漫画をもらった話

私の本棚にはいろいろな漫画本がある。そのほとんどは子供の頃に親に買ってもらったり、大きくなってから自分で購入したものなのだが、その中に五冊だけ母親からもらった漫画本がある。
それは、
「アロイス 萩尾望都傑作集」(萩尾望都著、白泉社)
「11月のギムナジウム」(萩尾望都著、小学館)
「ポーの一族5 ピカデリー7時」(萩尾望都著、小学館)
「竹宮恵子傑作シリーズ④ ウェディングライセンス」1・2巻(竹宮恵子著、朝日ソノラマ)
の五冊である。

萩尾望都さんも竹宮恵子さんもとってもすごい漫画家さんなので、同じ内容の本は今でもすぐに手に入るようになっている。我が家にあるのは、1970年代に母の姉妹が購入したものだ。何故それがすぐに分かるかというと、本の一番最後のページに、購入した日と名前のイニシャルがメモ書きされているからである。多分、姉妹のうちの誰が買ったのか後からも分かるようにしたかったのだろう。本はどれも赤いチェックの包装紙がブックカバー代わりに掛けてあって、その上から油性ペンで背表紙にタイトルが書き加えられている。

「ポーの一族」が中途半端に5巻しかないことからも、恐らく彼女達の漫画本は本当はもっと沢山あったのではと思う。しかし、どうやら成人した頃に結構な量を処分してしまったらしく、これ以外は見つからなかった。今はそうでもないと思うが、昔は大人になっても漫画を読んでいるのは少し変なように見られたとも聞くし、子供達が家を出た後に祖父母がもういらないだろうと処分した可能性も十分にあった。
では、何故この5冊が残ったのかといえば、恐らくはたまたまに過ぎないと考えている。勿論どれも内容が面白く、素晴らしい作品であるのだが、きっと処分した中にも同年代かつ素晴らしいものは沢山あったに違いない。折角買ったのに捨てるなんて勿体ないと感じたりもするが、ミスで汚したり無くしたりする他、進学、就職、結婚等々の度に人は掃除をし、荷物を整理する。本を買って読む人ほど本が部屋のスペースを占めていくようになる。興味の持ち方も子供の頃とは方向性が違ってくるし、仕方が無いと感じた。
それに、成人した男女で子供の頃の漫画を今も持ち続けている人はどれくらいいるのだろう?
私はこの文章を打って、自分の本棚をチェックしてみた。結果として、すぐに手に取れるような位置にしまってあるのは、二作品だけだった。それは、「動物のお医者さん」(佐々木倫子著、白泉社)と「サイボーグクロちゃん」(横内なおき著、講談社)で、それ以外の子供の頃の漫画本はまとめて収納の方に置いてあり、すぐに読むことは出来ない。
あくまで私の場合だが、大人になってから購入した漫画本の方が、言い方を変えれば発行年月日の新しい漫画本の方が棚における面積はずっと大きかった。

母親からの五冊を見つけたのは偶然で、2010年頃に実家のどこかの棚か箱から手に取ったと記憶している。 欲しいと何となしに言って、いいんじゃない、あげるよという返事を母親から貰った。昔は姉妹の共通の本棚に入っていたそうで、そのまま私の本棚へ収まった。今のところ、この本達はまだまだこれから先も一緒のようである。というか、読んだら夢中になってしまって上の世代の少女漫画がもっと欲しくなったため、「ポーの一族」の他の巻をはじめとして大体二十冊ほど増えた。どれも、とても面白かった。
中でも、「ポーの一族」の一つである「はるかな国の花や小鳥」は特に好きだ。悲しみの過去を持ちながらも微笑む女性が「悲しみも憎しみもそれらの心は行き場がない」ともの思うページをふとしたときに思い出す。

当たり前かもしれないが、母親は子供の私が生まれたときにはとっくに大人だった。だからか、その人も昔は子供だったという事実を意識すると妙に新鮮に感じてしまう。こう考えると、赤チェックの漫画を愛読した少女達、そこから一番遠い位置にいるのは他ならぬ私なのかも知れない。

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