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プーチン大統領の憲法改正について

 2020年1月15日、プーチン大統領は議会に向けた年次教書演説を行いました。演説の大部分(あるいはほぼすべてと言っても良いと思われますが)は内政に関わるものであり、なかでも憲法改正に関する話題は国内外で反響を呼びました。
 教書演説の5日後には「公権力の組織に関する諸問題の調整の完全化に関して」と名付けられた憲法修正法案が大統領から国家院(ロシアの下院)に提出され、23日には法案採決の第1段階である第1読会を通過しました。また、年次教書演説の後、プーチン大統領は「ロシア連邦憲法修正案の準備に関する作業部会」の設置を指示しており、現在作業部会では法案の修正等が行われる第2読会に向けて準備が行われています。
 今回の記事では、ロシア連邦憲法が定める憲法改正手続について確認し、年次教書演説の憲法改正に関する部分を読みながら、大統領提出法案の内容を検討していきたいと思います。なお、憲法条文の訳出には『新解説世界憲法集 第4版』(三省堂、2017年)を参考とさせていただきました。

ロシア連邦憲法が定める憲法条文の変更手続

 本題に入る前に、ロシア連邦憲法(以下、憲法)が定める憲法条文の変更手続を確認しておきます。この流れを図にしたものが次になります。

憲法修正

 まず、憲法134条では、憲法の修正と改正の発議権の帰属先が示されており、これによればロシア連邦大統領、連邦院(ロシアの上院)、国家院、ロシア連邦政府(内閣)、ロシア連邦構成主体の立法(代表)機関、そして連邦院または国家院議員の5分の1以上で構成される団体が憲法条文の変更について発議することができます。
 次に、憲法の修正(поправка)と改正(пересмотр)について分けて考える必要があります。まず、憲法修正とは、憲法136条にあるように、憲法第3章から8章までの条文の変更のことを指しており、これは連邦憲法的法律(憲法に関する事項について定めるもので、連邦法よりも厳格な立法手続を必要とし、大統領の署名拒否権が認められていない法律)の採択と同様の手続で実施されますが、施行されるのはロシア連邦構成主体の3分の2以上の立法機関が承認した後とあり、連邦憲法的法律の採択よりも厳しい条件が設けられています。より具体的な手続については「ロシア連邦憲法修正法案の採択及び施行の手続に関する連邦法」で定められており、細かい内容は割愛しますが、上図にその諸規定を反映しています。
 次に、憲法改正の場合には、さらに厳格な手続を経なければなりません。憲法135条が定めるように、憲法改正は憲法第1章(憲法体制の基礎)、第2章(人と国民の権利と自由)そして第9章(憲法の修正と改正)の条文変更のことを指します。まず、135条1項で「ロシア連邦憲法第1章、第2章及び第9章の条文は議会によって改正されない」と定められています。これは、憲法修正発議においては修正条文案を提案できるのに対して、憲法改正にあたってはあくまで改正の発議をするだけであることを強調しているものと思われます。第2項では、憲法改正に関する発議が上院と下院でそれぞれ議員総数の5分の3以上の賛成があれば、連邦憲法的法律に則り憲法議会が開催されるとあります。そして、第3項によれば、この憲法議会が憲法の不変更を決定し、または新憲法を起草するとあり、新憲法案は、憲法議会の構成員総数の3分の2以上の賛成があった場合か、または国民投票にかけられ、全有権者の過半数が投票に参加することを条件に、投票した有権者の過半数が賛成した場合に、採択されます。ただし、現状としてこの憲法議会に関する連邦憲法的法律は未整備のままです。
 なお、この記事の表題は「プーチン大統領の憲法改正について」としていますが、実際にプーチン大統領が国家院に提出したのは憲法修正法案ですので、厳密には「憲法修正」と言わなければならないかもしれません。ただ、日本では一般に「憲法改正」が用いられるので「改正」を用いている次第です。

プーチン大統領の年次教書にみる憲法修正案

 1月15日、プーチン大統領は議会に向けた年次教書演説を行いました。その録画と全文は以下のロシア連邦大統領府のホームページで確認することができます。ここでは、年次教書のうち、憲法修正に関係する部分に注目したいと思います。

