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宗教化するワクチン論争(8)問題なのは信じたい気持ち

 新型コロナワクチンをめぐる論争は,本来科学的に進められるべきものなのに,宗教論争化している現状を見てきましたが,極めてずさんな「科学的」主張がありがたい教えとして受け入れられ,それに対する正当な疑問が「デマ」として排除される理由は,いったい何でしょうか?

 それは,そのように信じたい人々が多数いるからです。宗教というものは,何かありがたい教えを説くから信者を獲得できるのではありません。多くの人が信じたい話を説くから,信者を獲得できるのです。この順序を間違って理解すると現実は見えなくなります。

 つまり,ワクチンをめぐっては,「ワクチンを打てばコロナの恐怖から救われる」という説を信じたい人が大勢いるから,ワクチンをめぐる議論が宗教化されているのです。ワクチンの有効性に対する批判や議論がほとんど許されていない現状は,すでにワクチンが神話化している証拠です。宗教では,批判者はもちろん,まっとうな疑問を呈する者まで異教徒として排除しなければならないのです。

 当然のことですが,このような状況は政治にとっても好都合です。国民の支持を取り付けるためには,彼らが信じたいことが明らかになっているわけですから,それを示せばよいだけです。しかし,庶民は怠惰ですから,すぐに信仰心が薄れます。その時は,コロナの恐怖を煽ればよいのです。もともとコロナは,特に日本では,重症化しにくく致死率の低い感染症なのですが,重症化した例や自宅で急死した例,さらには後遺症などが繰り返し強調されると,誰でも怖くなってワクチンへの信仰が高まります。

 この構図はマスコミも同じです。マスコミは真実を伝える機関ではなく,読者が知りたいと思っている情報を提供することで利益を得ています。もし,読者の過半数がワクチンを打っていて,それが有効という情報が欲しいのなら,そんな情報しか流しません。しかも,部数を伸ばすためには,読者の信仰心を強化しないといけませんから,政治と同じで,コロナの恐怖ばかりを報道するようになります。

 この構図は信者が減らない限り,簡単には変わりません。むしろ,どんどん強化されていきます。しかも,よくないことに教義に陰りが見えてきたときに,宗教は凶暴化します。最初はヨガ教室に過ぎなかったオウム真理教の顛末を思い出せばよく分かると思います。ナチスドイツや大日本帝国が,戦況が悪化しても,なお戦線を拡大しようとしたことも同じ構図です。

 実際,ワクチンの効果が想定よりもはるかに低いことや,副作用が想定よりも大きいことが分かってきてから,ワクチンの義務化やパスポートの議論が盛んになってきています。アメリカやフランスのような国ではどんどん過激な政策に舵を切っています。これは,まさに宗教や全体主義の末期的症状ではないでしょうか。

 なお,宗教が成功するためには,一つ重要なポイントがあります。それは,教義の真偽が判明する点は,できるだけ遠い未来に置くことです。そうでないとすぐに化けの皮がはがれてしまいますから。天国に行けるか,地獄に落ちるかを最終的な審級にする方法は,人間が一生その宗教から逃れられないようにするためです。別の話題ですが,2050年のCO2排出量や今世紀中の気温の上昇を目標にしている地球温暖化問題も,十分に宗教化していると見なければなりません。

 その意味では,ワクチンがもしも宗教であるならば,そこから解放される日は近いことでしょう。すでに,北欧や東欧などで,ワクチンの義務化やパスポート化を放棄した国が多くある以上,一部の国だけが義務化やパスポート化を継続するためには,それを採用しない国がコロナで大きな被害を受けないと合理性を主張できませんが,今のところそのような気配はありません。むしろ逆の現象が生じています。

 もしも,このままコロナが収まったとしても,ワクチンをたくさん接種してしまった国は,そうでない国よりも多くの有害事象と将来への健康不安を抱え込むことになるので,必ず,情勢は逆転し,責任追及の火の手があがることは簡単に予想できます。それを回避するために,義務化やパスポート化によってワクチンを制度化しようと必死の政治家を見れば,私たちがすべきことは明確になるはずです。ワクチンパスポートは健康の証明書ではなく,将来,不健康の証明書になるかもしれないのです。


 


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