阿形)
拝殿前狛犬(吽形)

拝殿前の狛犬は花崗岩製で、どっしりとした安定感がある。巻き毛や流れ毛が装飾的で、江戸時代の浪速狛犬には見られない意匠だ。尻尾にもダイナミックな渦巻き型の巻き毛の装飾がある。
ところが、この尻尾側の台座を見ると、次のように彫られている。

拝狛犬狛犬(阿形)尻尾側
台座の紀年銘

「安政三辰年 十一月」(1856)
幕末の年号だが、この狛犬はどう見てもそんなに古いものとは考えられない。
さらに台座の側面(拝殿側)には、次のように彫られている。

台座の銘(奉献者)

「政岡土地合資會社」
戦災に遭った神社の復興に貢献した地元の会社である。この会社は、明治40年10月に大阪市西区(後に分区され此花区になる)に政岡土地合資会社として設立され、昭和12年3月に政岡土地株式会社と改められる。
ということは、この狛犬は神社が戦災に遭って全焼する以前に奉納され、無事に生き残ったことになる。たぶん昭和の初期に奉納されたものであろう。それ以前には、台座の銘にある「安政三辰年」の狛犬もあったのだろうが、何らかの事情で引退し、台座だけを新しい狛犬に譲ったのだ。
この狛犬のことは宮司様にもお尋ねしてみたが、戦争ですべての資料が焼失したので、詳しいことはわからないということだった。

三社御宝前の石灯籠
境内に残された古いものとしては、一対の石灯籠があった。離れた場所に別々に置かれていたが、竿の部分に大きく「三社御寶前」と彫られている。側面には、「宝永三丙戌年」と刻されている。宝永3年は1706年に当たる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?