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事実と事実以外とを区別することの重要性

#マシュマロを投げ合おう  のQ&Aシリーズ。
匿名だからこそ打ち明けられる悩みもあることを再認識できる。
今回は、周りが眩しく見えてしまって
自身の存在を小さく捉えてしまったケースを紹介。

Question
医学生です。コロナ禍で周りが様々なことに挑戦しているように見え、自分もと焦ってしまってキャパ超えしてしまいました。今は1週間くらい心を休めるためにあまり多くのことをしていません。自分のキャパの低さを痛感し、その間にも皆は生産的なことをしているのだと思うと悲しくてたまりません。不安が強くてどうしたらいいのか分からないのですが、こういう状況はどこに相談したら良いのでしょうか。


Answer
共感の言葉が見つかりませんが、とても辛かったことがよく伝わってきました。この場合の相談相手は、①自分 ダメなら②友人や家族など信頼の置ける近しい存在 それでもダメなら③専門家が良いと思います。
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1) イントロダクション

日常に差し支えがあるほどの不安であれば治療介入の可能性もあるので
③専門家への相談が適切ですが
今回は①、②の場合に限定させて回答しようと思います。

デリケートな内容なので細心の注意を払って意見を述べようと思いますが、
主旨がズレてしまっているようであれば
コメント欄等で御意見・御指摘をいただけますと幸いです。

まず、状況を整理します。
・コロナ禍
・周り(医学生?)が様々なことに挑戦しているように見える
・「自分も」と焦ってしまった
・キャパシティ超えした

・1週間くらい活動量を落とした
・その目的は「心を休めるため」
・自分のキャパシティの小ささ
・その間、皆(=周り?)は生産的なことをしている
・そう思うと悲しくてたまらない
・不安が強い
・どうしたらいいか分からない


上記のように整理しながら行間を含めて読んでみたところ
一つ、気になったことがあります。

それは、
「事実」と「それに対する自身の反応」を
区別できていないのでは?という仮説です。
不安になっている原因を明らかにするためのヒントが
そこに存在していると思いました。


記述を「事実」と「それ以外」に分けることは、
様々な分野・領域で活用されている知恵の一つです。

日常を眺めてみても
いかに私たちが事実以外のことに振り回されるかが
よく分かるかと思います。


2) カルテのSOAP形式も「事実」を捉える効果がある

医学生ということであればカルテの型が最も身近でしょう。
SとOは事実が書かれます。
主観的情報、客観的情報、いずれも事実です。

私たち医療従事者は
SOAPでカルテ記載することが基本形となっていますが
まず「事実は何か」ということを見失わないようにする工夫が
ここに込められていることが分かります。


そのS情報、O情報から
「何が言えるか」
「何が見えてくるか」
「何の意味があるか」
ということを記す箇所がAssessmentになります。

Assessmentをもとに
次にする具体的なアクションを考案するのが
Planです。

初学者の頃はS情報やO情報にAが紛れ込んでいたりして
とても見苦しいカルテを書くことも少なくはありません。

プレゼンテーションにおいても
「白血球数は1万と高値で」というように
O情報だけ欲しいところを
何故か「高値」というAが紛れ込んできたりして
聞き苦しいこともあります。


要は、
「揺るぎない事実は何か」
ということを意識して
その事実から派生した二次的な情報(分析、評価など)を
意識的に区別することが情報リテラシーにおいて
極めて重要になります。


3) 今回の質問者のケースを例に考察する

少し話は脱線してしまいましたが、
今、不安が強くて押し潰されそうな状況は何が原因になっているのか?
ということを考えるには
「事実」と「事実以外」をしっかり区別することが
ヒントになると思っています。

両者を区別できたら、
苦しみの原因が分かるように思えました。
それでは質問者のテキストを以下のように分析します。

【事実】
・新型コロナウイルス感染症が流行
・周り(具体的に誰?)が
 様々なこと(具体的に何を?)に挑戦
・(挑戦している人は何割くらいか)
・(焦った結果、○○をした)
・1週間ほど活動量を落とした
・どうしたら良いか分からず
 途方に暮れている。


【事実以外】
・周りが様々なことに挑戦している「ように見える」
・その結果、自分も焦ってしまった。
・(活動量が増えて?)キャパ超えした
・自分のキャパの低さを痛感した
・その間にも皆は〜と思うと悲しくてたまらない。
・不安が強い

ここまで読み進めてみると
私は心理学の専門家ではありませんが
この質問者の方の良い意味での優しさや真面目さが伝わってきました。

何が良いかという議論は別として
鈍感で楽観的にストレスフリーで過ごせる人も中にはいる一方で

感受性が豊かなために使命感や自身への期待が相乗効果を果たし
その結果、苦しんでしまう人も少なくはないのだと思います。

さて、
前置きは長くなってしまいましたが、
私なりのアセスメントを紹介します。

要は物は捉えようで
自分を追い詰めるような思考と
自分をプラスにさせる思考とが
実は両方存在していて
どちらを選ぶ傾向にあるかということに過ぎないのだと思います。


【事実とアセスメントの例】

・新型コロナウイルス感染症が流行
 →個人の力ではどうしようもない
  変えられないものとして受容せざるを得ない。

・周りが様々なことに挑戦
 →誰が? 具体的に何を? という情報が欠けている。
  また、そのような人は何割くらいかも不明

・1週間ほど活動量を落とした
 →ここが最大限に賞賛されるべき。
  休むのが最適解なので
  「したい」を押し殺して
  「しない」を選んだのは
  大変だけど本当に偉い。


4) 休息と、選択に対する自己肯定とを

私は、この一連のエピソードで
「休養を取った」ということが自分の中で正当化されて
そして、今後も適切なタイミングで(可能なら事前に予防的に)
「休む」という選択ができるなら
それが必要十分条件なのだと思います。

休んだことによって
より周囲への羨望や、自分への無力感、劣等感、焦燥感が
助長することもあるかもしれませんが
それは全部無視で良いでしょう。

スマホは家に忘れたってことにして
江ノ島のビーチで
無心にかき氷を食べるのも良し。

スマホのバッテリは
寒さのせいで勝手に激減するので
ニセコのてっぺんから
スノボで滑走し切るのも良し。

スマホの電源を切って
好きな音楽家の
コンサートに行って
音楽に聞き入るのも良し。

「休み」を肯定することに
全精力を注ぐことが大事です。

いろいろと助言したいこともどんどん湧いてきますが
唯一、強調したいことは
「休んだことは最高に良い選択をした」
ということです。

その勇気を称えたいです、本当に。

これからも大きな不安に襲われることや
今回のコロナ禍のように
何だかよく分からない大きな災害みたいなものに
自分も周りも平常を失うこともありますが

そんな状況下であっても
自分に最適な「休息」の量と頻度を
心がけられたら良いですね。


5) おわりに

冒頭の回答に戻って
①自分
②信頼の置ける近しい存在
③専門家(カウンセラー、医師)
の順に推奨した理由のうち
第一に「自分」を持って来たのは
不安になったときに自分を立ち直らせるのは
自分しかいないからです。

自信を呼び興すことも
安堵の感触を得ることも
開き直ることも
吹き切れることも

どんなに②③の他人が
優れた技術・知識や寄り添う思いやりで
アプローチしたとしても
結局①自分が納得しない限りは不安は拭えません。
(病的な不安は除きますが)


最後に、以前、誰かから教わった言葉を紹介して
締め括りたいと思います。

「感情は自分で選択している」

事実は変えられないが、
その事実に対する認識や感情は変えられる
ということを改めて考える良い機会となりました。

質問者の方の不安な気持ちが
いつか晴れる日を願っています。