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第15回神宮外苑24時間チャレンジの振り返り(確定版)

初めて24時間走にチャレンジに参戦したので振り返ります。(過去に土トラックの24時間走では大雨のため6時間でDNF)。


【結果(3/14修正)】

男子6位
244.692 km
※ノンサポート

GPSのため参考値


1時間毎の順位、周回数、周回差、累積距離、6時間毎の周回数

【本大会の注目選手(ウルプロより)】

【当日の気温】

最高20.2℃
暑熱順化できてない身体にはかなり厳しいコンディション。

【直前のメンタル面】

 東京マラソンの翌週で、東京マラソンで自信喪失気味でメンタル保てず、DNSすら考えていた。やる気がまったく乗らず、24時間走り続けるという未知の領域。何か理由をつけて逃げたい気持ちでいたし、SNSではネガティヴな発言ばかりしていた。しかし、走れば結果はついてくるとアドバイスを受けて、走ることにした。24時間走を走っておかないとハンドラーつけたくても対象にならないのである程度の距離を走っておく必要がある。

【補給食】

 大会情報ではエイドは充実しておりゼネラルエイドだけでも十分だと思ったがジェルなどを準備した。賞味期限切れのものばかりだが、アスリチューン、ウィンゾーン、スポーツ羊羹、JT200でもらったメダリスト、写真にはないが塩タブ(結局1個しか使用していない)。6時間経過毎(6、12、18時間)に詰め替えできるようにジップロックに入れる。
が、スタート前で気づいてしまうが、スタートからの6時間分のジェルがないw
 なのでスタートから6時間はゼネラルエイドでいいやと考える。

【ウェア等】

シャツ:サロモン
 (サブ:2日目用でチームウェア)
 → サブのシャツは着替える時間がなくて未使用
タイツ:answer4
パンツ:インナーファクト変態パンツ
ソックス:インナーファクト足袋型
シューズ:LiNing challenger
(サブシューズ:ボロいヴェイパーフライネクスト%)
サングラス:オークリー
その他:アームカバー(R×L)、キャップ(NIKE)

暑くなる予報なので塩対策で白のウェアを選択

【レース前のトレーニング等】

1日前:ノーラン
2日前:ノーラン(疲労が抜けずスポーツマッサージで治療)
3日前:3000mPR+2kmjog
4日前:ノーラン
5日前ノーラン
6日前:東京マラソン2023(2°47'49")

東京マラソンから中5日。普通に考えたら無謀な計画。

【レース前日】

 仕事が終わりいつもの鳥貴族で軽く飲食する。もはや現実逃避。
 帰宅してから24時間走の準備する。酔っ払ってたからスタート後のジェルを考えてないし、準備はしっかりしなくてはならない。しっかりしなくてはならない。大切なことは2回言う。

【レース当日・スタート前】

 7時に起床。準備が終わってないことはこの時間で終わらせた。忘れ物がないことをチェックし、会場に向かう。会場には9:45頃に着き、思ったより選手テントがごちゃごちゃしており、自分の荷物のスペースを確保する。とにかくアンクル型の計測器が邪魔でしょうがなく感じた。スタート前にはこぶやん、wasabi、ひゃっほいさん、DNSだったTさんと話、トレイル勢として頑張ろうと話した(私はトラック好きランナーだけど)。

【レース目標とペース】

目標は240km(ハンドラーの権限は最低でも欲しい)

設定ペース
0→6時間 5'30"/km
6→12時間 5'45"/km
12→18時間 6'00"/km
18→24時間 6'15"/km

 今回は細かいタイム設定はおこなわず、ざっくりとしたペース配分で。走り始めたコンディションでペースを調整する予定。2023JT200でも調子に合わせてペースコントロールしていた。
私は初めての24時間走だが、4分割で考えることにしていた。
 そして、24時間走とは考えず、目標距離である240kmロードレース(制限時間24時間)だと考えて走る。
 エイドワークのロスタイムを考慮してもこのペースで240km前後になるはず。とにかく初めての経験のため脚がどれくらい残っているかわからず未知の領域。

【エイド計画】

30分おきに補給&給水。

給水はアクエリアス、麦茶、コーラ、豆乳
おそらく豆乳の頻度が一番高かったと思う。

補給は基本は準備したジェル、ゼネラルエイドのおにぎりとバナナをローテーションで摂取していた。

選手テントにスタート時は6時間毎に戻る予定だったが、忘れ物などもあり、3時間毎に戻ることにした。それで必要なものを適宜補給、交換する計画。
レース中、テントに戻るとタイムロスは1.5-2分。長いと4分経過していたため、ハンドラーを帯同させるメリットは大きい。

