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昔の記憶は鮮明で美しい件。

「私が子どもの時、こういう時はどうしてた?」

最近の長女は、娘(1歳8ヵ月)のあれやこれやが気になる。
イヤイヤ期に突入し始めた娘の成長を観察しては、一応お母さん(私)の意見も訊いておこう、的なスタンスで。

自分中心に世界が回っていたアノ長女が、こんなにも自分以外の存在に、我が子とはいえ真剣に向き合って子育てしている。
私はそれが嬉しくて、少しでも長女にアドバイスできればと、はるか昔の子育てを思い返している毎日だ。

記憶というのは面白い。
一つ思い出すと、不思議と芋ズル式に次々と昔の記憶が蘇る。

・年少の時、隣の席の子のサッカーボール形のおにぎりを何も言わず取って食べた話。
・ミッキーに初めて会って、喜ぶどころか固まった話。
・本番に弱くて、発表会で発熱嘔吐した話。
・入学一週間で「カメの池が汚いから水を替えてください」と校長室に直談判した話。
・小ズルいPTA副会長の娘に長女がハメられ、長女の名誉のために震えながら反論した(私の)武勇伝。
・相撲大会で戦わずして土俵を下りた話。
などなど、、、

私は子育てに悩みもしたけど、間違いなく毎日が楽しかった。
娘たちの思春期は冷戦もあったけと、挫折は一緒に涙もした。
濃密な時間は何年たっても鮮明なのだ。
一生懸命で真剣に向き合った時間は一番記憶に残っている。

長女の問いかけに、自分を顧みればみるほど、色んな出来事を次々と思い出す。
どれもこれもいい思い出で、そっと胸にしまっておきたい。
、、、と同時に、思い出したこの話や武勇伝、私の輝くこの思い出を誰かに話したくもなっているのだ!!


あれ?、まてよ、、、

晩年、義母は自分の幼い時の話ばかりしていた。
義母のアレは、こういうことなのか?


義母は80歳頃から何十回と同じことを話していた。
アノ話、アノ時代が、義母にとって一番鮮烈で、一番一生懸命生きていた時だったのだ。
(終戦間近の疎開していた時の話と、オットが学校の先生に褒められた話)
「お義母さん、その話もう百回は聞いたよ~!」
「そうかいねぇ」

もっと聞いてあげればよかったな、、、


最近、瀬戸内の島生まれの義父は島での子ども時代の話をよくする。
うちの父も子ども時代ヤギを飼っていた話をよくする。
義父や父も、子どもの頃が一番楽しくて、自分主人公で生きてきた濃い時代だったのだろう。
人は、大人になると自分のためというよりも、家族や誰かのために生きているかもしれない。
高齢者が子ども時代の話をするのは、子ども時代が毎日真剣で、毎日発見で、忘れたくても忘れられない自分のための時間だったからなのかもしれない。
(ちなみに、母はまだ昔話をしない、、、笑)


私が年を経ったら、どの話を繰り返し繰り返しするのだろう?
アレか、コレか、、、
候補になりそうな話はいくつかある。
恥ずかしい、、、
いつかの段階できれいな話に記憶をすり替えておく必要があるなぁ(笑)

とはいえ、私はまだまだ50代。
思い出話に浸る前に、今が一番!今が青春!と言える毎日を過ごさなくては、と思うのである。

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