プーチン大統領が示した7つのポイント

 プーチン大統領は憲法の変更に関して自らの立場を次の7つのポイントに分けて明らかにしています。まずは各ポイントの全体像を示した部分を引用し、次に具体的な内容を見ていきます。

(1)ロシアは主権国家であり続ける。国民の主権は絶対的であるべきだ。
(2)国家安全保障及び国家主権の保障にとって極めて重要な職務に就く者に対する条件を憲法に規定することを提案する。
(3)我々の課題は国民の高い生活水準の保障、すべての国民の機会平等であり、国家プロジェクトはまさにその目標達成に向けられている。
(4)ロシアは広大な国であり、それぞれの連邦構成主体にはそれぞれの特性や問題、そして経験がある。これらすべてが考慮されるべきだ。
(5)国家院に議席を持つほぼすべての政党は、議会が政府の形成により多くの責務を果たす準備があると考えている。
(6)いわゆる力の省庁の長の任命について、大統領がこれを連邦院との協議の結果に従い実施することを憲法に規定するよう提案する。
(7)法と国民の権利の保障において最重要の役割を果たしているのは法的システム、つまり憲法裁判所と最高裁判所である。

(1)主権国としてのロシア

 プーチン大統領は、ロシアの法的空間におけるロシア憲法の優越性を直接保障するようないくつかの変更を憲法に加える時が来たとし、それが意味するところは、「国際法、条約そして国際機関の決定の要請は、これらが人と国民の権利や自由の制約をもたらさず、また憲法に反しない限りにおいて、ロシア国内で効力をもつ」と述べました。この点について、日本のメディアでは日露交渉に影響が出るのではないかというメディアの指摘も出たりしました(1月17日付北海道新聞「ロシア憲法、国際法より上位」日ロ交渉に影響も)。これについては、プーチン大統領が議会に提出した修正法案を検討する際に触れたいと思います。

(2)公人の条件の厳格化

 プーチン大統領は、国家に仕えることの使命とはまさに奉仕であり、この道を選んだ者は、なによりもまず、自らの生活とロシアつまり国民とを結び付ける決意をしなければならず、ここにいかなる中間音も仮定もない、と言っています。そのために、大統領や議員、閣僚、連邦構成主体その他国家機関の長や裁判官は、外国籍や国外での定住権を保障するような権利を有していてはならないとし、特に大統領に関してはより厳格に、25年以上のロシアでの定住という条件と、外国籍やその他外国での居住を認めるような権利を、選挙時だけではなく、過去いかなるときも保有していてはならないという条件を提案しました。また、2期以上の任期を同じ人物が続けることの禁止については、「本質的な問題とは思わないが、賛成する」としました。

(3)国民の高い生活水準の保障

  ここでは「成長計画としての国家プロジェクト」の実現が国民の高い生活水準のための手段であると謳われています。この国家プロジェクトとは、2018年に大統領に再選を果たしたプーチンがその直後に署名した大統領令「2024年までのロシアの発展のための国家目標と戦略的課題について」に基づき策定された一連の計画で、保健や医療、教育、環境、科学、文化、デジタル経済、中小企業支援等々、幅広く社会経済の13分野について予算が充てられ、生活水準の向上のための事業が進められていくことになっています。ただ、この計画の進捗状況をモニタリングしている会計検査院の長官であるアレクセイ・クドリンは、プーチン大統領への報告で予算が効果的に執行されていない現状を指摘するなど(11 дек. 2019 г., Встреча с главой Счётной палаты Алексеем Кудриным, Президент России)、プロジェクトが思うように進んでいない状況はメディアもしばしば報じています。また、予算を執行するにも煩雑な手続があり、役人の怠惰な仕事ぶりや蔓延る汚職等はよく知られるところです。
 この文脈で、プーチン大統領は国と地方の乖離が教育や保健など様々な分野での問題につながっていることはご承知のはずだと議会に訴えかけ、公権力の統一的体系という原則を憲法に明記し、国と地方が効果的に相互作用することが不可欠だと述べます。同時に、人々の生活レベルに最も近い地方自治体の権限や可能性も強化拡大することも必要だとして、中央集権的な発想とのバランスが図られているようです。
 さらに、国家の社会保障に関する責務として、労働人口の最低生活費を下回らない最低賃金を保障する規則を憲法に書き込み、また年金受給額の上昇率がインフレ率を下回らないように定期的に調整する年金制度を憲法で保障することが不可欠だと提案しました。

