あっ、もういい思い出に変わってたんだと気づく瞬間。#189
ふと思ったことをそのまま書いているこのnoteですが、当時はちょっとした傷を追った思いでいた出来事のことを気づいたら書いていました。その出来事の良かったことを。
書いてみた後で、「あっ、もういい思い出に変わっていたんだ。」と気づきました。
以前、「言えるようになったのは、少しは癒えている今があるからなのかも。それなら良かった。」と思った話を書きました。
書けるようになったという事は、癒えているからとも言えるのかもしれません。
そういえば、助産師さんが2人でやっているお気に入りのYouTubeがあります。
「産まれる」って、私たちは十月十日お腹の中で過ごしてからオギャーと産まれることを想像すると思いますが、それだけが産まれるということではないのだとか。
赤ちゃんによっては、お腹に少しでも来れたことで満足してお空に帰ったり、産まれてお母さんに抱っこしてもらって良かった~と思ってまたお空へ戻って行ったり、それぞれで、それも全て「産まれる」ということみたいです。
どんな形になるとしても、それを分かってお腹に来るとも聞きました。
そんな世界の話も、あの出来事のおかげで知ることができました。
できれば十月十日お腹にいてもらって、この手で抱っこしたいと思ってしまいますが、この世に暮らす人間が本当に多種多様なのだから、この世に出る前の赤ちゃんだって、多種多様なのも自然なことなのかな?と今なら思います。
「私はお腹に1回来てみたかっただけだから!ちょっとね、どんなもんか知ってみたかったのよ。私は、1回でいっかな!てことで、帰るね!」
っていう子も、いるのかもしれない。
まるで食べたことなかった食べ物を食べてみたくて、1回でいいわ、と感想を持つように。
「私はね、抱っこっていうのを、されてみたかったの。すごく幸せだね。なんかそれですごく満足しちゃったから、もう帰るね!」
っていう子も、いるんじゃないのかな?
この世の人間が思う幸せと、この世に出る前の赤ちゃんの幸せって、意外と全然違ったりするのかもしれない。
え?そんなことで?っていうことで、実は満足しているのかもしれない。
満足してくれていたら、いいなと思います。
さぁ
今日も
新しい一日が
始まります。
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