マガジンのカバー画像

アジア紀行~インドネシア・スラウェシ島タナトラジャ~

16
1989年、タナトラジャの写真展を見たのがきっかけで、家族4人でインドネシア・スラウェシ島の旅に出ました。到着したものの、帰国便の予約が不備だったり、家族が高熱・下痢でダウンした…
運営しているクリエイター

記事一覧

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note①~

旅の始まり今回の旅noteは、今から30年以上前(1989年夏)に、インドネシア・スラウェシ島(Su…

komajin
1年前
31

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note②~

トッケイの声で目覚める旅の2日目、バリ島。 クタ・コテージのベッドで目が覚める。外はまだ…

komajin
1年前
28

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note③~

スラウェシ島へ3日目、バリ島の朝。 夜明け前に目が覚める。バリ島は赤道近くに位置する島な…

komajin
1年前
24

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note④~

無事スラウェシ島に到着したが・・・前回の続きです。 5日間のスラウェシ島タナトラジャの旅だ…

komajin
1年前
26

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑤~

早速の洗礼!ウジュンパンダンの空港で出会えたガイドのGENTOの案内で、昨夜遅くに到着したタ…

komajin
1年前
24

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑥~

長い夜「長い夜」、そんなタイトルの歌があったな。   おまえだけに この愛を誓う♫ いやい…

komajin
1年前
27

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑦~

TOKARAUへ前回の「トラジャ4日目の朝」の続きです。 日本に連絡がとれて、帰りの飛行機便の確保に少し光明が見えてきた。2日後に再度電話をするということで、それまでこちらでは、なす術がない。 ガイドのGENTOが運転する車は、彼の友人のKIYUDINさんと私を乗せて、いよいよ葬儀が行われるTOKARAUへと向かった。 TOKARAUはRANTE PAOの北にある村で、道路はほとんど舗装されていない。ガタガタ道を30分ほど走る。道の右側を川がつかず離れずで流れている。

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑧~

葬儀の山場を終えてTOKARAUでの衝撃的な葬儀がほぼ終わったのは、ちょうど昼頃だった。十頭余…

komajin
1年前
29

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑨~

岩窟墓巡り昨日の葬儀の興奮が覚めやらぬまま朝を迎える。今日は死者を埋葬しているという岩窟…

komajin
1年前
21

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑩~

岩窟墓巡りの午後〈午前のコース〉 〈午後のコース〉 我々が泊まっていた「WISMA  LEBONNA…

komajin
1年前
25

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑪~

帰りの便は・・・?スラウェシ島にやって来て、今日で6日目になる。ウジュンパンダンの空港で帰…

komajin
1年前
26

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑫~

さよなら、トラジャついにトラジャを離れる日がやって来た。LEBONNAの人々とは二度と会うこと…

komajin
1年前
24

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑬~

「インドネシア・スラウェシ島の旅」の記録、久しぶりの投稿です。いろんなことがあったタナト…

komajin
11か月前
31

アジア紀行~インドネシア・タナトラジャ~サバイバル家族旅行note⑭~

テンペ湖(LAKE TEMPE)SENGKANGの A.PADA HOTEL の朝は早かった。なにしろ近くのモスクから、アザーンの声が早朝5時前から流れ出すのだから。 早い朝食をすませて、7時にガイドのGENTOと待ち合わせる。彼は同じホテルに部屋がとれなかったので、車中泊のはずだ。 荷物はホテルに置いたまま、町の西方にあるテンペ湖に行く。大きな湖で、乾期と雨期では水位が3mも変化するという。 ボートをチャーターして、1時間ほど湖を巡る。 この湖には水上生活をするブギス族