寓話(8)魔女の薬
さる山奥にある秘境の地に、一人の魔女がひっそりと暮らしていた。
その魔女は、訪れた者たちの間では、どんな病も治せると評判だった。ただし、高峰に暮らす魔女のもとを訪ねるためには、途中、急斜面や獣の巣窟、あるいは断崖絶壁など、いくつかの難所を越える必要があった。そのため、実際にはごく少数の者しか魔女に会いに来る者はなかった。
ある時、顔色の悪い痩せこけた男が、魔女の館を訪ねてきた。
「ゴホン、ゴホン……すいません、魔女さんのお宅は、こちらでしょうか?」
「そうだけど、何か用かい?」
「いえ、実はわたし、肺の病で苦しんでおりまして……この通り、のべつ咳が止まらなくて死にそうなんです。ゴホンゴホン……」
男は、いかにも辛そうに咳こみながら、そう訴えた。すると、魔女はそんな男の様子をじっと見て、それは結核だと断言した。さらに、このままではあと三か月保たないとまでーー。
「よし、わかった。では、この薬を日に三度飲みなさい」
魔女はそう言うと、紫色の液体が入ったガラスの小瓶を男に差し出した。
「こ……これを飲めば、この苦しい症状から抜け出せるんですね? ゴホンゴホン……」
男の顔がぱっと明るくなったその時、魔女はすかさず、このように釘を刺した。
「ただし、一つだけ条件がある。病を克服するには、この薬を飲むのと同時に、お前の一番好きなものを断ちなさい」
一番好きなものを断つーー実はこれこそが、この魔女による治療法の真骨頂だった。つまり患者は、魔女から処方された魔法の液体を飲むことに加え、同時に自分の一番好きなものを断たなければならないのである。
その後、この男は三度の飯より好きだという賭け事をやめた結果、みるみる肺が快くなり、見事に社会復帰を果たしたという。
すると、今度はその評判を耳にしたその国の王様が、幾多の難所を越え、魔女のもとを訪ねてきた。
「フゥ、フゥ……もしもーし、魔女の館はこちらかなあ? フゥ、フゥ……」
「いかにも。うちに何か用かい?」
「いやあ。私は王様なんだが、見ての通り太り過ぎちゃって……このまま自分の尻も拭けないんじゃあまりにも情けないから、もっと痩せて人々からかっこいいと称賛されるような王様になりたいんだが……」
王様は鞠のように真ん丸な身体で、汗を拭き拭きそう訴えた。すると、魔女はそんな王様の様子をじっと見て、緑色の液体が入った小瓶を差し出した。
「これを日に三度飲むといい。ただし、お前の一番好きなものをやめることが条件だよ」
王様は城へ帰ると、さっそく好物の肉料理と甘い物をやめ、野菜と穀物中心の質素な食事へと変えた。その結果、みるみる体重が落ちて見違えるほどスマートになり、すっかり国民の人気者になったという。
さて、病にも様々あるようで、中にはこんな者まで訪ねてくることもある。
「すいません、こちらは魔女さまのお宅でしょうか?」
「うむ、そうだが何か用かい?」
「いえ、実は私には恋焦がれている女性がいまして、その方のことを想うと胸が苦しくて苦しくて……もう何も手がつかないのです」
「ほう、それは詰まるところ恋の病だな。よし、わかった。では、これを朝昼晩に飲みなさい。ただし……」
その後、この患者は魔女に言われた通り一番好きなものーーつまり恋人を想うことをやめた結果、晴れて恋煩いを克服し、再び日常生活を送れることになったという。
この通り、魔女の治療法は百発百中の治癒率を誇ってきたわけだが、やがてその神話が崩壊の危機にさらされることとなる。
ある日、見るからに人相の悪い男が、魔女のもとを訪ねてきた。
「しばらく、魔女の館というのは、ここかね?」
「そうだよ、何か用かい?」
「いやあ、まいったよ。変な流行り病に冒されちまったみたいでさ。見ての通り、全身肌が真っ黒だ」
「うーむ、それはさしずめ黒死病(ペスト)と見える。このままだと、ひと月保たぬぞ。よし、ではこれを飲みなさい。ただし……」
男は帰宅すると、さっそく魔女からもらった小瓶の液体を飲んだ。
「ひえっ、まずいっ。なんだこの薬はっ。こんなまずい物を日に三度も飲めって? しかも、一番好きなものを断てだと? へっ、冗談じゃねえや。こんな物を飲んだら、酒でも飲まなきゃ舌が腐っちまうわい」
男はそう言うと、大好物である酒の瓶を手に取り、かまわず一気飲みした。
「んくっ、んくっ……ぷはーっ、うめえっ。これをやめろだなんて無理なこった。薬さえちゃんと飲んでりゃ、いくら酒を飲もうが関係あるもんか。んくっ、んくっ……」
男は魔女の忠告を無視して、その後も毎日酒を飲み続けた。その結果、まもなく息を引き取ったという。
やがて男の死は、魔女の治療が初めて効かなかったという噂となり、巷に広まった。そして、それは巡り巡って、やがて魔女自身の耳にも入ることとなる。
「ふんっ、馬鹿な奴め。だから、一番好きなものを断てと言ったんだ。だいたい、あたしが病人に出してる液体は、ただ適当にそこらの雑草を煮詰めただけの物で、最初から薬でも何でもないのさ。それよりも、一番の好物を断ってでも治りたいと願う、その心掛けの方がよっぽど大事なんだ。せっかく命懸けで山を登ってきたのに、あと一歩のところで……もったいない奴め……」
魔女はそう独りごち、幾多の野草を手当たり次第に放り込んで不思議な色に煮立っている大鍋を、再び棍棒でかき混ぜ始めた。
(終)
☆何が何でも治すという決心が体を変える。結局、病は医者や薬が治すのではなく、自分自身が治すということ。