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原体験ヤクザ

私には特にやりたいことがない。

齢30が近づこうとしているが、それらしい夢や目標はなく、私を突き動かすのは煩悩のみだ。

私はそこそこの回数転職をした。何となくいいなと思った会社に声をかけると、何となくいいと思ってもらえてご縁があった。

そこそこの数の人にも会ってきた。仕事柄だったり、意識の高い友人の誘いを断れなかったり。人との出会いでも、第一印象はお互いによく、何度か飲みに行ったり盛り場に繰り出したりしてみたものだ。


会社でも、私的な友人関係でも、付き合いが煮詰まってくるとこんな話になる。

「あなたは何がやりたいの?」

字面こそ違えど、誰もがこのような質問に遭遇していることだろう。人生の夢とかビジョンとか目的とか、その類の問いかけを想像していただければ適切であろう。心当たりがあるひとは、ベストプラクティスを教えて欲しい。あればの話で結構だ。


私はどうかというと。質問があるたびに口ごもる。回答にはばらつきがある。嘘はついていないが、相手との間柄によって成し遂げたいことは仕事の目標にもなれば、海外放浪にもなった。

お茶を濁せた場合にはいいが、深掘りが始まるとさあ大変だ。その場が居酒屋なら置いてあるビールと唐揚げが、喫茶店ならコーヒーが、途端に恋しくなる。

会話を切り上げんと、戦略を頭が練り始める。ここが京都ならお茶漬けを出せば一発キルなのだろうか。


狼狽が続くと多くの相手はおきまりのカードを切る。

原体験ヤクザ(表題)だ


- 何か今まで辛かったこととかやり遂げたこととかないの?

- 子どもの頃の夢は?

質問側しか有利にならないように思えてならないこれらの質問には、飽き飽きである。課題や仕事は80点で切り上げてきたし、夢はその都度でっち上げた。以上だ。


原体験がある人は強い。知っている。

孫正義氏や最近で言えば前田祐二氏のエピソードに始まり、苦労を乗り越えて見出した夢を叶えるストーリーはキャッチーでそれでいて死角がない。

でも、誰にでもあるか?そんな苦節?

私にはない。正確には今でも鮮明に思い出せる喧嘩や失恋、舞台は想起できるが、一週間もすれば忘れて生きてきた。

また、苦労すれば大成するのであれば、教育論よりも死なない程度の育児放棄論の方が世の中には溢れるだろう。


原体験ヤクザは続ける。どこかではめこまれたフレームワークの通りに自身のストーリーを語る。誰でも大なり小なりイジメたりイジメられたり、インドに行ったり行かなかったり、そんなもんだろう。

原体験ヤクザのボキャブラリーは均一で面白みがないので、説教が始まれば私の頭の中には最近聴いている音楽がリピートで流れる。空になったビールの代わりに空白を埋めてくれる。

ヤクザのエピソードを一通り消化して、神妙な顔をして、自分も考えてみるとか、そんなコメントで話を切り上げたら最悪な時間の完成だ。


原体験がないことは罪か?自分の人生の棚卸しを怠っているのか?


考えている暇があったら、私は近所の銭湯に出かけるので未だに答えは出ない。誰か代わりに考えて、教えてください。

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