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落語(55)猫八芸人と紀州の殿様

◎『宵越よいごしの銭は持たない』というのが江戸っ子で、現代人のように将来の収入や老後の蓄えを心配してやきもきしたり、あくせく働くなどということはなかったようです(もっともそもそも銀行がないので、あまり手元に大金を置いておけなかったという事情もありますが)。最低限今日食べるだけの銭さえあれば"明日のことは明日思い煩えばよい"というキリスト教を先取りしたような精神で日々を逞しく乗り切っていたことでしょう。さて、ここにおります猫八という男も、そんな江戸っ子の王道のような生き方でございまして…。

猫八「(火鉢にあたりながら)うぅー、今朝も冷えるなぁ。おい、おっぁ!メシはまだか?メシにしてくりょお!」

女房「ちょいと、お前さん。もう、夕べの話忘れたのかい?ウチに米なんかもう一粒も残ってやしないよ」

猫八「えぇ?どうしたい、ねずみに食われたかい?」

女房「もう、何言ってんのさ。お前さんが遊んでばかりでちっとも稼いできてくれないから、もう昨日の分で米はすっかり無くなっちまったんだよ。夕べ話しただろ?そしたらお前さん、『分かった。じゃあ明日からまた働くから、あと一日だけ辛抱してくれ』ってそう言ったじゃないか」

猫八「ああ、そうだったな。じゃあ、一服つけたら行くから…って、もうタバコもねぇのか。ちっ、仕方ねぇなぁ。じゃあ、ちょっくらひとっ稼ぎしてくるか。おう、おっぁ。ちょいとそこの編み笠取ってくれ」

女房「え、編み笠?雪なんか降ってないよ?」

猫八「違うよ。その編み笠をお地蔵さんの所へ持ってって被せてくりゃあ、今晩あたりわんさか褒美ほうびを持ってきてくれるに違ぇねぇって算段だ」

女房「ったく、何バカ言ってんのさ。そんなおとぎ話みたいなことあるわけないじゃないか。ほらお前さん、物真似が得意なんだろ?さっさと人通りの多い所へ行って、ウサギとか亀の声真似でもして、ひとっ稼ぎしてきとくれよ」

猫八「おめぇも随分と無茶なこと言うなぁ。オレは生まれてこの方、一度もウサギと亀の鳴き声なんて聞いたことねぇよ」

女房「あら、ウサギと亀ってのは鳴かないのかい?あたしゃ、てっきり『キュー』とか『ピー』とか鳴くのかと思ってたよ。…まあ、何でもいいからさ、早いとこ行って稼いできとくれよ」


 なんてんで、この猫八という男、前々からカネが無くなるってぇと、大道へ出ていって動物の声真似なんかして小銭を稼いできてたんですね。で、今回も女房に言われた通り、人通りの多い所を目指して亀戸の天神さまへと出掛けていきました。一方その頃、鷹狩りの帰りに亀戸辺りを通り掛かりました紀州の殿様が、ふと道端に咲く満開の梅の木に感銘を受けまして、急遽そこで家来と共に梅見をしようということになりまして…。


殿様「これ、三太夫。見よ、この繚乱りょうらんたる梅の花。誠にもって天晴れじゃによって、しばしこれにて梅見をするぞよ」

家来「はぁ上様、さようにござりますか。では、只今こちらにゴザを敷きますゆえ…(敷いて)…どうぞ上様、お掛け下さいませ」

殿様「うむ、苦しゅうない。…おお、見事な梅じゃのう。あたかも、龍が大地を這うようじゃ」

家来「おお、さすが上様。たとえが実に言い得て妙ですな」

殿様「さようか、余は満足じゃ。うむ、気分が良い。では、一首詠もうではないか。…『東風こち吹かば 匂ひおこせよ臥龍梅がりょうばい 紀州の地にも 春を届けよ』…どうじゃ?」

