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落語(34)芭蕉忍-近江編-

◎「奥の細道」では、芭蕉が弟子の路通ろつうとともに福井県の敦賀つるがを発ち、途中どこをどのように通って終点の大垣に至ったのかは未だ謎のままのようです。おそらくこの"空白の五日間"は「皆さんのご想像にお任せします」ということなのでしょう。というわけで、今回は芭蕉と弟子が近江おうみ(滋賀県)の木之本きのもとまでやってきたという設定から、毎度のごとく馬鹿馬鹿しいお話が始まりまして…。

芭蕉「(五七五で)おい路通ろつう ちょいとここらで 休まんか」

弟子「え?先生、もう疲れはったんですか?まだ四半里しはんり(1km)しか歩いてないですよ?」

芭蕉「そう言うが わしは四月よつきも 旅してる。体にも さすがにあちこち ガタきてる」

弟子「何言うてはるんですか、先生らしくないなぁ。忍者は一日に五十里(200km)駆けられるのが基本でっせ?」

芭蕉「言うけどな 忍者もしょせん 人間だ。雨風に 野ざらし紀行じゃ 弱くもなる」

弟子「ちょっと、どうしたんですか先生。随分弱気やないですか。ひょっとして具合が悪いんとちゃいますか?困ったなぁ。大垣まであと十里は歩かなあかんねんけどなぁ。…よし。こうなったら先生、馬で行きましょか?」

芭蕉「馬で行く? 馬というのは 馬のこと?」

弟子「当たり前やないですか、先生。馬以外に何の馬があるっちゅうんですか。まさか竹馬で行こうっちゅうんじゃないんですから」

芭蕉「お馬さん 一体どこから 連れてくる?」

弟子「簡単やないですか。そんなもん、そこらの馬小屋からかっ払ってくりゃええんですわ」

芭蕉「おい路通ろつう お前はいまだに 変わらんな。品行の 悪さいやしさ 今なおか」

弟子「人聞きの悪いこと言わんで下さいよ先生。それを言うなら『生命力が強い』言うて下さい。背に腹はかえられぬ。生きてく為には、いざとなれば他人の物だってる。これは言うたら知恵ですよ、知恵」

芭蕉「盗っ人が 猛々たけだけしいとは このことか。旅の供 曾良そらを選んで 正解だ。お前なら 出だしの三日で 頓挫とんざした」

弟子「何言うてはりまんねん、先生。曾良そら曾良そら、俺は俺ですわ。結果的に曾良そらがポシャってしもた以上、今は俺が先生のお供なんですから」

芭蕉「何であれ 他人様ひとさまの馬 っちゃいかん。ここはもう 奮発して駕籠かご 乗っちゃおか」

弟子「お?駕籠かご乗っちゃいますか?じゃあ、支払いは幕府の経費でってことで。よし、そうと決まれば…お、ちょうどあそこに駕籠屋かごやがおるな。おーい、駕籠屋かごやぁ!ちょっと乗っけてってくれ!おとな二人や!」

駕籠「へい、毎度。どちらまで?」

弟子「美濃みのの大垣や」

駕籠「美濃みのの大垣ですね?へい、承知で。ガンガン走りまっせ。なあ、相棒!兄弟!」

弟子「ここから大垣までなんぼや?」

駕籠「へい。一人一両で」

弟子「一両?高いな。もう少し負からんか?」

駕籠「そらぁ出来まへん。こちとら商いですわ」

弟子「ほう、そうか。ほんなら聞くけど、お前らこの先生をどなたと心得てんねん。この先生は俳聖・松尾芭蕉先生やぞ」

駕籠「松尾芭蕉?知りまへんがな。水芭蕉なら知っとるが」

弟子「なんやと無礼者!お前ら、俳諧はいかいちゅうもんを知らんのかいな!」

駕籠「俳諧はいかいなら知っとりま。五七五、七五三***ちゅうやっちゃろ?」

弟子「五七五だけでええっちゅうに!なんやねん七五三って!」

駕籠「わかりましたがな。ほな、そんな偉い先生やったら、今ここで一句詠んだりぃな。それでホンマに素晴らしかったら、美濃みのの手前までタダで乗せたりまっせ」

弟子「お、それはホンマか?よし、やったるわ」

駕籠「ただし条件がありま。近江おうみ八景の名所を、句の中に全部詠み込みなはれ」

弟子「近江おうみ八景を詠み込む?アホか。俳句なんかたった十七字しかないのに、そんなもん全部詠み込めるかいな」

駕籠「ほお、そうでっか。ほんなら、きちんと一両払いなはれ」

芭蕉「(五七五で)駕籠屋かごやさん それならひとつ こうしよう。五七五 発句ほっくを弟子が 先に詠み。七七の 脇句わきくを私が あとに詠む」

駕籠「ほう。それで五七五七七にするっちゅうわけやな。ほんなら三十一字やから出来るかもしれんな」

芭蕉「おい路通ろつう まずはお前が 五七五」

弟子「え?俺が先に詠むんですか?近江おうみ八景を五七五で?うーん、せやなぁ…よし。『矢橋やばせ瀬田 石山粟津あわづ 三井唐崎みいからさき』…はい、じゃあ先生。これに続けて七七をどうぞ」

