見出し画像

KokugoNote #16 高2現代文・国語表現

皆さん、こんばんは!
授業の振り返りが遅れていたので、20200128〜31までの確認をしたいと思います。

今回、扱っている高階秀爾さんの「『間』の感覚」は、青土社からの『西洋の眼 日本の眼』(新装丁版が2018年に出版されました)に所収されています。

28日は、前回のおさらいから始まり、ウチとソトという日本人の意識、価値観、心理的な距離感がキーワードになっていることを確認しました。鳥居や関守石の話をさらっと確かめて、場所・空間・人間関係においても「ウチとソト」を峻別(しゅんべつ)していることに気付こうぜ!というのが、今回の中心となる話題です。

"日本人の付き合い方では、「目に見えない形で内外の区別をする」ための、「共通の理解」が前提となっている"というキーセンテンス(鍵となる文)が本文に記載されていました。皆さんが指摘した重要文です。

その区別の例として、人間関係でも、対する存在との関係で「ウチ・身内・仲間」の解釈が変わってくることも確認しましたね。身近なことで例えるのが理解助けてくれます。

例えば、武道系部活動に入っているT君は、同じ部活動に所属しているメンバー全体ではなく、仲の良いメンバーをウチと捉えていると言ってくれました。しかし、対外試合に当たる時は、部員全員がウチになります。大会が都道府県対抗となると、普段対戦していた地区大会中央大会のメンバーはウチになります。関西選抜に選出されたら、西日本のメンバーはウチになります。海外に対しては、日本のメンバーはウチに。宇宙人と戦うことになれば、地球人がウチになります。ドラゴンボールのようです。

このように、時と場合によって、どこまでもウチが広がっていくこともあるし、どこまでも狭くなっていくこともあるので、では、いったいその「関係性」はどうやって見分けたら良いのか??外国人にとってはまるで解らない。ある時はウチになっていた人が別の時はそとになっていて、またウチになっていたら、それは解らないと思います。

そのようなことなどあるもんか!と思うかもしれませんが、住居などについても同じように関係性が変わるのだと高階さんは言及しています。Nさんが指摘してくれたように、お花見のレジャーシートのようなもので、唐突にウチが誕生して、また片付けられてソトに戻ったりするのです。

家の中では、畳の部屋はテーブルを置いたら食堂になり、布団を敷いたら寝室になり、お客さんが来たらバタバタ片付けて客間になる、という多目的室の扱いになってしまいます。
伝統的な西欧建築では、応接室、寝室、食堂などは明確に役割を分けていますね。このように、この関係性によって役割をころころ変えてしまう、その察知能力のことを、「間の感覚」と呼びました。例えば、少し前に流行語にもなったKY(空気を読め!)なども当てはまります。言葉で説明するのではなく、同調圧力でもって、暗黙の了解(仲間内の共通の理解)を強いるやり方です。だから、「間合いを正しく見定めることが、日本人の行動様式の大きな原理」となると言えるのです。悪事も、善行も、一定の基準がある訳ではないのですね。この感覚は、「日本人の美意識や倫理とも深く結びついていて、その本質と構造を解明することが、日本文化を理解する大きな鍵となる」という結びで、この文章は締めくくられています。

最終段落は、紙面の都合上、ささっとまとめましたという印象が残りますが、おそらく重複することを避けたのでしょう。
「何が評価されるか」「何を良しとするか」なども、その場その場で時に応じて変化するということを伝えようとしたのだと思います。


解りやすく言うと、例えば、数年前、「ペンパイナッポーアッポーペン」というパフォーマンスが大流行しましたが、今、もう一度、皆で視聴して同じように盛り上げることができるか、というのと似ていると思います。なぜおもしろいと思っていたのかさえ解らないのではないでしょうか?皆が楽しんだ理由は、場の空気がそれを盛り上げたことにあります。
インフルエンサー(社会に強く影響を与える人)が評価し、マスコミが取り上げ、マネをして楽しむ動画などを紹介して、再三放送して、場の空気を作っていくのです。もちろん少なからずどの国でも流行は起こるものだし、笑いも時代遅れになっていくものですが、ここ日本ではその傾向がかなり強いということを言いたいのだと思います。

日本文化の特徴のひとつだということは先生も同意します。
一度、下に紹介した本(1番上の本が読みやすい)を読んでみてください。きっとそう言えば確かにそうだなあと、この現象を理解しやすくなると思います。

冷泉彰彦(2006)『「関係の空気」「場の空気」』講談社現代新書           鴻上尚史〔こうがみしょうじ〕(2009)『「空気」と「世間」』講談社現代新書     阿部謹也(2014)『近代化と世間 私が見たヨーロッパと日本』朝日新聞出版文庫

教科書の内容を確認した後、参考文献を読み、理解を深めましたね。

29日は、「間の感覚」についての振り返り課題、新出語句を使った作文課題、やはりGoogle formで、終わりました。

振り返り課題は、
キーワード、キーセンテンスの確認のほか、
日本人はなぜこれほど「間」を気にするのか?/先生には、さようならと言うが、なぜ父ちゃん母ちゃんには、さようならと言わないのか?/外国人との行動や考え方の違いで気がついたことを挙げてみて!などでした。

作文課題は、例によって語句の意味調べを各自で行なった後、30〜50字程度で、その語句を用いた作文をするというものでしたね。

もう一度、確かめておきますが、国語の勉強と言うと、漢字の書き取りや語句の意味調べ、文章の要約といったものが代表格ですが、言葉の勉強なので、実際に使いこなせないと意味がありません。

言葉の学習とは、読める/書ける/解る/使いこなせる の4つの能力を磨くことにあります。それらを総合的に確認するには、文章を書き続けるより他にありません。
その中で、先生の添削を受けて、英語で言うようなcollocation(コロケーション)、よく使われる組み合わせなどを学んでいかなくてはなりません。今日、それらの例文をチェックしたものをプリントにまとめましたが、前回の作とは違って、かなり良いチャレンジができていました。レベルアップしています。びっくりしましたし、嬉しくなりました!


さて、今日は、評論文をいったん終えて、俳句の授業でしたね。
Google formを使っての回答でした。
俳句についてのルールなどを学び、実際に、下五→中七→季語の上五という順序で、「取り合わせ」の俳句を作ってもらいました。

夏井いつき先生の「プレバト!」のようにささっと添削することは難しいですが、次回は皆さんの作品を少しずつ紹介しながら、皆で評価していくことを楽しみましょう。
その過程で、教科書の俳句を紹介して勉強しようと思います。

2回に一度はお題を出して、俳句を作るということをしたいと思います。

では、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?