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大阪市の神社と狛犬 ➏北区⑧露天神社~お初天神の狛犬~

大阪市北区の地図と神社

大阪市には、現在24の行政区があります。淀川のすぐ南側には5つの区がありますが、北区はその中央にあり、大阪市役所の所在地です。北区の中心地梅田は、西日本最大の鉄道ターミナルで、JR大阪駅や阪急・阪神の梅田駅ががあります。地勢的には、北は淀川、東は大川、南は土佐堀川と三方を河川に囲まれ、西は福島区に隣接しています。北区には、神社が11社あります。

露天神社つゆのてんじんしゃは、北区曽根崎の繁華街に鎮座し、通称「お初天神」の名で広く親しまれています。
元禄16年(1703)に当神社の「天神の森」で、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が心中するという事件がありました。この事件を題材に、近松門左衛門が人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書きました。そのヒロインの名前「お初」にちなんで、「お初天神」と呼ばれるようになります。

露天神社(お初天神)

■所在地 〒530-0057 大阪市北区曽根崎2-5-4
■主祭神 少彦名大神・大己貴大神・天照皇大神・豊受姫大神・菅原道真公
■由緒  社伝によると、難波八十島といわれた当地に「住吉須牟地曽根神」をお祀りしたのが当社の始まりだという。曽根崎(古くは曽根洲)の地名は、この御神名によるとされる。
「露天神社」という社名は、この地に立ち寄った菅原道真が都を偲んで詠んだ歌、「露と散る涙に袖は朽ちにけり都のことを思ひ出づれば」によると言われている。
近松門左衛門の頃には、「天神の森」があったほど広大な神域があったが、昭和20年の大阪大空襲で社殿は全焼し、その後、社殿復興のために境内の切り売りが行われた結果、現在の広さとなった。

狛犬1

■奉献年 昭和三年五月吉日(1928) 
■石工  不明
■材質  花崗岩
■設置  境内社  水天宮・金刀比羅宮前

境内社  水天宮・金刀比羅宮
境内社  水天宮・金刀比羅宮前狛犬(阿形)
境内社  水天宮・金刀比羅宮(吽形)

水天宮はもともと寛政9年(1797)に大阪中之島の久留米藩蔵屋敷内に祀られた社だったが、明治維新に際し、丸亀藩蔵屋敷の金刀比羅宮に合祀された。その後、高松藩蔵屋敷の金刀比羅宮に遷されるが、堂島中二丁目に遷座した後、明治42年の「北の大火」で社殿が被災したため、露天神社の境内社として斎祀されるようになった。
社殿前の狛犬は、昭和3年5月に、北新地「菱熊」の岡田藤治郎・ハナによって奉納されたものである。昭和3年は、昭和天皇の御大典の年で、狛犬の奉納が多い年だった。
社殿の内部にも、2対の狛犬の姿が見える。

境内社  水天宮・金刀比羅宮社殿内の狛犬2対


境内の様子いろいろ

➊拝殿と石柱

露天神社拝殿と手前の石柱

拝殿前の石柱には、第2次大戦時に飛来した戦闘機 P-51による機銃掃射の痕が残っている。

機銃掃射弾痕

➋曽根崎心中 お初・徳兵衛

お初・徳兵衛
お初・徳兵衛

この世の名残り、夜も名残り、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそあはれなれ。 あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり。(中略)
誰が告ぐるとは曽根崎の、森の下風音に聞え、取伝へ貴賤群集の回向の種、未来成仏疑ひなき恋の、手本となりにけり。

近松門左衛門『曽根崎心中』
縁結び

➌開運稲荷社

開運稲荷社
開運稲荷社狐像


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