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【無】動物虐待と動物愛護、その他

動物虐待。
殺したり、傷つけたり、捨てたり。

動物愛護。
虐待された動物たちを助ける。
愛護を叫ぶ人々目線で「不幸な」境遇にある動物の保護を訴える。

いずれもタカスがメイン。
非タカスはいずれも大半はやらない。

非タカスは、自分より弱い存在に害を加えるという発想がない。
それぞれの生存領域を認め合い、あまり干渉しないのが非タカス。
虐待もしない代わりに愛護もしない。
それぞれがそれぞれの本分、領域があることを無意識に分かっていて、侵犯しない。

非タカスも純血性が高くなるほど、ペットを家族と見なさない。
あくまで飼う存在であり、家族ではない。
同居する生き物であり、自分が餌を与えて飼う余力があるから、同居させて可愛がったり、古代より猟なども手伝わせた。
タカスは領域、境界を壊したり、乗り越えたりする。
ペットも家族だと言う。

非タカスについては、家族はあくまで血縁(養子含む)で繋がる人間の姿をした生物だけであり、その境界、領域を守る。
捨てることもしない。
飼ったからには最後まで面倒を見る。
「責任」というのは生物して遺伝子に刻まれているが、タカスは「面倒」「もういらない」など左脳的判断を勝らせる脳の作りになっている。
責任感がないわけではないが。

この左脳優位というのが、タカスの特徴。
目に見えないものへの理解が弱いのにも繋がるが、「科学」、「物証」、「証拠」、「根拠」を求める。
「なんとなく」「直感」など説明がなされないのはストレス。

自分が信じる「善」を他人に押し付けてくる。
これが様々なデモや過激な活動などに繋がる。
自分がいいと思ったものは絶対いいものだから、他人にもそれを選択させようとする。

動物虐待も動物愛護もタカスのコンテンツ。

よく分からない環境活動もタカス。
家で様々電気をふんだんに使っているのに、原子力発電に反対し、火力発電の先にあるCO2削減を叫ぶ。
電気を使わない生活を実践したか?
石油製品を使わない生活を実践したか?

物事を構造化して、それぞれの関連性を意識するのが苦手な脳の構造になっているので、ワンイシューを好む。
政治案件は、政治、経済、産業、経営、社会学、法律、地政学、文化、歴史、軍事、外交、国際関係、地方など様々な勘案事項があり、それらに精通していないと、本来は政策を論じることができないのに、自分が理解できるワンイシューに固執して、主張や反対の声を挙げる。
タカスが左寄りの主張や「リベラル」に吸引されるのは、そういう脳の作りだから。

ちなみに、上記の様々な分野の精通していないと、本来は国家の舵取りなど不可能なので、そもそも民主政治など成り立たない。
それが選挙でなんとかなると思ってしまうのもタカスの性質。
参政党支持者、れいわ支持者のほとんどもタカス。
「我々の力で政治を変えましょう!」で、非タカスなら「世の中複雑で、それぞれの権益、利権もあって、それぞれの生活があって成り立っているし、それぞれ支持政党も違うのだから、どうやって政治を変えるの?」と俯瞰して難しいと理解する。

LGBTQも同様。
DE&I含めて。
世界的潮流ということで受け入れる。
他の動物の世界でLGBTQがあるか。
遺伝子とそれによる脳の働きで何か異常が起きている、と生物学的に見なすのが普通だが、左脳での「人権」「平等」など、またそちらが優位となる。
さらにそれを他人に押し付ける。

現在世界を見渡すと、タカス(+偽タカス)が数的優位なので、それがマジョリティになるのは当たり前。
しかし、このマジョリティがいつまで続くか。
長くは続かない。
数年ということはないにしても、現在人類の歴史においては大きな転換点。

タカスが生み出す諸現象は、今だからこそ。
そして、おそらく100年後には見ることができない現象。
50年後でも怪しい。

縄文、ケルト、イシヤとタカス、偽タカス。
水と油ほどに違う両勢力が混在。
互いが理解し合えるような脳の作りにはなっていない。
されていない。
戦闘を好む、なんとも思わないタカスが多ければ、戦争や紛争は増える。
欲で行動することを好むタカスがいればこそ経済は動くが、一方で拝金主義も横行する。

タカスは種類が多く、非タカス寄りの脳の作りの人もいるが、タカスの中ではメジャーではない。
世界は混沌であることが普通であるようになっている。
民主政治というものが健全に機能しえないことは、この水と油の関係からも分かるだろう。

ということで、表題に戻って。
動物虐待と動物愛護。
これに限らず、この世界にはタカスコンテンツが溢れている。

成果主義も。
個人主義も。
芸能界と追いかけも。
映えを気にするのも。

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