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京都国立博物館 特集展示「京博のお正月」など~展覧会#49~

今年最初の展覧会

2024年最初の展覧会は、京都国立博物館です。毎年見に行っている干支の「新春特集展示」以外にも、2つの特集展示がありました。今回はこの3つの展示について紹介します。

①新春特集展示「辰づくしー干支を愛でる-」
②特集展示「弥生時代青銅の祀り」
③修理完成記念 特集展示「泉穴師神社の神像」


①新春特集展示「辰づくしー干支を愛でる-」

今年の干支は「辰」。十二支の中で唯一想像上の動物である。龍は古来瑞獣として尊重されてきた。日本の龍の起源は中国にある。『史記』には、漢の劉邦は、両親が龍の夢を見て生まれたと記されている。中国では、龍は皇帝の象徴でもある。
日本に龍のモチーフが伝わったのは、弥生時代1世紀ごろとされている。和泉市の池上曽根遺跡から発掘された土器に、「弥生竜」と呼ばれる胴をくねらせ三角の無数の突起を持つ動物が描かれている。
今回の「辰づくしー干支を愛でる-」では、28点の龍が展示されている。そのうちのいくつかを紹介したい。(写真は展覧会のリーフレットから)


龍虎図屏風(右隻)狩野山楽 京都・妙心寺 重要文化財

桃山時代17世紀の六曲一双の作品である。狩野山楽の技量が存分に発揮されている。右隻には、天から降りてきた龍が、金地に水墨で描かれている。一方左隻には二頭の虎が描かれている。

この屏風の隣に、室町時代の単庵智伝が描いた龍虎図屏風が展示されていた。京都の慈芳院の所蔵で、龍虎一対の屏風としては最古のものという。こちらは龍も虎も剽軽で、禅味があるというべきか。

京都国立博物館  TORARIN OFFICIAL SITE より



龍袍 金黄地綴織(清時代19~20世紀)西田善蔵コレクション

龍は、鱗のある生き物たちのリーダーだと考えられていた。雲や水をあやつる不思議な力をもつ龍は、やがて力のある人のしるしになる。中国では、皇帝以外は5本爪の龍を使ってはいけないというきまりもあった。
この龍袍は清時代のものだというが、どの皇帝が着用したのかな。


双龍花鳥蒔絵螺鈿裁縫道具入(江戸時代17世紀)

蓋と身の側面に紐を通す穴があり、携帯することのできる裁縫用具入れ。17世紀のオランダでは、女性が腰から長い鎖を垂らして、鍵や裁縫道具入れをぶら下げたという。当時日本にやって来たオランダ東インド会社の男性が、故国の女性のために特注した品だと思われる。


昇龍墨意 高奇峰筆 須磨帖のうち(中華民国20年  1931)

「須磨帖」とは、中華民国20年(1931)に広東国民政府の要人たちが題字や詩を寄せ、高奇峰らの画家たちが絵を描いて、広州にいた外交官の須磨弥吉郎に贈ったものである。


お遊び



②特集展示「弥生時代青銅の祀り」

弥生時代の青銅器は、前期の終わり頃に朝鮮半島から鉄器とほぼ同時に伝わった。実用の鉄器に対して青銅器は独自の変化を遂げ、非実用的な祭器として発達した。青銅器の種類は、武器形青銅器(銅剣・銅矛・銅戈)と銅鐸がある。

今回の特集展示では37点が展示されていた。内訳は、銅鐸が18点でいちばん多く、続いて銅戈が7点、銅矛・銅矛片が5点、銅剣が3点で、それ以外に銅鋤先が1点、中国出土のものが3点。
しかし実際の数は、福岡県春日市小倉新池出土の銅戈は25本、大分県臼杵市出土の銅矛は7本などと、まとまって出土しているものもあり、数多くの弥生時代の青銅器をこの展示室で見ることができる。


〈青銅器の武器イメージ〉



③修理完成記念 特集展示「泉穴師いずみあなし神社の神像」

日本には「八百万の神」というほどたくさんの神様がいる。神様は目に見えるものではなく、岩や木や山など森羅万象すべてのものに宿ると考えられていた。
しかし6世紀になって仏教が伝来し、信仰の対象としての仏像が造られるようになると、見えないはずの神様を「神像」という形で表すようになった。やがて神と仏は融合し、神は仏と一体になって信仰されるようになる。

泉穴師神社は大阪府泉大津市にあり、7世紀中頃の創建と伝わる延喜式内社である。神社には83躯の神像が伝わり、そのうち平安時代から鎌倉時代に造られた80躯が重要文化財に指定されている。今回4年の歳月をかけて神像の修理が行われ、その完成記念として26躯が展示されることになった。
神像は、仏像のようにふだん拝観することができないので、今回の展示は貴重な機会である。


神像はふつう、人間と同じ姿をしている。男神は平安時代の貴族の服装で、手に笏を持つ束帯姿をとる。女神は髪を結って中国風の服装をする姿か、髪を垂らして日本風の衣を着ける姿に分かれる。男神・女神がセットで造られることが多く、その場合は夫婦神と考えられる。

次の写真は、泉穴師神社の祭神である天忍穂耳尊あめのおしほみみのみこと栲幡千々姫命たくはたちちひめのみことの坐像である。男神は束帯姿、女神は中国風の唐装をしている。平安時代12世紀のもので、像高は男神が約58cm、女神が約52cm。表面は全身に漆を施した上に彩色、截金で文様を描いている。

泉穴師神社の主祭神の神像


〈神像と仏像のスタイルの違い〉

神像を横から見ると不思議なことに気がつく。膝がないのだ。上の写真のように正面から見るとあまり気にならないが、下の写真のように仏像と比べてみると、その違いが明らかだ。

左:泉穴師神社の祭神 天忍穂耳尊あめのおしほみみのみこと坐像
右:平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像

神像に膝を造らず、木の柱のようなスタイルにする理由はなんだろうか。一説には、神は木に宿ることから、木から神様の姿があらわれることを表現しているという。神様を「一柱ひとはしら」「二柱ふたはしら」というように数えることも、何か関係があるのかもしれない。
(参考:博物館 Dictionary No.233)




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