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KokugoNote #37人間関係のあれこれ

皆さん、こんばんは!

 登録してくださっている人にはご無沙汰して申し訳ありませんでした。この第1学期は本当にひどくバタバタしていて、息つく暇もないほど、という形容が似つかわしいほどでした。その中で、あれこれ書き留めたことを順次アップしていこうと思います。

 今回の内容は人間関係のトラブルがあった時に発したメッセージです。SNS絡みのトラブルはTwitterやLINEなどでもお馴染みですが、情報の授業で指導されることは他人事になっているところが大きく、自分が巻き込まれて初めて気付かされ、学ぶことになっているようです。「失敗に学ぶ」のもひとつですが、直感的に避けられるようにトレーニングを積んでほしいと思います。つまり様々なトラブルを他山の石として、常に学ぶということで直感を養ってほしいということです。

  人は感情の生き物なので、理性によるコントロールがなければ衝突が起こりやすいのが世の常です。皆さんはまだ15、16年足らずしか生きていないので、、、いや何年、生きていてもダメな人はダメだし、ちゃんとしている人はちゃんとしていますね、、後先を考えずに行動してみたり、発言してみたりすることがあります。

  それがいかに人を傷つけるかを推し量ることができず、重大な結果を招いてから始めて気が付くということがあるのです。その時は、皆さんがすべての責任を取ることができないため、皆さんの父ちゃん母ちゃんがその責を負います。何を思おうとそれは個人の自由ですが、発言したり、書き込んだり、行動したりするのは、公共の福祉に反する行為であれば処罰されるのが社会というものです。

  高校は中学校とは異なり、進学先も選ぶことができ、個々人の意志が尊重されています。責任の一端を負うのは当然のことで、学校も教育的指導は行いますが、その先については関与するところではありません。社会的に許されないことをした場合、高校は残念ながらその人たちを守ることはありません。教育はしますが、面倒を看続けるということはありません。

 どの学年でもそうですが、人間関係のトラブルは付きものです。合わないと思うならそれだけ距離を取ればいいし、合うのなら仲良くなればいいだけです。「誰にでも親切に接する」というのは「人として当然のこと」で、その上で「合わない人とはそれなりの付き合い」をするのが、社会の中で生きるということです。同じクラスだからといって絶対に仲良くならないといけない訳ではないし、同じ学校だからといって絶対に連帯感を抱かないといけない訳でもありません。たまたま「同じ電車の車両に乗り合わせた」に過ぎません。それぞれが目的地へ向かうために利用しているのが、学校というものです。今朝の通学電車でもそうですが、車両の人全員と仲良くなろうとする人はいなかったと思います。そういうものです。

  愚痴や悪口などで仲良くなろうとする友だちとは距離を空けないと巻き込まれてしまうと心得てください。鎌倉時代に作られた武家の規律「御成敗式目」の50条にも、「揉めそうな現場には近寄るな。必ず加担してしまうことになってしまうから」とあります。もうすぐ夏休みに入りますが、改めての注意喚起です。くれぐれも気を付けてください。

 *第1学期終業式前に配信しました。

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