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Vol.1-2 5か月ニュージーランド留学

Vol1では、ニュージーランドに留学に行かれたS.I.さんの体験談をお届けします。この記事は留学について(後半)となります。
留学先での生活・留学後についてが中心となります。


ホームステイ先は

僕のホストファミリーは南アフリカから移民してきた夫婦でした。
とても明るい夫婦で、金曜日の夜は毎週のように客を招いてBBQをしてました。おばあちゃんや娘夫婦、孫が全員近くに住んでいるので、家に来て、話すこともありました。
ホストファミリーになるのは初めてらしいです。

家には犬が一匹と車2台、ボートがありました。
家は学校から近くて、徒歩で10分もしない距離でした。雨の日はホストファミリーが学校に送ってくれることもありました。
週末は、ホストファミリーが観光やお出かけに連れて行ってくれるときもありました。中心地を一緒に巡ったり、映画を見に行ったり。ボートの展示会に連れて行ってもらったこともありました。
ホストファザーはよく釣りに行っていたので一緒に行けなかったのが心残りです。

朝ごはんはシリアルなど、自分で用意していました。お昼と夜ごはんはホストファミリーが作ってくれていました。
夜ごはんを一緒に食べた後は、テレビを見て話したり、スクラブルというゲームをしたりしていました。

たまにホストファミリーが出かけ、ひとりで留守番をすることもありました。個人的には一人の時間が確保できて、よい時間でした。

友達は

個人的には友好関係が一番難しいところでした。

学校で過ごす時間には、授業時間とそれ以外、モーニングティー(お菓子などを食べる時間)とランチの時間があります。

授業の中で友達を作るのは比較的簡単でした。
授業の中で話し合いの機会も多いので話す機会が多いですし、共通の話題ができるので。
それでも、完璧には喋れないですし、授業の中では他の話を聞くような時はありました。

ただ、それ以外の時間ではそれが適用されませんでした。Whanauいう建物に縦割りでHRが割り当てられていて、モーニングティーやランチの時間は基本的にその建物で過ごすことになっています。ここが一番の難点でした。
日本と違い、HRで過ごすことはほとんどなく、HRは週に数回、連絡があるだけの時間でした。
HRには同じ授業を取っている生徒がほとんどいなく、なんも関わりのないグループに入っていくのには難しさがありました。

僕が通っていた学校ではバディー制度というのがあって、留学生に同じHRの生徒が案内についてくれます。バディと友達になる留学生もいましたが、僕の場合はそこがうまくいきませんでした。

留学すると積極的になれるといいますが、ある程度の問題からは逃げることもできます。完璧にはできなかったですし、一番課題として残ったのはこの部分でした。

休日は

休日は出かけたり、課題をしたりしていました。
他の留学生や現地の友達と、オークランド中心部に出かけて観光したり、学校近くのモールに映画を見に行ったりしていました。

スカイタワー(ニュージーランドで一番高いタワー)に連れて行ってもらった際の写真

2ターム目は学校のストライキで、授業がない日が何回かあったので、出かけるチャンスがかなりありました。

もともとひとりが好きなので、ひとりで出かけることも多くありました。
その一つがボランティア活動です。植林のボランティアに何回か参加しました。オークランド中心部から出ているフェリーに乗って、会場までは送迎してくれる
徳島に娘がいるという方と喋ったり、普段の生活とは異なるコミュニティと関わる機会で、楽しい思す。

植林ボランティアの様子

エージェントは

エージェントは現地の日本人の方が運営しているエージェントを利用しました。1カ月に1,2度エージェントの方が学校に来て、面談をしました。
相談などもできましたし、特にトラブルはありませんでした。

成長や変化は

英語力という面では非常に良い経験だと思います。リスニングやスピーキングが成長するのは当たり前かと思いますが、学校で授業を受けていると普段触れることのない単語が使われますし、友達とチャットをしていればネットスラングに触れることができました。
成長はすると思いますし、英語が喋れず、読めず、悔しい思いをするのは日本ではできないと思います。

あとは、単純に異なる世界を見ることができて、楽しかったです。ココナッツがスーパーで売っているようなところで生活することがあるなんて思いもしませんでした。

日本に帰国して、遅れは

やっぱり5か月いないと遅れをとるものも多いと思います。日本とニュージーランドとでは学習進度は大きく異なるので。日本の子が指数関数を習っている間、僕は連立方程式を学習していました。
ただ、たかが5か月とも捉えられると思います。結局は自分がどうとらえるか次第かなと。

一番楽しかった思い出は

楽しい思い出はたくさんありますが、特に印象に残っている思い出は、ターム間の休みに留学生向けのツアーに参加したことです。バスで15日間、南島を巡るツアーでした。

ツアー中の様子

アジア人の参加者は自分一人で、ドイツ語やスペイン語が飛び交う中で生活するのはきついものがありました。英語が通じなければ学校よりハードモードなので。
その分だんだんと打ち解けていけたのはうれしかったですし、留学生とじっくり話す機会も貴重でした。

一番のトラブルは

一番のトラブルは留学が開始する前に起きました。ちょうど向かうタイミングでオークランドで100年に一度レベルの洪水が起きました。空港が閉鎖されてしまい、経由地のクアラルンプールで5日を過ごすことになりました。

クアラルンプール到着時のスクリーン(LEWATはマレー語で過ぎたという意味)

本当に予期していないトラブルで最初はパニックに陥りましたが、クアラルンプールを観光したのは今思えば楽しい思い出です。
一番最初に一番大きなトラブルがあったからこそ、留学中もどしんと構えることができたと思います。
また、同じ便の乗客の方に助けていただいたり、情報共有したりと、共通言語としての英語の偉大さを実感した場面でもありました。

アドバイスは

個人的にはいい加減になることが必要かなと思います。
ディベートクラブへの参加は、普通に考えれば自分のレベルを超えているものだったと思います。最後まで充分なところに到達はできなかったと思いますが、悔しい思いをしたことを含め、よい経験になりました。
無理かと思うものでも、挑戦してもらいたいです。

続きはVol1-3


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