(4)地域の特性を連邦レベルの意思決定に反映

 プーチン大統領は、連邦構成主体の多様性を連邦レベルでの意思決定に反映させるために、「州知事の役割を大胆に強化することが不可欠だ」と述べました。そしてこの文脈において、プーチン大統領が2000年に設置した国家評議会を取り上げ、その仕事に「すべての地域の長が参加して」おり、「これまで国家評議会はその高い効果性を発揮してきており、評議会のワーキンググループは、国民や国家の重要な問題に関して専門的、全方位的で高度な審議してきた」と評し、国家評議会の地位と役割を憲法に明記することが適切だとしました。
 ここで国家評議会(Государственный Совет, State Council)について確認しておきます。これは2000年9月1日付大統領令により設置された諮問機関です。大統領令に示されているように、この設立の根拠法とされているのは憲法80条2項と85条1項です。

第80条2項:大統領は、ロシア連邦憲法、人と市民の権利及び自由の保証人である。大統領は、ロシア連邦憲法の定める手続により、ロシア連邦の主権、その独立、及び国家的統一の保全に関する措置を講じ、国家権力機関の調整の取れた活動及び相互作用を保障する。
第85条1項:ロシア連邦大統領は、ロシア連邦の国家権力機関とロシア連邦の構成主体の国家権力機関の間、およびロシア連邦の構成主体の国家権力機関相互の間の不一致の解決のために協議手続を利用することができる。協議による解決が得られない場合、大統領は、紛争の解決を所管の裁判所の審理に委ねることができる。

特に、大統領は「国家権力機関の調整の取れた活動及び相互作用を保障」(80条2項)し、「ロシア連邦の構成主体の国家権力機関相互の間の不一致の解決のために協議手続を利用することができる」(85条1項)という規定から、国家評議会の設立が導かれます。
 国家評議会の構成員は、ロシア大統領を議長とし、以下、連邦院議長、国家院議長、連邦管区大統領全権代表、連邦構成主体行政府の長、国家院政党代表から成ります。ここから大統領により任命された8名が幹部会を構成し(半年に1回交代)、業務計画や定例会合の議題、資料等について審議します。評議会の構成員には含まれませんが、大統領補佐官のなかから書記が1名選ばれます。

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国家評議会の全体会合(2019年12月26日開催)の様子

 また、国家評議会の基本課題としては次のことが大統領令に示されています。極めて国家的意味を持つ問題、つまり、ロシア連邦と連邦構成主体との相互関係に関する問題、国家及び連邦制基盤の強化に関する最重要問題を議論し、必要な提案を大統領に行うこと、また、連邦国家権力機関や連邦構成主体の国家権力機関、またその公務員による、憲法、連邦憲法的法律、連邦法、大統領による大統領令や指令の執行状況に関わる問題を議論し、大統領に提案する。連邦政府機関と連邦構成主体政府機関との間の紛争の解決のための合議プロセスにより大統領を支援する。さらに、大統領の提案に基づき、全国家的意義をもつ連邦法及び大統領令の草案について、具体的には、連邦予算法案の審議、連邦予算執行プロセスに関する連邦政府の情報に関する審議、ロシアにおける人事政策に関する基礎的問題の審議、その他の大統領から提案のあった国家的重要問題の審議を行うとあります。

 プーチン大統領の年次教書を文字通り受け取れば、国家プロジェクトの円滑な遂行のために中央と地方の連携は重要であり、そのための調整機関として国家評議会の地位を憲法で定めよう、という理解ができます。他方で、英語圏メディアでは、この国家評議会について、プーチン大統領の任期満了後にその権力維持のためのツールになるのではないかという見方がなされているのをよく見かけます(例えば、Jan. 16, 2020, Putin’s plans post-presidency could see him wielding influence for life, Washington Post)。この国家評議会について憲法修正でどのように規定されたのかについても注目する必要がありそうです。