家来「ははぁ、さすが上様。何と申しましょうか、かの菅原道真公を彷彿ほうふつさせるようながくを感じますなぁ」

殿様「さようか。余にはやはりがくが備わっておるか。そちもなかなか良く分かっておるのう」


 なんてんで、ほとんどもう菅原道真のパクリのような和歌を詠んで殿様すっかりご満悦で…。と、そこへちょうどやってまいりましたのが、これから天神さまへ向かおうというところの猫八でございます。思わぬ所で、どこぞの殿様が花見をしてましたもんですから、「こりゃあちょうどいい」ってんで後ろからこっそり近づいていきまして、ウグイスの鳴き真似なんか始めまして…。


猫八「(口笛で)ホー ホケキョ」

殿様「おや、ウグイスか?うむ、綺麗な鳴き声じゃ。やはり梅にはウグイスがよく合うのう」

猫八「(口笛で)ホー ホケキョ ケキョケキョケキョ」

殿様「おお、可愛いもんじゃのう。あたかも余の話を聞いておったかのようじゃ。これウグイス、もそっと鳴いてみよ」

猫八「(口笛で)ホー ホケキョ ケキョケキョ トッキョキョカキョク」

殿様「ほっほっほっ、なかなか茶目っ気のあるウグイスじゃ。今度はホトトギスの声で鳴きよったぞ。これ、ウグイス。もそっと鳴いてみよ」

猫八「(口笛で)ホー ホケキョ ヨッ トノサマ ニッポンイチ」

殿様「ほっほっほっ、何じゃよう分からんが、実に珍しい鳴き方をするウグイスじゃのう」

猫八「…へへへ、恐縮でございます。今のはですね、『ヨッ、殿様!日本一!』と言ったんでございまして」

殿様「うむ?…何じゃ、ウグイスの声の主はそちであったか。うぅむ、なかなかに見事な鳴き真似じゃ。これ、褒美ほうびを遣わすじゃによって、もそっと芸を見せてみよ」

猫八「へぇ、では僭越せんえつながら…(口笛で)ホー ホケキョ ヨッ トノサマ ニッポンイチ サンゴクイチ テンカイチ」

殿様「ほっほっほっ、器用なもんじゃ。ときに、今のは何と申したんじゃ?」

猫八「今のはですね、『ヨッ、殿様日本一!三国一!天下一!』と申しましたんで」

殿様「うむ、天晴れじゃ。これ三太夫、この者に一両遣わせよ。…これウグイス芸人よ、もそっと鳴いてみよ」

猫八「へぇ、でははばかりながら…(口笛で)ホー ホケキョ ヨッ トノサマ イイオトコ アタマイイ ケンノウデモタツ」

殿様「ほっほっほっ、今のは何と鳴いたのじゃ」

猫八「へぇ、今のは『ヨッ、殿様!いい男!頭いい!剣の腕も立つ!』と鳴きましたんで」

殿様「うむ、見事じゃ。これ三太夫、この者に一両を」


 なんてんで、猫八ったらすっかり殿様に気に入られまして、小判もたんと稼ぎましてホクホク顔でその日は帰りました。やがて、二月ふたつき放蕩三昧ほうとうざんまいを続けてますてぇと、せっかくお殿様から貰った大金もさすがに底をつきます。で、例によってまた女房が『米が無い』なんて言うもんですから、仕方なくまた働こうかってんで重い腰を上げましたところに、舞い込んでまいりましたのが参勤交代用人足にんそくのアルバイト。実はここだけの話、昔の大名行列というのは全体を華々しく見せるために、結構この手のサクラを雇っていたようでして…。

