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最近のもやもやを書いてみる

今読んでいる『思考整理学』に「とにかく書いてみなさい」と書いてあったので、最近のもやもやをここにアウトプットしてみます。ある種の”メタ記事”として。

正直言って最近惰性で生きているんじゃないか。

最近のもやもやを一言で表すとこれだと思う。惰性で生きちゃってる。
原因はたぶん具体に向かっていないから。そして、夢が未だに抽象的だから。自分の人生の生産がゼロだという感覚が怖い。自分の今の生活の中心がなんとランニング。毎日せっせと走っています。世界のために何かしてますか?って聞かれても、ランニング中の挨拶くらいなもんです。(笑顔で挨拶して相手も笑顔になって、ちょっと会話がうまれたら素敵だよね)
普段は好きなはずの勉強読書もあまり身が入らない。目的が見えなくて。

もしかしたら4月からの新生活に緊張してるとか、大学に行かない選択をしたことに疑問を抱いているとか、「大学行かない代わりに自分で価値ある4年間を作る」っていう目標に焦りを感じているとか、それも自分の生活のもやもやになってるのかもしれない。

理想と現実のギャップ

自分の夢に沿った理想があって、でも今の生活がそれとは程遠いからもよあもやするというのもあるはず。アントレプレナーシップに出会った19歳の自分が思い描いていた20歳って、もっと、なんというか、確実なものを持っていた。少なくとも世界に貢献している実感を持っているはずだった。

理想の二十歳
→”人生100年かけて世界をよくする”夢に向かって、何かしら具体的なものに向かっている。そして、それが世界のためになっている実感を得ている

現実の二十歳
→去年の12月に二十歳になって、だけどその時は入院中。
19歳で起業の失敗、インターン始めたら鬱が再発、そして追い打ちをかけるように無職になった
そんなこんなしていたらよくわからない20歳になっている

そんな時救いになる偉人の言葉

「アリババの野望」という本があります。実際はアリババの野望ってよりか、ジャックマーとアリババの半生を描いた伝記的な本ですが。20歳になりたてですごく焦っていた時はこれにすごく救われました。だって、今をときめくアリババの創業者だって、20歳のことは伝記にも入らない感じだったんです。それにそのあとも30歳くらいまでは失敗をたくさんしています。

自分、平気じゃん?と思ったものです。(それでも焦るのが人の性なのかしら)
ジャックマーの言葉には大きな力を感じます。

あと、「メンタリストDaiGoの心を強くする300の言葉」という本もすごく良い。これは自分のメモ用ですが169.170.185.206.209.232.234.250が最近心に響いた言葉です。読むときのこころのもやもやが変わると心に響く言葉も変化するから不思議です。

社会を見ていない問題

自分のもやもやの一つ”夢が具体化していない問題”の原因を探ると、自分が社会の問題に対して積極的態度で接していないというファクトが見えてきます。
世界の何を、何の為に変えるのか。これを見つけたいし今の自分に必要なのはこれだと思う。ビジネスのためのインプット(How)はしていても、社会の状況のインプット(Whyの原石)が圧倒的に足りていない。

フードロス問題を解決しようとしていた時はそれが人生の中心で、ワクワクしていたし、新しいスタイルのフィットネス事業を立ち上げていた時も、それが実現する未来にワクワクしていた。

自分の向かいたい先が見えてくるとワクワクするし、それが人生をキラキラしたものにしてくれると思う。(=もやもやの反対側に行ける!)

人生には波がある

人生には波がある。
上がるとき、下がるとき、半端なく上がるとき、底辺まで落ちるとき。
それを理解すること。
私はいまはニュートラルなんじゃないかな。
いいような気もするし、悪いような気もする。
人生のゆらぎは神のみぞ知る。自分では操作できない部分もあるよ、と自分に言い聞かせるし、たぶん実際正しいと思う。

人はずっと何者でもないのかもしれない。

朝井リョウの「何者」が高校生の時のバイブルだったので、自分が何者か、は自分にとって常に大きなテーマです。

人生の評価はどこまでも主観的であるべきで、”何者か”、は自分で判断していいことだと思う。が、これって本当に自分が定義するもので、変化することだから悩むんですよね。自分の価値観も自分の人生も変化するから、自分が何者なのか見失っているような気がしてしまう。

私の母を見ていると”何歳だから、こう”っていうのは本当に存在しないんだなと感じます。55歳になったら挑戦できないとか、そんなのないよ、と母は背中で語ってくれます。
挑戦する時、諦める時、満足する時、つらい時、幸せな時は人によってばらばらだしそれでいい。なんかよく言う話だけれど。

19歳の自分は自分が何者かが見えていた。けどそれが変化してきて、今は次の”何者”かになる過渡期なんだと思います。人生の波でいうと、次の波を待っている状況。そして、その次の波は4月からの新生活なんだと思います。

4月の抱負

4月から新しい職場で働く。新生活です!また新しく社会に出ます。

新しい波を受けるのがちょっとこわいのは確か。何が得られるか、どんな人生になるか、決まるような気がしてしまう。人生は日々の積み重ねだからどんな日々が待ってるかわからないと怖いし不安。

だけど、最高の仲間と働けるという期待と、今までと全然違うコトに向かえるというワクワクを胸に、いい意味で社会の汚れを知っていきたいと思います。社会の埃とかも含めて知りたいと思います。

具体に向かいまくること、タスクをバンバンこなしまくること、いろんな”個人”と話すこと。そこから何か生まれる予感がする。


最後に。書いて、寝かせて、推敲して、とても思考が整理された。ありがとう、『思考の整理学』!

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