(5)国家院の権限の拡大

  プーチン大統領は、社会が成熟し、責任感を強め、より高いレベルを要求するようになってきていると評しながら、国家院が組閣に対してより深く関与する提案をしました。
 現行の憲法によれば、大統領は国家院に首相候補を推薦し、国会では同候補について審議を行い、大統領が当該候補を首相に任命することに合意するかどうかを票決します。国家院が同意を与えれば、大統領は首相を任命します。今回の内閣改造では、1月15日に内閣総辞職があり、翌16日には国家院でプーチン氏の推薦したミハイル・ミシュースチン候補が演説し、投票の結果、史上初の反対0で議会の同意を勝ち取り、大統領により首相に任命されました。任命後、首相は大統領に対して副首相、連邦大臣候補を推薦し、大統領がこれを任命するという手順を踏みます。

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つまり、現行憲法での国家院の組閣プロセスにおける役割とは、大統領による首相の任命に関する同意をするかどうか、ということだけです。プーチン大統領は、これを次のように変更するよう提案しました。

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大統領の提案によれば、国家院が首相候補を決定し、さらに首相の推薦に基づいてすべての副首相と連邦大臣も決定します。そして、これらの候補を大統領は任命しなければならず、ここに拒否権はない、というものです。
 もし本当にこれが実現されれば、大統領の所属政党と議会の多数派政党が異なるアメリカのような状況になる可能性が出てきて、両者の利害が反した場合に困ったことになります。アメリカならば閣僚や高級官僚は大統領の指名なので大統領の望む法律が議会を通らなくても行政命令により既存の法的枠組みのなかである程度の法執行をすることは可能です(オバマ大統領やトランプ大統領は行政命令を連発しています)。一方、プーチン大統領の提案したモデルだと、閣僚が大統領の執行命令を無視して業務に支障をきたすことが考えられ、もはや大統領の実質的な権限を首相に移管してドイツやイタリアのようにすればよいのでは、ということにもなります。もっとも、現在のロシアでは統一ロシアが一強であり、大統領も統一ロシア、議会の多数派も統一ロシアという状況なので、議会と大統領の関係はまさにタンデムといえるわけですが、今後どうなるかは分かりません。
 しかしながら、以下で検討する大統領提出修正法案で明らかになりますが、いざ蓋を開けてみるとこのような大統領権限の弱化には至っていません。

 教書演説に戻ります。この組閣に関する提案の後、プーチン大統領は「ロシアは強力な大統領的共和国でなければならない」と述べ、大統領権限として内閣の活動の課題や優先事項の決定権や、首相、副首相その他連邦大臣の解任権は大統領に残されるべきだとしました。さらに、軍と治安機関の直接的な指揮権も大統領に残すべきであり、この場合には、権力間のバランスを維持するための仕組みを作る必要があると述べ、6番目のポイントへ話が移ります。

(6)「力の機関」の長の任命プロセスに連邦院を加える

 プーチン大統領が「いわゆる力の機関(силовые ведомства)」というのは要するにシロビキのことで、国防省、内務省(日本でいう警察)、保安庁(FSB)、検察庁、連邦捜査委員会、また法務省所管の税関庁や廷吏庁など法的な根拠をもって実力を行使できる権限をもつ省庁にあたりますが、ここに何を含めるかについては諸説あるようです。
 ここでプーチン大統領が述べているのは、シロビキの長の任命については、連邦院との協議の結果を踏まえて大統領が行うようにするというものです。これにより、「力の治安機関の仕事がより透明性を増し、社会にとって検証可能なものになる」とプーチン大統領は述べています。
 また、この任命前の連邦院との協議という原則は、連邦構成主体の検察官の任命についても適用される得るとしました。現行憲法129条によれば、

