自分で髪の毛を洗えるようになるということは

わが家の子どもたちは年末に8歳を迎える。
少しずつ成長している。
できることが増えている。

お風呂でいえば、髪を濡らして、シャンプーを泡立てて洗う。
流すこともできるようになってきた。
しっかり目を閉じてシャワーを頭からかける。
しかし、すすぎ残しはどうしてもあるから。
そのチェックと仕上げに呼ばれる。
最近はこんな流れだ。

先日、Xにてこんなポストを目にした。

髪の毛には、念とか願いとか霊のカケラとかつくよね。
霊的に弱い人は、なんとなく髪の毛洗えなくなるの。

少し前に暦、九星気学について学んだことがあり、その中で「髪の毛には邪気がたまる」と聞いた。だから、洗髪を大切にする歴史があったとも同時に学んだ。

小さいうちは髪を洗ってもらえる。
それは清潔に保つのみならず、邪気を払ってあげているのかもしれない。
そんなことをふと思った。

そういえば、子どもが生まれたとき祖母がこんなことを言っていた。
昔、赤ちゃんは生まれてすぐに髪の毛を剃ったのだ、と。
これはおなかの中にあったものは「不浄である」という理由からこうした習慣があったのだそう(調べてみたところ、明治初期までこの習慣はあったそう。祖母は昭和初期生まれ。見たのではなく歴史として知っていたのかな。)

少しずつ手を離れて、あっという間に一緒にお風呂に入らなくなる日も来るのだろう。そのときまで、邪気を自分で払えるように育てる責任があるのかもしれない。

それさえも楽しんでいこう。

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