論破型コミュニケーションによる弊害
システム開発の現場では、しばしば正解の存在する議論が行われる。
1足す1は2以外の何者でもなければ、Aとaは絶対的に異なる存在であるからだ。
経験が長いことをはじめ努力により培われた絶対値により、これらの正解は集積される。
システム開発の現場では、正解を求める議論が行われる。
ツールやフレームワークの選定、善し悪しの判断は一様ではない。
絶対的な正解とは異なる判断においても、経験が長い人間は強い。
ベストプラクティスの名の元に他者以上の知見を披露し、ときに論破する。
システム開発の現場では、アイディアを募る議論が行われる。
アイディアに正解はないが、正解を求められないコミュニケーションを普段行わないチームでは最もらしい結論を求める。
最もらしい結論を、最も持っていそうなのが、平時正解とされる意見を発信している人間だ。
平時の正解の数は、絶対的に導くことができる。
正解を発信する人間の言葉はいつも正しそうに聞こえるから、意見も採択される。
論破型の人間は、意見が採択されることと、正解を提示したことを混同する。
被論破者の意見は、まるで不正解として葬られる。
葬られる意見なら、言わない方がマシだ。
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システム開発の現場では、正解を求める議論が行われる。
今日の議論はイーサリアムブロックチェーンについて。
いつも正しいとされるブロックチェーン有識者の論破的発言は、
いつものように採択される。
彼の信頼貯金(実績)はビットコインやリップルなど、イーサリアムとは別物のブロックチェーンに関する議論の中で産まれた。
また彼はイーサリアムには詳しくないが、いつもの癖で悪気なく正しそうにものを喋る。
一方、被論破の立ち位置がいつもの癖である別の彼は、偶然イーサリアムを使ったゲームやサービスに明るく議題についても詳しかったにも関わらず、自分の意見を葬った。
正しかったかも知れないのにである。
これが、論破型コミュニケーションの弊害かと。
論破者の意見が正解になり集合知が募られない。
論破者も普段から結論ばかり求められ、苦しい。
陥ってしまったら、抜け出すのは容易ではないのだ。
ちゃんと話し合っていきましょうというお話でした。
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