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KokugoNote #42高1国語総合

授業復習ノートです。今回は評論文、定番の山崎正和さんによる「水の東西」です。

〈評論文の読み方〉
 
⑴ ある社会的な出来事に対して、筆者の立場を決めることから始まる。
  好意的か?/否定的か?それはなぜか?(根拠・理由)
⑵ 比較によって、違いを明らかにする。マトリックス図式にして整理する。

☑ 最終段落から読み進めて、結論を先に確認したのちに、どうしてそういう結論になったのか、冒頭に戻って整理していくというのが、効率的な読み方。※休校時の動画でそういう読み方をしたので、今回は最初から読み進めていくことにしましょう。

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① 「鹿おどし」が動いているのを見ると、その愛嬌の中に、何となく人生のけだるさのようなものを感じることがある。かわいらしい竹のシーソーの一端に水受けがついていて、それに筧の水が少しずつたまる。静かに緊張が高まりながら、やがて水受けがいっぱいになると、シーソーはぐらりと傾いて水をこぼす。緊張が一気に解けて水受けが跳ね上がるとき、竹が石をたたいて、こおんと、くぐもった優しい音を立てる
のである。
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 ■フリガナが付いている漢字も読めるように。擬音語・擬態語にも注意する。
①段落は「鹿おどし」というものが何なのかの説明段落。⑴好意的かどうかを確認する。「愛嬌」「かわいらしい」「優しい」などのワードより好意的であることが判る。

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② 見ていると、単純な、緩やかなリズムが、無限にいつまでも繰り返される。緊張が高まり、それが一気にほどけ、しかし何事も起こらない徒労がまた一から始められる。ただ、曇った音響が時を刻んで、庭の静寂と時間の長さをいやが上にも引き立てるだけである。水の流れなのか、時の流れなのか、「鹿おどし」はわれわれに流れるものを感じさせる。それをせき止め、刻むことによって、この仕掛けはかえって流れてやまないものの存在を強調していると言える。
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■ 重要文の特徴のひとつ。「~と言える」
 重要文を見つけたら、同一段落で繰り返されている表現を探すこと。それがキーワードになっている。
 *指示語「それ」なども内容をはっきりさせておくこと。
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 〈流れるもの〉 
   「水の流れ」はもちろん「時の流れ」のこと。一定のリズムで音が鳴るのは、秒針のカチッカチッという音と同じ。
その間合いが伸びているのと、空洞の竹筒が石に打ちつけられて、こおんと鳴り響く静けさの中で、心にじーんと来るということを表現している。

 * 漢字の読みを先ほどのアプリで確認してみてください。


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③ 私はこの「鹿おどし」を、ニューヨークの大きな銀行の待合室で見たことがある。日本の古い文化がいろいろと紹介される中で、あの素朴な竹の響きが西洋人の心を引きつけたのかもしれない。だが、ニューヨークの銀行では人々はあまりに忙しすぎて、一つの音と次の音との長い間隔を聴くゆとりはなさそうであった。それよりも窓の外に噴き上げる華やかな噴水のほうが、ここでは水の芸術として明らかに人々の気持ちをくつろがせていた。
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■ 重要文の特徴のひとつ。
逆接の接続詞「だが」(しかし・ところが、けれども等も)の後ろは、見えていなかった事実が述べられることが多い。
 比較の表現「それよりも」は、何と何を較べているのかを確かめること。
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 「鹿おどし」は〈日本の古い文化〉としてニューヨークでも受け入れられると思ったのに、忙しすぎて余裕がないのか、見向きもされなかった。

■ 鹿おどしと噴水の比較がこの段落から始まる
 * 「鹿おどし」が農村で作物を荒らす害獣対策として紹介されているのではなく、日本庭園や料亭などで用いられる文化として紹介されていることに注意!
  実用性を離れた〔水の芸術〕
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④ 流れる水と、噴き上げる水。
⑥ 時間的な水と、空間的な水。
⑩ 見えない水と、目に見える水。
    鹿おどし と  噴水
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☑ 途中で面倒になったので、まとめました。どうして、こういうまとめ方をしたのか、前後の段落で説明されているので、念入りに読んでおきましょう。

