![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/96120769/rectangle_large_type_2_99e3daf1830126eecce24fd8de1dca44.jpeg?width=800)
大阪市の神社と狛犬 ❿城東区②野江水神社~奥に控える真打ち狛犬~
大阪市城東区の地図と神社
![](https://assets.st-note.com/img/1674267525945-KQb1atzUUA.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1674267543786-Jcm5VQcuEw.jpg)
大阪市には、現在24の行政区があります。城東区は、その名前が示すように大阪城の東に位置し、東西に寝屋川と第2寝屋川が流れ、南北に城北川や平野川が通じるなど、河川が多いのが特徴です。区内には住宅地が多く、人口密度は大阪24行政区の中の1位です。
城東区には神社が9社あります。神社庁に登録された8社と、天王田の八坂神社です。中浜の東本稲荷神社は小社で狛犬もいないので、このnoteではそれ以外の8社について紹介したいと思います。
今回は野江水神社です。神社庁への登録名は、単に「水神社」となっています。名前の通り、水の神様をお祀りしています。
大阪メトロ野江打代駅、JRおおさか東線野江駅、京阪電車野江駅などが近く、交通の便のよいところに鎮座しています。すぐ北側に榎並小学校があります。
野江水神社(水神社)
■所在地 〒536-0006 大阪市城東区野江4-1-39
■主祭神 水波女大神
■由緒 社伝によると、天文2年(1533)三好政長が榎並城を築く際、この地がたびたび水害を被っていたので、城内に水神である水波女大神を祀ったのが当社の起こりであるという。江戸時代にはたびたび淀川の大きな洪水が発生したが、当社は無事だった。しかし、明治18年(1885)に起きた淀川洪水によって、ついに当社は水害の被害を受けてしまい、社殿が倒壊した。現在の社殿は、その後再建されたものである。
![](https://assets.st-note.com/img/1674275007667-wOWnllFZjD.jpg?width=800)
狛犬1
■奉献年 平成9年(1997)
■石工 不明
■材質 花崗岩
■設置 拝殿前
![](https://assets.st-note.com/img/1674276916269-CMW3BR2kI5.jpg?width=800)
鳥居を潜ったところに「水神社」の社号標があり、正面の拝殿前には、古い基壇の上にまだ新しい狛犬が安置されている。新しい狛犬の第二台座には、「御社殿修復竣功記念」と書かれている。
その下の「奉獻」と彫られた基壇には、「明治十六年九月建之」の文字がある。先代の狛犬の基壇を、新しい狛犬が引き継いだのだろう。
社殿の裏側に回ってみる。
![](https://assets.st-note.com/img/1674348918862-fj8wqtMQCj.jpg?width=800)
狛犬2
■奉献年 明治十六年九月建之(1883)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 本殿裏
![](https://assets.st-note.com/img/1674349544639-13UDqQyjLH.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1674349981836-WpLXBss4UI.jpg?width=800)
本殿の周囲には瑞垣が巡らされているが、その隙間からのぞき見ると、一対の石造狛犬がひっそりと置かれていた。ブロックの上に、花崗岩製の第二台座があり、その上に砂岩製の狛犬が坐している。拝殿前の狛犬が、第二台座まで新しいものだったので、こちらが先代狛犬であることは間違いなさそうだ。耳を後方になびかせて、威嚇するような表情をしている。口元の表現などは優れている。
狛犬3
■奉献年 明治三十三年九月建之(1900)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 南側参道
![](https://assets.st-note.com/img/1674350576312-GbhIXzFdZr.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1674350609645-vArlf47AMe.jpg?width=800)
本殿裏の左手に「野江稲荷大明神」が祀られている。その前は、神社の南側から境内に通じる短い参道になっている。そこにも一対の石造狛犬が置かれていた。砂岩製で、基壇には「明治三十三年九月建之」と書かれている。
次は裏参道を下ってみよう。
狛犬4
■奉献年 天保九戌年九月吉日(1838)
■石工 不明
■材質 砂岩
■設置 裏参道
![](https://assets.st-note.com/img/1674378412080-pBtbLrK5CV.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1674378424792-Revwd5phLt.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1674378576363-yE4ZRBlECW.jpg?width=800)
裏参道の中ほどに、江戸時代の浪速狛犬があった。真打ち登場だ。阿形は駐車場の片隅に、吽形は建物の一角に置かれている。何気なく通ると見過ごしてしまいそうだ。
阿形は首の下に大きな亀裂があり、頭と胴体が分かれてしまっているようだが、どうにか接合されている。尻尾側の台座に紀年銘があり、「天保九戌年九月吉日」と記されている。吽形も体のあちこちに剥落やひび割れがある。口角を下げ、頭上には小さな角が見られる。「天保」の銘といい、その姿形は紛れもない最盛期の浪速狛犬である。
置かれているのが写真のような場所なので、台座の文字を詳しく見ることができなかったのが残念だ。
砂岩でできた狛犬は、やがては元の石に戻っていく運命なのだろうが、大切に保存してもらいたいと願う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?