武士「これ町人、お主はこの挟箱はさみばこを持て」

猫八「へぇ、お侍さん。あのぅ、あっしはこれを担ぐだけでよろしいんで?」

武士「さよう、お主はそれを持ち品川宿まで歩くだけでよい」

猫八「うはっ、それならおやすい御用で。いやぁ、有難てぇなぁ。これだけで一日分の日当が貰えるんだから」

武士「よいか、町人。お主はあくまで紀州徳川家の一員として、大名行列に参加するのだぞ?」

猫八「ガッテン承知で。本日は一日、紀州藩のために精一杯働かせていただきます」

武士「うむ。ではこれより、紀伊國きいのくにへ向けて交代いたす!皆のもの、いざ出発!」

猫八「(歩きながら)へへへ、こりゃあいいや。町人みんな土下座してら。…て、何のことはない、オレも実は町人なんだけどな。こんな面白い仕事があるんなら今後も続けようかな、へへへ。…下ーにぃ、下に!…下ーにぃ、下に!」

武士「(歩きながら)これ、そこっ。お主は『下に下に』と言わんでよいっ。これを言うのは先払いの役目だっ」

猫八「あ、さいですか。こりゃ失礼致しました。…何だ、サクラは言っちゃいけねぇのか。つまんねぇなぁ。…でも、手ぇくらい振ったっていいだろう(沿道に笑顔で手を振る)」

武士「これ、そこっ。何をしておるっ。余計なことはせんでよいっ。じっとしとらんかっ」

猫八「あ、さいですか、すみません。…何だ、手も振っちゃいけねぇのか。つまんねぇな。オレ、根が芸人だから、つい何かやりたくなっちゃうんだよな。…口笛ならいいだろ。(口笛で)ホー ホケキョ ホケキョ ケキョケキョケキョ」

武士「これ、そこっ。何度言ったら分かるのだ。最前から妙な真似をするなと申しておるだろっ」

猫八「いえいえ、あっしじゃありませんで。野生のウグイスが鳴いてるんで。…ふぅー、危うくバレるとこだった。…(また口笛で吹く)ピ〜ピピ〜 ピピ〜ピピ〜 ピ〜ピ〜ピ〜 ピピ〜♪ ピ〜ピピ〜 ピピ〜ピピ〜 ピ〜ピピピピ〜ピピ〜♪(←暴れん坊将軍のテーマ)」

武士「こら、何遍言ったら分かるんだっ。…あっ…見ろ、お主のせいで大名行列が止まってしまったではないかっ。大変だ、これはきっと上様にも知られてしまったに違いない。…これっ、手前と共に上様のもとへ謝罪に行くぞっ。来いっ」

猫八「(走りながら)え!?あっしが悪いんですかぁ!?あっしはただ、紀州徳川家の大名行列を盛り上げようと思っただけで…」

武士「(走りながら)余計なことはせんでよいとあれほど言ったろうにっ。下手をすれば、お主はもう上様に斬られるかもしれんからなっ。そのつもりでいろよっ」

猫八「(走りながら)ええ!?そんな殺生なぁ!お殿様ーっ、勘弁して下さいよーっ!」

武士「上様、誠に申し訳ござりませぬっ。手前の監督不行き届きにより、この者が行列の和を乱しましたことを、ひれ伏してお詫び申し上げますっ(土下座する)…これ、お主も土下座せぬかっ」

猫八「…あ、すみませんでしたお殿様!どうか、どうか命だけはご勘弁を!(土下座する)」

殿様「(馬上から)うむ?…これ、そのほうおもてを上げい。これ、おもてを上げいと申しておる」

猫八「(少し顔を上げ)…へ?…あっしですか?」

殿様「そうじゃ。…ん?そちは、やはり先だっての梅見の折の…」

猫八「えぇ?…(顔を上げ)…ああ、あの時のっ!いやぁ、お殿様は紀州のお殿様でしたか!」

殿様「いかにも、余が紀州藩主の徳川頼宣じゃ。…ときにそち、ここで何をしておる?相変わらず梅の木の下で稼いではおるのではなかったのか?」

猫八「いえいえ、あれから二月ふたつきほど経ちましたので、今はサクラで稼いでおります」


 この時の梅見がきっかけで、紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣により国許くにもとに梅の木が大量に持ち込まれました。以後、和歌山は日本一の梅の産地となったということです。本当かね…。


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