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【 真相追究 】大久保利通の正体

山縣有朋に続いて、落合莞爾氏の言説に違和感がある事象について、真相を追究していく第二弾です。
今回は大久保利通についてです。

落合氏の大久保利通に対する論評といえば、タカスで、我欲が強く、権力志向が強く、薩長史観を作り上げ、薩長藩閥政治を作り上げた、というような印象です。
岩倉具視が自分の代わりに大久保利通に踊ってもらい、1868年12月9日に開かれた小御所会議でも大久保が会議を主導権を握ったような形で、王政復古の大号令と共に武力倒幕が方向づけることなったとしています。

そして、明治政府になってからは、強権的な運営で敵を多く作って嫌われ者になったというのが通説です。
また、そのおかげで、欧米を回った岩倉使節においては、その存在が邪魔なので、米国との交渉には明治天皇の勅許が必要というような理由を作られて、それを取りに行くために一時帰国させられて厄介払いされる、というようなこともされたとされています。

重ねていいますが、古代から世界の歴史を安定して進めるためには、緻密な計画が必要で、誰かの出たとこ勝負の動きを期待する(小御所会議で大久保を操って望ましい言動をさせるというような)というようなギャンブルをやらないでしょう。
そんなギャンブルを世界各地で様々重ねて、安定運用してきたという結果に見える結果になる確率は、何億分の一、何兆分の一でも収まらないくらい低い確率になるのは目に見えています。

ということで、大久保も國體参謀であるだろうというと確信があって、最後の暗殺も偽装死と考え、落合氏に大久保利通も偽装死ですよねと聞いたら、「いや、それはないだろう」と否定されましたが、わたしはそうではないと思っていました。
そこで、今回大久保利通について真相を追究していきたいと思います。

例によって、幕末・維新時期で本を出すつもりはないので、こうして書いているのですが、もしこの時期の事で出版する場合はご了承ください。
ただ、現時点では本当に出すつもりゼロです。

※内容は他への転載は厳禁です。あなた限りで読んでください。

大久保利通が國體参謀であると考える理由から述べていきたいと思います。

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