凡人な方のINTP

中学生くらいまでは自分のことを天才だと思っていた。他の人にはない視点を持っているのだなんて、今考えれば相当に恥ずかしいが当時は本気で思っていた。だが中学生の万能感を通り過ぎた私は、かつての自分の能天気さが羨ましくすらなる。

私の母方の祖母は多分本物の「天才」であった。田舎だが事業を開いて成功し、性格にやや難アリ(ADHDの症状を思い浮かべてもらいたい)な人間で、あの人が理解できない、(祖母はとても吝嗇な人間だったので)可哀そうな人だと言いながら祖母の偉業について語る母は常に誇らしげであった。
時が過ぎ、私が生まれ、私もまたADHDに近い特性を持っていた。特性故か祖母に似ている私は母から祖母と同じ「天才」を期待された。「○○ちゃんも社長に向いてるね。」と母は嬉しそうによく言った。
幸か不幸か飲み込みが早かったのでそれもまた私の天才もどきを助長させ、私もまた自分自身が天才であることを確信していた。

まあタイトルから察する通り私は凡人だった。「天才もどき」に胡坐を掻いた私には偏屈で怠惰な性格だけが残った。INTPに天才が多い!なんて記事を見ても私は他人事のように文字を眺めている。

私は天才に強いコンプレックスを抱いているのかもしれない。「天才」だと思っていた自分、「天才」を期待されていた自分。「天才」が近くにあると思っていたのに実際天才は遥か遠くで輝く星で、私が掴めるものではなかった。私は徐々に天才という言葉を嫌っていった。母はまだ私に天才を夢見て、あの時と同じ顔で「○○は企業者が向いてると思うな。」と嬉しそうに言う。当時はそう言われるたびに誇らしげだったはずなのに今ではその期待が苦しい。

INTPに分類されたとき、私はまた苦しくなった。「NT型は天才だ」「INTPは天才が多い」。こんな文面を見るたびかつての自分を思い出した。あの「天才」に諦めが付いたはずなのに、また無い「天才」を求められている気がしてしまう。大量の凡人INTPの上で輝く天才に焦点を当て、自分も天才なのだと錯覚できれば良いのに私は現実を知ってしまった。こうやってアインシュタインになれなかった私は今日も大多数の凡人として歩んでいる。


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