【スタート直後(0→6時間)】

 スタートは緊張感もなくゆるゆるだった。とにかく狭いコース内に選手が、100名近く走る(一般人もいる)ため、抜かすことも一苦労した。手動ラップで周回のデータを確認しようと考えていたのに、オートラップにしているという痛恨のミス。なので諦めてオートラップで走る。神宮あたりはイマイチGPSの精度が悪くて正直アテにならないけど、10周ごとに距離を確認すると大体合ってるので、通過表示モニターでラップ数を確認する。ジェルをほぼ持たずに走っているため、ゼネラルエイドに寄るがタイムロスが大きい…。やはりハンドラーつけていると走りながら補給できるので羨ましく感じながら走る。青学の子がめちゃくちゃ速くて異次元さを感じた。細くてうらやましい(ソコか)。
 2時間経過時の順位は42位。気温は高いのに全体的にハイペース。なので、気持ちは焦る。けど、どうせ潰れる選手多いでしょ、とマイペースで刻む。とにかくがんがん抜かれて行くけど自分の走りに集中していた。
 30kmくらいで足の親指がシューズにあたり痛みが出始める。なのでサブシューズに変更。とても良い感覚だったけど、リスクを減らすためにはしょうがない。周回型のレースでは早期にリスクを検知して排除できることがメリットだと思う。シューズ履き替えたときに、左のアキレス腱痛が出ていることに気付く。道路路面のゴツゴツの影響なのか、障害者用の点字ブロックの影響なのか、右足の足底痛まで出始める。痛くて想定スピードより遅くなり始めたのでここでDNFが頭によぎるが、弘前でお願いしているハンドラーが夜に到着し、ハンドリングの勉強するとのことなので夜までは走っていようと考え、ペースを落とす(5'40/kmくらい)。

【6時間経過(17時)→12時間(23時)】

 太陽の日差しが弱まり気温が下がっていく。やっと走りやすい気温になった。けど、ペースは上げずに維持させる。設定ペースどおりで走れている。
 9時間経過したくらいで現在の順位を教えてもらうと22位くらい。前を走ってたランナーがだいぶ落ちてきたなという印象があった。暗くなると路面がわかりにくくなりやはりペースが若干落ちる。とりあえず計画通りのペースで進めた。12時間経過時に13位まで上がっていた。ここでサングラスを外し、アームカバー(R×L)を装着。

【12時間→18時間(5時)】

 トレイルのレースでもそうだが、この時間帯が睡魔や暗さでペースが最も落ちる時間帯。私はレース中に眠くなることはほとんどないので淡々と予定ペースより少し速めでペースを刻む。一番キツかったのは16時間経過した頃でペースが5'50/kmを超えることが多くなる。しかし、この時間帯の計画(6'00/km)よりもまだ速く、足の出力は上げずに保てているので無理がなければこのまま進める。
 150kmくらいまでは余力がだいぶ残ってて目標240kmまであと90kmくらいだと余裕な気持ちがあったが、アキレス腱痛が酷くなりペース維持することがやっとの状態でもあった。このときの気持ちとしては、200kmまでは抑えて、のこり42kmはフルマラソンと思って気持ちを切り替えていた。200km以降は未知の領域でこのように考えていなければ200kmまでに余力が残っていなかったかもしれない。18時間経過時には8位。7位との差は4周(約5km)なので、トップ10を死守しようと考える。

【18時間→24時間(11時)】

 明るくなり始めて、気持ちが楽になる。200kmを超えるまではスピード抑えてずっと我慢。200超えてからペースを5'30-45/kmくらいまで上げる。余力的に240kmまではスタミナが持つだろうと確信する。240超えれば目標達成なのであとは惰性で走ればよいとゆるく考える。19時間経過で7位まで上がる。上位陣が歩いたりペースダウンしてる選手が目立ってきたのでもしかしたらという気持ちがよぎる。この時間帯はアキレス腱痛やら足底痛がさらに酷くなりエイドに寄るたびに走り始めようとすると激痛で正直立ち止まることが嫌でしょうがなかった。
 23時間経過で6位まで上がる。後ろにはレジェンドが走っていたので気を抜いたら抜かれると思ってペースは落とさず走る。残り1時間となり時計を見ながら走ることが多くなった。日本代表選考のポイントがつく247kmまで伸ばしたいところだったが、すでにアキレス腱が悲鳴をあげておりもうスピード上げることすら困難。残り3分から長かった。なかなか終わりが見えないがカウントダウンしていき、やっと24時間経過した。走り終えた開放感で路上に座り込み、周囲のランナーと安堵しながらお話する。

