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こまち通信 11月号

連日熊が出たとの報道を目にしておりますが、大潟村においても3頭の熊が歩いていたとのことです。そのうちの2頭が捕獲されましたが、残りの1頭がまだ捕獲されないとのことで、パトカーが走り回っており、草むらに近寄ることができないようになっております。

10月は雨が多く、玉ねぎの植付けが予定より遅くなりましたが、何とか植えることができ、ほっとしております。
自然環境の中で作物を育てることは、雨、風だけでなく、害虫、病気等、様々なリスクがあることを、改めて実感しております。

また、一般的な産業は、販売価格を決めてから製造を始めますが、農業は作物ができてから価格が決まります。
その時の価格は、生産コストに関わりなく相場で決まるため、再生産できない場合が多々あります。
国の統計によると、農業者人口は、2020年に比較して2030年には3分の1になると言われておりますが、9月18日の日本経済新聞に、2050年には農業者人口が現状より8割減少するため、「日本人はイモを主食とする覚悟があるのか」という記事が掲載されておりました。

国でも、戦争や自然環境の変化で食料の輸入ができなくなった時、国内で自給自足をするにはどうしたらよいのかと検討を始めているとの報道もありました。
これらの報道は、すぐに食料危機が起こるということではなく、このまま何も対策をしないと食料危機に陥るので、何らかの対策を行わなければならないという警鐘であると考えております。

ところで、9月21日に私も75歳になりましたので、75歳にはどんな意味があるのかについて考えております。
70歳になった頃から、「終活」をしなければならないと言われてきましたが、「玉ねぎ栽培、無菌米飯工場建設、農研機構やNTT東日本グループとの農業再生プロジェクトの開始」等の取り組みは、皆、70歳を過ぎてから始めました。

終活とは、自分が亡くなった時のことを考えて身の回りを整理することのようですが、やらなければならないことが次々と現れ、身の回りの整理に頭も手も回らないのが現状です。

75歳になって考えたことは、75歳までは人生の修行時代であり、75歳になってからは今までの経験を活かし、社会に貢献することが終活ではないかと考えるようになりました。
75歳になった私を動かすエネルギーはどこから出てくるのかと考えた時、それは、どれだけ社会に貢献できるかとの思いであり、その思いが強いほど、エネルギーとなって私の体の底から生まれ出てくるように感じております。

私は米作り農家として、人生を懸けて取り組んできましたが、その取り組みを通して多くの方と出逢うことができました。
また、その取り組みを通して、多くの方からご支援ご協力を頂くことができました。
私が取り組んできた全てのことは、家族や社員をはじめ、多くの方の協力があって、初めて成し得たことと考えております。
そのことを考えれば考えるほど、75歳になった私は、社会に貢献することが、私の終活であると考えるようになりました。

以前、皆様に紹介させて頂いた、「時代を語る」が、11月下旬、秋田魁新報社より書籍として出版されることになりました。
魁新聞に掲載された「時代を語る」に加筆し、私はなぜ、このような人生を歩むことになったかをまとめさせて頂きました。なお、出版についてのお問合せは、秋田魁新報社(電話 018-888-1859、お問合せフォーム https://www.sakigake.jp/secure/rcpt/q-shuppan/ )へお願い致したく存じます。

これから寒さが増してまいりますが、お身体に気を付け、お過ごし頂きたく存じます。

令和5年11月
大潟村あきたこまち生産者協会
涌井 徹

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