(2)連邦検事総長・連邦検事副総長=大統領の推薦により連邦院が任命・解任
(3)連邦構成主体の検事=連邦構成主体の同意を得た連邦検事総長の推薦により大統領が任命・解任
(4)市、地区、これと同格の地域の検事以外の検事=大統領が任命・解任
(5)市、地区、これと同格の地域の検事=連邦検事総長が任命・解任

となっていますが、プーチン大統領は、2項の地方検事が構成主体立法府の同意により任命されている実態は、地方政治における客観性や平等性を損なうおそれがあると指摘します。地方政治からの検察官の独立こそ国民の利益であると大統領は強調します。

(7)連邦憲法裁判所の権限強化

 プーチン大統領が最後に取り上げたのが司法制度です。まず、裁判官の独立性、つまり彼らの帰属先を憲法と連邦法のみにするように憲法に規定し、これを保障することを謳いました。もっとも、現行憲法120条には「裁判官は、独立であり、ロシア連邦憲法および連邦法律にのみしたがう」(前掲書)とあるので、新しい提案ではありません。
 次に、連邦憲法裁判所と連邦最高裁判所の裁判官については、彼らが信用失墜行為をしたり、その他連邦憲法的法律に定められた事項に抵触したりした場合に、大統領の提案により、連邦院がこれを罷免する権限を憲法に規定することが不可欠だとしました。ただし、この提案についてはプラクティスの積み重ねにより実現されるべきで、今のところそれは足りていないと述べています。
 そして、ロシアの法の質を向上させ、国民の利益の理想的な保護のために、連邦憲法裁判所の役割を強化することを提案しています。つまり、大統領の照会により、議会で採択された連邦法の合憲性を、その署名までの間に審査する権限を連邦憲法裁判所に与えるべきだというわけです。また、法律だけではなく、連邦及び地方の国家権力機関の法的行為についてもその合憲性を審査できるようにすることもありだとしました。

 プーチン大統領はこれらの修正は「憲法の基礎に触れるものではない」ので、既存の手続に従って議会が採択できると述べつつ、それと同時に「既存の政治システム、つまり行政府、立法府、司法府の活動の著しい変化」についてのものなので、「すべての憲法修正案について国民投票をすることが不可欠であり、その結果に基づいてのみ最終的な判断が下される」と述べました。確かに、プーチン大統領の憲法修正案は憲法136条の手続で実現可能であり、この場合は国民投票にかける必要はありませんが、しかしながらプーチン氏は国民投票をすべきだという法律の規定外の手続を提案しており、本当に国民投票をするのかも注目されています。

プーチン大統領提出憲法修正法案

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プーチン大統領からヴォロージン国家院議長に宛てられた修正法案

 プーチン大統領が1月20日に国家院に提出した憲法修正法案の審議過程は国家院の立法活動保障システムで公開されているので誰でもアクセスすることができます。
 まず、修正法案の全体像をざっと見てみます。プーチン大統領が年次教書演説で示した7つのポイントと今回の修正案の関係を私なりに整理して示したものが次の表になります(憲法95条のハイフンは、年次教書とは関係ないという意味です。連邦院議員の別称として「сенатор」、英語で言う「senator」を採用するという些細な変更でした。)。

憲法改正

 今回の修正案は、「憲法改正」にあたる1章、2章、9章に触れていないことがわかります。この点で言えば、例えば、最低賃金の保障や年金の再計算の提案が、憲法2章「人と市民の権利及び自由」の中ではなく、国家の通貨等を定める憲法75条に盛り込まれていることに不自然な印象を覚えますが、あえて「憲法改正」に踏み込まない姿勢が窺われるところです。

 では、プーチン大統領が年次教書で示したポイントごとに、実際の修正法案がどのようになっているのかを検討していきたいと思います。

(1)主権国としてのロシア

 「国際法、条約そして国際機関の決定の要請は、これらが人と国民の権利や自由の制約をもたらさず、また憲法に反しない限りにおいて、ロシア国内で効力をもつ」とのプーチン大統領のアイデアは、国家連合への参加を規定した憲法79条の追加修正により次のように示されました。太字が今回追加された文言です。

