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【無】雑感:百田新党について

笑止。
としか言えない。

百田氏は、ついぞ最近もXで「ウクライナ善、ロシア悪」の内容で発信していた。
西側メディアだけを受容し、広く情報を集めることも、歴史を遡って理解しようとすることもないような人物が「保守」を標榜。
笑うしかない。

連れの女性も推して知るべし。

真の保守、政治を真剣に考えて道理を見い出そうとしたら、そもそも民主政治自体に無力感、虚無感を覚えるはずだ。
自分たちの力でなんとかできると思っている時点で、そもそも真剣に政治を考えていないことが分かる。

国政を担おうとするなら。
政治、経済、産業、社会、地域(地方)、法律、歴史、文化、地政学、国際政治、外交、軍事、防衛、諜報、経営、組織、医療、福祉など幅広く通暁している必要がある。
そして、場面に応じて、これらを総合して、どう判断するのが国民の最大多数の幸福につながるか、国益に繋がるか、人々の未来をより良いものにするかなどを総合的に判断する必要がある。
これがいわゆる「政治」。

これらに通暁しようとしたら、生まれてから死ぬまでずっとこれらに向き合っていないと追い付かないレベル。
気軽にやれるものではない。

国民それぞれが、自分の見えている世界観で、自分に利があるように政治をやって欲しいと代議士を選ぶ時点で民主政治は機能しない。
選ぼうとするなら、国民も上記の項目にそれなりに通暁している必要がある。
代議士は国民の鏡。

では、百田氏はこれらに通暁しているのか。
そもそも現在の代議士たちもこれらに通暁していない。

民主政治は、最大限船頭が多い、政治。
船頭多くして船山に上る。
みなが知っていることわざ通り。
それを省みず民主政治に夢を見る。

なので、真に道理を考えている人は、民主政治は無駄という結論にたどり着く。
機能しない。

人間の性質はそうそうに変わらない。
アリストテレスも六政体論で民主政治が最悪と評し、最高は王政としている。
責任主体が明確に1人で、日々を通暁する時間に費やせる。
政治的判断も多忙だが、日常生活追われる民草よりは通暁できる。
しかも、血統で継いで、少しでも知見、ノウハウを伝えていけば、通暁するための時間は短縮できる。
周囲を固める人々も家職として政治を担えば、王をサポートできる。

真の保守を標榜するなら。
国民は大政を皇室に奉還せよ、となるはずだ。

当時の国民が望んだ望んでいないにかかわらず、戦後国民が大政をあずけられた。
しかし、うまくいかないのであれば、徳川慶喜を見習って大政奉還すべきだ。
政治を真摯に考えていたら、そういう結論に至るはずだ。

皇室と旧華族たちは、常に爪を研いで隠している。
いつでも大政を担ってくださる。
王室が残っている国は大概そうだろう。
國體が後ろにいるわけだし。

王室を締め出した国は不幸としか言えない。
米国のようにそもそも王が存在しなかった国も同様だ。
例外はロシアだろう。
プーチンに絶対的権力を集めて、擬似王政をやっている。
僭主政治でもない。
良識ある者がその座に座れば、独裁は悪いことではない。

わたしは、これからの時代を考える時、國體はもしかしたら、王室がない国については、独裁制に向かうように導くのではないか、と考えている。
プーチンしかり、トランプしかり。
リビアもカダフィの時は国は平穏だった。
(カダフィを偽装死させてこの平穏を終わらせたのも國體だが、理由あり)

ということで、話は逸れたが、百田新党に期待している人々も、同じ穴のむじなで、何も政治やその他分野を担うことの大きさに思いが至っていない、「保守気取り」というだけだろう。
情報取得もできていない、歴史を振り返れていないのは致命的だ。
ある意味「ホイホイ」だろう。


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