 *噴水の説明
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⑤ そういえばヨーロッパでもアメリカでも、町の広場にはいたるところにみごとな噴水があった。ちょっと名のある庭園に行けば、噴水はさまざまな趣向を凝らして風景の中心になっている。有名なローマ郊外のエステ家の別荘など、何百という噴水の群れが庭をぎっしりと埋め尽くしていた。樹木も草花もここでは添え物にすぎず、壮大な水の造型がとどろきながら林立しているのに私は息をのんだ。それは揺れ動くバロック彫刻さながらであり、ほとばしるというよりは、音を立てて空間に静止しているように見えた。
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■ 「私は~」という文は極めて重要。この文章でもここしか使われていない。評論文では、「私は~」はカットするのが基本なので、どうしても使わないといけない時しか用いられない。

 ☑ 重要文にはキーワードが用いられているものなので、同一段落で同じような表現が他にないか、確認する。
  他にも、
   「風景の中心」⇄「添え物(周辺)」という比較にも注意する。
   噴水は中心にあるが、鹿おどしは周辺に位置するということを暗示している。 
 


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⑦ そういうことをふと考えさせるほど、日本の伝統の中に噴水というものは少ない。せせらぎを作り、滝をかけ、池を掘って水を見ることはあれほど好んだ日本人が、噴水の美だけは近代に至るまで忘れていた。伝統は恐ろしいもので現代の都会でも、日本の噴水はやはり西洋のものほど美しくない。そのせいか東京でも大阪でも、町の広場はどことなく間が抜けて、表情に乏しいのである。
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 ここでは日本の噴水に対する評価が書かれている。「美しくない」「間が抜けている」「表情に乏しい」と散々なマイナス評価である。
  なぜなのか?その理由を次の段落で述べている。


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⑧ 西洋の空気は乾いていて、人々が噴き上げる水を求めたということもあるだろう。ローマ以来の水道の技術が、噴水を発達させるのに有利であったということも考えられる。だが、人工的な滝を作った日本人が、噴水を作らなかった理由は、そういう外面的な事情ばかりではなかったように思われる。日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、圧縮したりねじ曲げたり、粘土のように造型する対象ではなかったのであろう。
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☑ 重要文
  「だが」の後に、本当の理由が述べられる。「外面的な」⇄「内面的な」という対義語を思い浮かべなくてはならない。
   「~のである」という強調文、「Aであり、Bでない」という比較文がある。何と何を比較しているのかというと、「日本人」とあるので、「西洋人」ということが推測できる。
  👈
まとめると、日本人が噴水を作らなかった理由は・・・
「日本人は水が自然に流れる姿を美しい」という価値観を持っていたから。
 *西洋人にとっては「Aでなく、Bだ」という風に書き換える必要がある。
 つまり、
  「西洋人は、水が自然に流れる姿を美しい」とは思わず、「圧縮したり、ねじ曲げたり、年度のように造型する」ことで美しくできると考えていた、のである。
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⑨ 言うまでもなく、水にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、恐らく日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのである。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられていた。それは外界に対する受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の表れではなかっただろうか。
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☑ 重要文
 ・ 〈違う〉という表現は重要。何と何が違うのかを明らかにすること。
 ・ 「~ではなかっただろうか」という読者への問いかけ文は非常に重要!
 
■〈「形なきもの」を恐れない心の表れ〉
  ここの解釈はとても難しい・・・。
  西洋人は、自分の手に負えないものを恐れるから、何にでも言葉や形を与えて、捉(とら)えようとしてしまうのではないか、と山崎さんは考えている。
  
  先生は本当にそうかなあと思っています。知ろうとすることや、水を形作ることは好奇心の表れであって、鹿おどしの仕組みや思想を理解したら、西洋人も受け入れるのではないかと思うのです。
  噴水にも深い思想があるかもしれないのに、形だけ日本に導入したために、「美しくなくなって」いるのではないでしょうか?皆さんはどうですか? ※敢えて反論を作ってみました。

 

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⑪ もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、われわれは水を実感するのにもはや水を見る必要さえないと言える。  
ただ断続する音の響きを聞いて、その間隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだと言えるかもしれない。
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☑ 重要文「~と言える」
  👈 まとめ
  日本人にとって、〈水を鑑賞する〉時は
「断続する音の響きを聞いて、その間隙(かんげき)に流れるものを間接に心で味わう」、耳で聞いて想像するだけで良いということ。
  そういう点で⑨段落にあった「独特の好み」があるのだ、というお話でした。

〈異文化理解〉〈比較文化論〉というジャンルの評論文でした。
〈文化人類学〉〈民俗学〉という分野の本を読むともっとおもしろさが解ります。

 手始めに、内田 樹(うちだたつる)さんの「比較文学とは何か」を読んでみてください。http://www.tatsuru.com/columns/simple/24.html

きっとびっくりすると思います。


                      

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