見出し画像

[下調べ]仏教の歴史 1古代

~ネット抜粋・面白くてよくわかる!仏教 松濤弘道著 参照~

紀元前2000年頃 ✳1アーリア人の大移動
✳1 https://youtu.be/3MAH5gBrP7o
  
紀元前15年頃 
 パンジャーブ地方侵入(インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域)征服、農耕、牧畜、氏族ごとに村落形成。財産が牛で雷、雨、雲、太陽など自然現象を神格化(多神教)神々に捧げた賛歌や儀礼を伝承し聖典「ヴェーダ」となっていく。https://www.worldhistoryeye.jp/9.html

紀元前13世紀頃 
 アーリア人がインドに侵入し、先住民族であるドラヴィダ人を支配する過程で✳2バラモン教が形作られたとされる。
✳2 https://sekainorekisi.com/glossary/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%B3%E6%95%99/

紀元前12世紀~10世紀頃 最古の聖典「リグ・ヴェーダ」が形成

紀元前10世紀頃 
 アーリア人とドラヴィダ人の混血が始まり、宗教の融合が始まる

紀元前7世紀~紀元前4世紀頃
 バラモン教の教えを理論的に深めた✳3ウパニシャッド哲学が形成
✳3  https://www.y-history.net/appendix/wh0201-037.html

紀元前5世紀頃
 4大ヴェーダが現在の形で成立して宗教としての形がまとめられ、バラモンの特別性がはっきりと示される。しかしそれに反発して、多くの新しい宗教や思想が生まれることになる。現在も残っている仏教やジャイナ教もこの時期に成立した。

紀元前5世紀頃 ネパール南部ルンビニ 4月8日誕生 
        ⚪ゴータマ・シッダールタ
        時代の宗教 バラモン教 業・輪廻の死生観
              ✳4カースト制度
   ✳4 https://www.y-history.net/appendix/wh0201-025.html
        仏教の開祖
        釈迦族クシャトリヤ(王族・武人階級)の王子
        農耕や牧畜を営んでいた種族
    29才  出家
    35才  仏陀(覚者)となる
        バラモン教徒たちの改宗
                80才  入滅
 後継者に、直弟子の一人「マハーカッサパ」が指名される。
釈迦の教えや教団の規律に関する原則を成分化する必要に迫られ500人の弟子達を集め第1回釈迦の説法の編集会議を行う。
最もよく釈迦の言葉を聞いた直弟子のアーナンダとウーパリが中心となって、参加者一同と協議、合意したものを、教団の統一見解と決める。やがて教団は2つに分裂、進歩派と保守派に分派される。

釈迦の入滅から100年後 
 700人の弟子たちが集まり、第2回目の編集会議が行われる。
厳しく禁じられていた金銭の布施を受けるべきだと主張する者も出てきたので、他の10ケ条にわたる規律違反行為も合わせて判定し、それら全てが違反だという裁定が下される。
 
 不服とする弟子たち一万人が、大衆部という分派行動を起こす。
大衆部は従来のグループを保守的、教条的だと批判し、これより釈迦の直説のみを正統とする伝統的な長老派(上座部)と、改変派の✳大衆部に分裂。やがて、上座部が10、大衆部が8の計18に分派。

✳大衆部…進歩派の流れを汲む。中国や日本など北方に伝わる大乗仏教を生み出す。
 一方の保守派の流れは、そのまま現在のスリランカ(セイロン)、ミャンマー(ビルマ)、タイなど東南アジアに伝わる上座部仏教(小乗仏教)に繋がる。

紀元前268年 
 インドを統一しマウリヤ王朝を建てたチャンドラグプタの息子ビンドゥサーラ王の子「アショーカ王」が、異腹兄弟を退けて王位につく。

紀元前277年 
 マウリヤ王朝は、南はインド半島の南端から、西はアフガニスタンにいたるインド史上最大の帝国に発展。
 アショーカ王が、仏教に深く帰依する。狩猟を禁じ、動物を愛護し、仏教徒を篤く保護した。また、他の宗教にも平等の恩恵が与えられ、多くの仏塔や療養所が作られた。

紀元前285年頃 
 アショーカ王が、首都パータリプートラに比丘(所定の戒を受けて仏門に入った男子修行者。転じて一般に、僧)1000人を集め第3回の編集会議を主催、論事の経典を編集する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?