ロシア連邦は、条約にしたがい、国家間の連合に参加し、条約によりその制限の一部をその連合に移譲することができる。ただし、人と市民の権利及び自由を制限し、またはロシア連邦の憲法体制の原則に違反してこれを行うことはできない。ロシア連邦の国際約束の条項に基づいて採択され、その解釈がロシア連邦憲法に反する国際機関の決定は、ロシア連邦において履行されない。

 ここからわかるように、修正法案が念頭に置くのは二国間関係ではなく、あくまでロシアが当事国になっている国際機関の決定(例えば、欧州人権裁判所の判決等)に限定されています。
 また、ロシアは憲法において「憲法>国際法」という構図を明記してはいないので、あえてこれを憲法に書き込むのであれば、憲法第1章15条4項と第2章17条1項を書き換えなければならないと考えられますが、そのためには憲法改正が必要になります。

第1章15条4項:一般に承認された国際法の原則および規範並びにロシア連邦の条約は、ロシア連邦の法体系の構成部分である。ロシア連邦の条約が、法律に定めのない別の規定を定める場合は、この条約の規定を適用する。
第2章17条1項:ロシア連邦においては、国際法の一般に承認された原則及び規範にしたがい、ならびにこの憲法にしたがい、人と市民の権利および自由を承認し、保障する。

しかしながら、そもそも論として、憲法を含めた国内法に抵触するような二国間条約をロシアが結ぶわけはありません(ロシアだけでなく、普通の国は自国に不利な条約を結んだりしません)。例えば、日本がロシア大統領に強引に平和条約に署名させて、ロシア国内でその条約が憲法に反するという理由で無効になるというようなことは最初の前提からあり得ないのです。したがって、この憲法修正が日露交渉に影響をもたらすことは考えられません。
 一方で、国際機関からすると、ロシアに対して不利な決定を下す必要があったとしても、ロシア国内でそれが履行されなくなり、しかもそれが憲法で保障されるという状況が生まれるので、好ましいとは言えません。

 上記の憲法79条以外に、連邦憲法裁判所の権限として、国際機関の決定のロシアの履行可能性に関する問題を審議することが憲法125条5項の1の2として新たに追加されています。

連邦憲法的法律に規定された手順により、ロシア連邦の国際約束の条項に基づき採択され、その解釈がロシア連邦憲法に反する国際機関の決定の履行の可能性に関する問題を解決する。

つまり、ロシア連邦憲法裁判所が、場合によっては国際機関の決定の不履行にお墨付きを与えるというケースが発生するということです。裁判所の独立が適切に保たれ、行政府が嫌がる決定であっても裁判所が法的観点から判断してその履行を命じるという判決が下されることがあるのか、新憲法体制になった時に注目すべき点です。

(2)公人の条件の厳格化

 まず、憲法71条の修正で、連邦の管轄事項として「国家及び地方公務員、国家及び地域権力機関職員の交代のための制約の設定。また、外国籍及びロシア国民の外国での定住を認める住民権やこれに準ずるその他書類の存在に係る制約の設定」が追加され、重要な役職につく公人の条件を設定する基礎を作っています。

憲法77条:連邦構成主体の行政機関の長(30歳以上、定住条件、外国籍条件)
憲法78条:連邦国家権力機関の長(30歳以上、定住条件、外国籍条件)
憲法81条:大統領(25年定住、過去に外国籍等を保有したことがないという厳密条件)
憲法95条:連邦院議員(30歳以上、定住条件、外国籍条件)
憲法97条:国家院議員(定住条件、外国籍条件)
憲法110条:首相、副首相、連邦大臣(30歳以上、定住条件、外国籍条件)
憲法119条:裁判官(定住条件、外国籍条件)

