わたしの背中に手を振って


ほんの少し前に映画「長いお別れ」を見ました。認知症を患った父親とそれを見守る家族の7年間の軌跡を描いた映画です。




認知症と聞くと身構えてしまう方も多いかもしれませんが、病名から連想されるシビアな現実を見せるというよりは、薄いベールを一枚覆って柔らかい色合いで仕上げているように感じました。


なだらかな坂道をゆっくりと下っていくように、じぶんという存在のかけらがぽろぽろと落ちていく。少しずつじぶんという輪郭がぼやけていく。山崎努さん演じる父親の姿は見ていて胸に迫ってきて切なかったです。


でも隣にいてくれる人の眼差しの奥に、差し伸べられた手のひらの中に、過ごしてきた日常の光景に、じぶんという存在のかけらはきちんと残っている。生きていた証なんていうと大仰だけど、誰かの記憶を辿ればたしかに存在していた。その事実が細かいエピソードで語られることにより、ちょっとだけ救われる気持ちになりました。


人とお別れするのはいつだって寂しい。家族でも、恋人でも、友達でも、自分自身でも。でもそれまでの時間があれば、つらくても心構えができる。遠くなっていくじぶんの背中に手を振って、穏やかにさよならを告げるような、悲しいだけでは終わらないお別れの時間を描いてくれた作品でした。


倫也さんが演じた道彦は小市民的な善性を備えた人だなという印象です。優しくて良識があるからあきらかに様子のおかしい人でも黙って寄り添ってあげる。急なお店の開店も手伝ってくれる。同じように会いたいとせがまれれば子供だけではなく別れた元妻にも会う。卑怯と呼ぶほどではないけれど、自分を守るために小さな嘘を重ねてしまう人。普通の弱さを持っている人。でも日本中が揺れた日から混乱する世界では、あの選択は仕方なかったのかなという気もします。なんだか恨みきれない部分は、倫也さんが演じたせいでしょうか。愛しいずるさだなあと苦笑いしながら見ていました。


他の出演者も素晴らしく山崎努さんを始め、蒼井優さん、竹内結子さん(胸がぎゅっと痛みました…)松原千恵子さん、北村有起哉さん、みなさんの演技も繊細で語りすぎない間合いも心地よかった。中野量太監督は「浅田家」や「湯を沸かすほどの熱い愛」などで有名だけど、家族の肖像を描かせたらいまの邦画界ではトップレベルの監督ですね。次回作も期待しています。


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