ということで私の初めての24時間は終わった。

初めての24時間走かつハンドラーなしで男子6位244kmなら上出来ではないでしょうか。
自分を評価するなら90点(100点満点)で、準備とエイドワークに課題が残った。これだけでも10分くらい(1.5km)は多く走れたと思う。
とにかく、キツかった。座ってから立ち上がるときにアキレス腱痛も足底痛もひどくて、よくこんな状態で走れてたなと思ったし、アドレナリンのせいでこの状態でも走れてしまうのかとコワイくらい実感した。

【応援にいらしてくれた方へ】

 多くの方が応援に来ており、知り合いも多く来ていただき、とてもありがたかった。退屈な時間帯や暗くつらい時間帯にきていただいた方も、2日間かけて応援きていただいた方も、夜からゴールまで応援してくれた方もいたおかげで一人で走ってるわけではなく、実力の100%出し切れたと思う。また、多くの写真を撮っていただき、ありがとうございました♪

【反省点】

・24時間走に向けて気持ちの切り替えができていなかった
・補給食の準備ミス
 → 準備リスト作成
・エイドワークのタイムロス
 → 事前にどのような形式なのか経験者に確認すべきだった
・水分補給は序盤、喉の渇きがあまりなく少な過ぎた
 → 喉が渇いていなくても計画を狂わせない
・唇の日焼け
 →日焼け止めリップクリームを塗ったが2日目にも塗るべきだった
・PRローションが少なくなり何度も振ってみたけど出なかった
 → ハサミで切ったけどだいぶタイムロスした。予め小分けした方がよさそう

【良かった点】

・ウェアリングは問題なし(白のウェアは塩が目立たなくてよい)
・ペース配分も概ね問題なく走れた
 → マイペースを貫いた
・ハンドラーつけられなかったがエイドのタイムロスを計算しながら走れた
・リスクになりそうなことは排除しながらレースをおこなえた(足指の痛み、ワセリンなど)
・ハンドラーをつけられなかったことでハンドラー帯同のメリットを感じられた
 →第三者から見てもハンドラーの仕事量が多く、お互いリスペクトしながら戦い抜く必要があると感じた

【レース直後】

 アキレス腱痛と足底痛のため、引きずりながら会場に戻る。プロテインとビールを買ってきてもらったけど、プロテイン飲んだら気持ち悪くなりベンチで横になる。顔色がだいぶ悪かったらしい。
 気持ち悪いため電車で帰れず、着替えてタクシーで帰る。帰ってから温かい服を着て、カロリーメイトを食べながらビールを飲む。食べ物が他になくてこの組み合わせに。アキレス腱と足底は目視でもがっつり腫れてるのがわかる。マイクロカレントを装着する。ソファで横になるけど1時間しか寝れず、足痛いけど引きずりながら自宅最寄りの居酒屋まで行く。けどあまり飲めず食べれずすぐに帰ってきて、布団で寝る。
 ウルトラマラソン後は毎回と言っていいほど、夜中に寒気が起きるので対策して寝る。おかげで寒気にも問題なく耐えられた。

【レース翌日、2日後】

 翌日は休暇にしていた。アキレス腱痛と足底痛のため歩くのがつらい。内臓もまだダメージあるけど、ビールくらいなら飲めるし、肉が食べたい食欲もあるので多分問題ないだろう。アイシングして炎症抑える。休暇にしておき正解だった。動けない…
 2日目は、アキレス腱痛は軽減し、足底の腫れも少し引いたが痛みは残っている。2日目にわかったことは脛のダメージが大きくて歩くと痛い。考えてみたら前日から腫れてるのは認識していたけど足底痛が酷すぎて痛みを感じていなかっただけなのかもしれない。

【次回の24時間走につなげること】

 次回はハンドラーがつけられるため、ソロで走るのとは異なるレースができるが、今回の失敗を対策しつつ、250km超えを目指せるようなレースプラン、練習を積み上げたいと思う。
 今回の結果は今の実力とコンディションでは概ね満足できる結果ではあるが、安定した結果が残せるまでは挑戦者としてレースに取り組みたい。

【次戦】

OSJ新城32K
トレイルなんて最近ずっと走ってないけど走れるのかな…

以上です。

24時間走に興味がある方がおりましたらご参考ください(^^)

(おわり)

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