これは大統領が示したポイント2に関わる修正が加えられた憲法条文の一覧で、括弧内が追加された条件です。総じて、これらの役職につく公人は、現職時に30歳以上でなければならず、またロシアに定住し、外国籍や海外での住居権を保有していてはならないという条件が追加されました。さらに大統領については、選挙時に25年以上ロシアに定住しており、さらに過去に外国籍や海外居住権を保有したことがないという厳格な条件が加えられました。これが実現すると、例えば、欧米で教育を受けたリベラルな大統領がロシアに生まれなくなると言えます。
 また、大統領の任期規定については、現行憲法の「同じ人物が連続で大統領の職に2期以上就くことはできない」という部分の「連続で」が削除され、「同じ人物が大統領の職に2期以上就くことができない」となりました。これは、プーチン大統領がそうしたように、2期大統領を務めた後、首相になり、再び大統領を2期務めるという解釈上の抜け穴を塞いだことを意味します。
 なお、年齢制限については従来の35歳以上のままです。

(3)国民の高い生活水準の保障

 この点については、憲法75条に新たに5項と6項が追加され、前者で最低賃金の保障等。後者で年金再計算の保障が明記されています。

(5項)ロシア連邦において、全国の労働力人口の最低生活費を下回らない金額の最低賃金を保障し、また、連邦法に規定された手続に従い社会的保護その他の支給金額の物価指数に合わせた再計算を保障する。
(6項)ロシア連邦において、年金制度は、世代間の普遍性、公平性そして連帯性の原則を基礎に形成され、その効率的な機能が支持される。さらに、連邦法に規定された手続に従い年金支給金額の物価指数に合わせた再計算が定期的に実施される。

 また、地方自治権を保障した憲法132条に加えられた第3項で、教書演説にあった「公権力の統一的体系という原則」が明記されています。

(3項)地方自治機関及び国家権力機関は、ロシア連邦の公的機関の統一体系内に位置づけられ、当該地域に暮らす住民の利益のために最も効率的な課題解決を行うための相互作用を実現する。

さらに、現行憲法133条では、地方自治体が「国家権力機関が採用した決定」に基づく権限を遂行した場合に生じた追加的支出の補償を裁判を通じて国に請求できる権利が保障されていますが、これが「国家権力機関との相互作用」の結果生じた追加的支出の請求権に修正されました。

(4)地域の特性を連邦レベルの意思決定に反映

 次に、プーチン大統領の任期満了後の「院政」の基盤になるのではないかとみられている国家評議会の地位と役割について、修正法案には次の新たな条項が追加されています。これは憲法83条に定められた大統領権限として国家評議会を組織できるというものです。

国家権力機関の合議機能と相互作用を実現するため、ロシア連邦の内政及び外政に係る基本的な方向性、国家の社会経済的発展の優先事項の決定のために国家評議会を組織する。国家評議会の地位は連邦法により定められる。

 教書演説では中央と地方の連携という文脈で触れられた国家評議会ですが、ここではしっかりとロシアの全方位的な問題に関して決定する機関であるとの役割が明記されています。また、その地位は連邦法で定められるとあるので(地位も憲法に明記すべきとしたプーチン大統領の発言からは微妙にズレますが)、ここでその構成員に任期満了後のプーチン氏を含めるような規定が明記されれば、いよいよといった感じになるでしょう。この連邦法の策定も要注目です。

(5)国家院の権限の拡大

 教書演説の段階では、プーチン大統領は組閣に関して国家院権限を大幅に強化することを提案していました。その図を再掲します。

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大統領提出法案でポイント5に関係するものは、83条、103条、111条、112条ですが、これを勘案すると次のような図で示せると考えられます。

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ここで明らかになるのは次のようなことです。まず、首相の選出にあたっては、あくまで大統領が国家院に候補を推薦しますので(国家院が3度拒否すれば大統領は首相を任命し、議会を解散するのは現行憲法のとおり)、教書演説にあるような国家院の独立した首相候補決定権は想定されていません。また、閣僚の選出についても、外務大臣やいわゆるシロビキ系の閣僚については国家院は関与せず、それ以外の閣僚についても所詮は大統領が推薦した首相の候補に従って国家院が決定するので、実質的な国家院権限は空洞化していると考えられます。

(6)「力の機関」の長の任命プロセスに連邦院を加える

 国家院権限は結局ほとんど強化されないと言えると思いますが、上述した閣僚の任命に連邦院が加わっていることは新しい点です。まず、憲法83条において大統領の人事権として、

