見出し画像

言えるようになるまでの時間、癒えるまでの時間。#174

時々、思いもよらぬ過去をさらりと話されて、咄嗟に言葉が出ない時があります。

1人目の育休中、柴さんのお散歩中に出会ったおばさん。年齢は母親位で、60~70代位。

初めて会った時は、おばさま達の集団で、犬を連れている人、いない人もいて、ややその数に圧倒されました。

中でもそのおばさんは、私を見つけるといつも一番に声を掛けてくれました。

ある冬の日、珍しくおばさん1人で、柴犬を連れていました。

「私、29歳で死産してね、38歳で初めて出産したの。」

え…。すぐ言葉が出ずにいると、この近くに住んでいること。連れている柴犬は、同居しているご夫婦の犬で代わりに散歩していたらしいこと。そのご夫婦もすごくいい人だから、何かあれば子どもを預かったりもできると思うから言ってね、ということも付け加えてくれました。

冬の夜みたいに真っ暗な早朝。でも雪あかりで妙に神秘的な雰囲気が漂う中、きっと本当に甘えて子どもを預けることはないだろうけど、そこまで言ってくれる人がいることで十分で、心はじんわりと温かかった。

と同時に、29歳から38歳までの時間を、どう過ごしたのだろう。あんなにさらりと言えるようになるまでに、どれだけの時間がかかったのだろうと想像すると、胸がギュッとなった。

おばさま集団は、6:30頃に何となく待ち合わせて皆でお散歩しているらしいこともいつか聞いた。

よく会えていたのは出産前からワーママとして復帰していた頃まで。今はすっかり生活リズムも変わり、その時間にお散歩できることはなくなった。

たまにふと、また会いたくなります。

いつも2人で犬の散歩をしているご夫婦。自分の親より少し下の世代位で、勝手にお子さんのいないご夫婦なのかなと思っていました。

珍しく奥さん1人で散歩をしていた時、自分の子育て時代の話をしてくれたので、もうとっくに成人している大きなお子さんがいたんだなぁと思いながら聞いていたら、さらりと24歳で亡くなったんだけど~と言っていて、あまりにさらりと言ったので聞き間違いかと思いながらも、聞き返すこともできず。

今こうして私にさらりと話してくれること。
さらりと言えるようになるまでの時間のことを想像してしまう。

それまでのことはもちろんわからないけれど、ひとまず今目の前にいるその人は、言えるようになっていることに、少しは癒えているのだなと、せめてそこは良かったなと、安心するというのも変だけど、そう思う。

そして、話してくれたことを、嬉しいなとも思う。思いがけずに一瞬人生を預けてもらったような、はおこがましいか。表現が見当たらないけれど、とりあえず、今はきっと大丈夫なんだろうと確認できたことが、嬉しくなります。


さぁ

今日も

新しい一日が

始まります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?