芭蕉「堅田かたた落雁らくがん 比良ひら暮雪ぼせつや…」

駕籠「なんやそれ。『矢橋やばせ瀬田 石山粟津あわづ 三井唐崎みいからさき 堅田かたた落雁らくがん 比良ひら暮雪ぼせつや』…ただ名所を順ぐりに並べただけやんか。こんなもんワシだって出来るわ。…『比良堅田ひらかたた 唐崎三井粟からさきみいあわ 津石山ついしやま 瀬田の夕照せきしよう 矢橋やばせ帰帆きはん』…ふん、しょうもない。何が俳聖じゃ、アホらしい。悪いけどな、一両払わんのやったらウチでは乗せられへん。ほか当たりなはれ。おい相棒、兄弟。行くで。ほな、さいなら」

弟子「ああ、行ってもうた。何が気にいらんかったんやろ。ちゃんと近江おうみ八景詠み込んだんやけどな…」

芭蕉「これ路通ろつう なんださっきの ひどい句は。ただ地名 並べただけの 語呂合わせ」

弟子「ほな、先生やったらどう詠みなはんで?」

芭蕉「景勝地 並べてなおかつ 文にする。…『矢橋瀬田やばせたと いし山を見 粟津来あわづけり 三井みいから先は 堅田比良かたたひらかな』…」

弟子「『矢橋瀬田やばせたと いし山を見 粟津来あわづけり 三井みいから先は 堅田比良かたたひらかな』…おお、たしかに文になってますなぁ!なるほど。こんな風に作ればよかったんやなぁ。じゃあ、先生。また新しい駕籠屋かごや捕まえて、次はこの句を詠んでタダ乗りしましょや」

芭蕉「まあ待てや ここは近江おうみの 木之本宿きのもとじゅく。念のため 宿場の連句も 仕込んどこう」

弟子「ああ、そうですね。もしかしたら今度は駕籠屋かごやが『北国脇往還ほっこくわきおうかんの宿場の名前を入れた句を詠め』て言うてくるかもしれへんですしね」

芭蕉「よく聞けよ わしが見本を 見せるから。…『木之本を 谷の村越え 陸路かな いな水上すいじょうより 藤川いたり』…」

弟子「ん?『木之本を 谷の村越え 陸路かな いな水上すいじょうより 藤川いたり』…先生、さすがですね!木之本、小谷おたに、野村、春照すいじょう、藤川…北国脇往還ほっこくわきおうかんの宿場が見事に入ってますやん。よし。これを駕籠屋かごやにぶちかまして、タダで駕籠かごかつがせたろ。…お、ちょうどあそこに駕籠屋かごやが二丁おるな。おーい、駕籠屋かごや!ちょっと乗せてくれんか!おとな二人や!」

駕籠「へい、毎度。どちらまで?」

弟子「大垣までや」

駕籠「一人一両で」

弟子「高いな。負けてくれや」

駕籠「あきまへん」

弟子「頼むわ」

駕籠「ほな、北国脇往還ほっこくわきおうかんの宿場を句に詠み込んだったら、美濃みのの手前までタダで乗せたりますわ」

弟子「うほほ。何やよう分からんけど、トントン拍子で話が進んだなぁ。…先生。じゃあ早速さっきの句、ぶちかましたりましょうや。…おい、駕籠屋かごや。今から先生が五七五を詠む。そしたら俺がそれに続けて七七を詠むから。いいか、よく聞いとけよ。感動しすぎて腰抜かすな。…では先生、五七五をどうぞ」

芭蕉「木之本を 谷の村越え 陸路かな…」

駕籠「ほう、『木之本を 谷の村越え 陸路かな』…なかなか上手いやんけ。それに対してお弟子さん、あんたはどう続けるんや?」

弟子「三井みいから先は 堅田比良かたたひらかな…」

駕籠「ん?『三井みいから先は 堅田比良かたたひらかな』?……あんた、なに勘違いしとんねん。それ北国脇往還ほっこくわきおうかんやなくて、近江おうみ八景やないけ。アホらしい。こんなんタダで乗せられるか。ちゃんと一両払い」

弟子「駕籠屋かごやさん。そんな殺生せっしょうなこと言わんと。頼むわぁ」

駕籠「あかん。だって、今あんた間違えたやろ?発句ほっくはええけど脇句わきくがアカンじゃ…北国脇ほっこくわきは行かれへん」


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