連邦院との協議の後に、連邦行政機関、つまり防衛、国家安全保障、内務、司法、外務、緊急事態の予防、自然災害被害の回復、市民の安全を司る機関の長(連邦大臣を含む)を任命し、解任し、

を新たに追加し、また検察官の任命についても、

連邦院との協議の後、連邦構成主体の検察官を任命し、解任し、また、市、地区及びそれと同格の地域の検察官を除く、その他の検察官を任命し、解任し、

とあります。憲法102条によれば、検察官の推薦を行うのは大統領です。教書演説のとおり、地方検事の選出にあたって利害のある連邦構成主体が関与する道を塞ぎました。検察機関について定めた憲法129条では、検察の意義について次の黒字部分が追加修正されています。

ロシア連邦の検察機関は、唯一の連邦中央体制機関であり、ロシア憲法の遵守及び法律の執行を監視し、人々や国民の権利及び自由の保障を監視し、独自権限に基づいて刑事訴追を行い、その他の機能を果たすものである。検察機関の権限、組織及び活動手続は、連邦法によりこれを定める。

(7)連邦憲法裁判所の権限強化

 まず、裁判所の人事について、大統領は、問題のある裁判官(連邦憲法際、連邦最高裁、連邦控訴裁)の権限停止を連邦院に提案できるようになる修正が憲法83条に加えられています。これを受け、憲法102条では連邦院が当該裁判官の職務権限を停止できるようになっています。
 次に、連邦憲法裁判所の権限拡大について、憲法裁判所について定めた憲法125条に新たに権限が追加されており、これに併せて憲法107条及び108条も修正されています。これは既存の立法プロセスの最終段階において、連邦法と連邦憲法的法律の合憲性について大統領の照会に応じて憲法裁判所が判断を下すというものです。修正法案を図にしたものが以下になります。薄い色で示されているのが、現行法条の立法プロセスであり、赤く示された連邦憲法裁判所の存在が、今回の修正法案で追加された権限です。

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 現行法においては、連邦法の場合、大統領が一度署名を拒否した法律であっても、下院と上院でそれぞれ3分の2の賛成を得れば、大統領はこれに署名する義務が生じます。しかし、大統領の拒否権を規定した憲法107条の修正法案によれば、署名義務のある法律が送付されてきた場合であっても、これを連邦憲法裁判所の審査に付して、違憲判決が出れば署名義務はなくなり(合憲であれば署名義務)、下院に差し戻すことができるようになります。これは、大統領の拒否権が想定されていない連邦憲法的法律についても同様です。
 では、連邦憲法裁判所の裁判官は誰が決めているのかと言えば、現行憲法上、大統領がその候補を連邦院に推薦し、連邦院がこれを任命することになっており、この点は修正法案でも変更なしです。そして、この連邦院議員については、連邦構成主体の立法府と行政府からそれぞれ1名ずつ選出されるのですが、行政府の長に関しては、大統領が推薦し、地方議会がこれを承認するという形になっており、また地方議会も大統領の支持政党である統一ロシアが強いので、結局のところは反大統領の裁判官は選出されにくいと考えられます。

 なお、以上が大統領提出憲法修正法案の第1条で、第2条には、憲法修正法は「全ロシア投票」にかけられるとされています。憲法修正準備作業部会の共同議長であるアンドレイ・クリシャスはこれを4月に実施するとの見方を示しています(29 янв. 2020 г. Общероссийское голосование по поправкам к Конституции может пройти в апреле, НТВ)。

おわりに

 今回の記事では、大統領の年次教書演説の内容を踏まえながら、1月20日に国家院に提出された大統領の憲法修正案の内容を見てきました。国内外から注目される国家評議会の地位を連邦法で定めるとしたことから、2024年以降のロシアを考える上では、この法律の制定プロセスも注視しなければならないでしょう。
 現在、2月14日に予定されている第二読会(2月4日時点。すでに2月11日予定から延長されています)に向けて、様々な追加修正が議論されているところです。前文に「神」や「第二次世界大戦の勝利」を書き込むか否かといった提案も報じられています。今後の動向にも要注目です。

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