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永遠のアイドル07.~広末涼子

皆さん、おはこんばんちは。

さて。

私の思い入れがあるアイドルについて書いているこのシリーズですが、7人(組)目の今回は、広末涼子さんを取り上げたいと思います。


広末涼子

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「遅れて来た、早すぎるアイドル」

これを読まれている、特に若い年代の人は、
「え? 広末涼子って、アイドルなの?」
と思う方がいらっしゃるかもしれませんね。

確かに彼女は、
◎テレビドラマ
「ビーチボーイズ」
「聖者の行進」
「リップスティック」
「コンフィデンスマンJP」
◎映画
「20世紀ノスタルジア」
「鉄道員(ぽっぽや)」
「WASABI」
「秘密」
「バブルへGO!! タイムマシンはドラム式」
「おくりびと」

など、女優としての活躍が印象に残っている方も多いと思います。

しかし!

私にとっては、
れっきとした、
まごうことなき、
アイドルなのです。

私は彼女のことを、
「遅れて来た、早すぎるアイドル」
だと思っています。

こんなこと書くと、またまた
「なんだよ、それ。遅れて来て早すぎるなんて、日本語がおかしいじゃないか!」
と、思われるかもしれませんね。

それをこれから、じっくり説明していきたいと思います。

🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶

日本のアイドル史

それには、我が国のアイドル史を紐解いていかねばなりません。
(大きく出たね~!(笑))

但し、以下の考察は全て私の独断と偏見であり、Wikipedia以外の文献等は一切参考や引用はしておりませんのでご了承下さい。

「ここはこうだろう?」というご意見やご指摘は、コメント欄でお願いしたいと思います。
是非、勉強させて下さい。

第一期アイドル時代

1960(昭和35)年5月14日生まれの私がティーンエイジャーだった1970年代は、「第一期アイドル時代」だったと思います。

70年代前半の天地真理、南沙織、麻丘めぐみ、アグネス・チャン、浅田美代子らに始まり、TVの公開オーディション番組「スター誕生!(スタ誕)」からは「花の中三トリオ」山口百恵、森昌子、桜田淳子など、それこそ多くのスターが誕生しました。

他にも高田みづえ、大場久美子、キャンディーズ、石川ひとみ、このシリーズで取り上げた榊原郁恵さんらが活躍しました。

マガジン「永遠のアイドル」シリーズ


第二期アイドル時代

そして、1980年をターニングポイントとして、アイドル全盛期の一つに数えられる「第二期アイドル時代」へと突入します。

そうです。
↑上のマガジン内にあります松田聖子さんの回にも書きましたが、1980年は山口百恵が引退し、そして松田聖子がデビューした年でした。

80年代はその松田聖子を筆頭に、前述の「スタ誕」組の岩崎宏美、中森明菜、小泉今日子、片平なぎさ、伊藤咲子、黒木真由美、石野真子、清水由貴子、甲斐智枝美、柏原芳恵、ピンクレディーらがデビューしました。

スタ誕以外からも、岩崎良美(岩崎宏美の妹)、河合奈保子、松本伊代、菊池桃子、伊藤つかさ、薬師丸ひろ子、石川秀美、早見優、原田知世、渡辺典子、森口博子、本田美奈子、斉藤由貴、西村知美、堀ちえみ、南野陽子、中山美穂・忍姉妹、酒井法子、三田寛子、石野陽子(石野真子の妹)、芳本美代子、浅香唯、松本典子、大西結花、井森美幸、荻野目洋子(姉は女優の荻野目慶子)、森高千里、山瀬まみ、ウインク、西田ひかる、そしてこのブログでも度々紹介している岡田有希子や、シリーズその2で紹介した森川美穂など、まさにアイドル群雄割拠の時代でした。

高校野球に例えるなら…(草)

話を元に戻しますと「1980年」という年は、高校野球に例えるとするならば、畠山・水野の“池田高校時代”から、桑田・清原の“PL学園時代”へと転換したのと同じくらい、大きなターニングポイントだったと言えるでしょう(笑)。

※その意味が分からず、ご興味のある方は、是非こちら↓をご覧ください😉


広末涼子生誕の1980年

そして!
その1980年は、なんと広末涼子さんがこの世に誕生した年なのです。
この誕生した年と、後で述べる歌手としてデビューした年を鑑みると、彼女が「アイドル」としての資質と運命を持っており、かつ「日本のアイドル史」の中では、ひときわ特異な存在だった…と私は思っているのです。

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第三期アイドル時代

80年代後半から90年代初頭にかけては、「第三期アイドル時代」と言える、それまでとは違ったアイドルの時代へと転換します。

そのきっかけが、秋元康プロデュースで85年に放送開始したTVバラエティ「夕やけニャンニャン」でした。

この番組では、オーディションで選ばれた女の娘が「おニャン子クラブ」のメンバーとしてユニットを組んだり、ソロでデビューしたりと、新しいアイドルの姿を形成していきます。

おニャン子クラブのメンバーは、新田恵利、国生さゆり、河合その子、内海和子、福永恵規、高井麻巳子、城之内早苗、岩井由紀子、渡辺美奈代、山本スーザン久美子、渡辺満里奈、工藤静香、生稲晃子、我妻佳代などを輩出し、現在もなお芸能界で活躍している人が存在します。

それまでの一人称アイドルから、集団で活動する「グループアイドル」への転換期となったのが、この「おニャン子クラブ」でした。

追記:秋元先生は、おニャン子メンバーの高井麻巳子を嫁にしています。それを知った時は「プロデューサー特権ってスゲェな〜」と感心(というか半ばジェラシー)を覚えました!😆

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アイドル氷河期

そのおニャン子クラブが解散した80年代後半から90年代前半は「アイドル氷河期」とも言える時代になります。

この頃の歌手は、アイドルというよりはアーティストとしての印象が強い篠原涼子、安室奈美恵、MAX、浜崎あゆみ、華原朋美、SPEEDなどが活躍した時代です。

また、歌って踊るアイドルではなく、かとうれいこ、細川ふみえ、山田まりやなど「グラビアアイドル」がブームとなり、さらには宮沢りえ、観月ありさ、内田有紀、高橋由美子、桜井幸子など、女優・タレントとしてのアイドル的な存在もいました。

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時代の橋渡し役

80年代後半~90年代前半のアイドル氷河期が末期を迎え、次の「第四期アイドル時代」の橋渡し役となるグループが1997年に結成されます。それが「モーニング娘。」です。
↓詳しくはこちらをどうぞ😉


新メンバーのオーディションをTV番組で公開し、加入→卒業を繰り返して新陳代謝を図りながら、グループを存続させるという現在のアイドルグループの原形を築いた「モーニング娘。」の功績は計り知れません。

広末涼子デビュー

そしてなんと、それと時を同じくするように、1997年4月15日に竹内まりやプロデュースによる「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューしたのが、広末涼子さんでした。

デビュー前後の経緯は後で詳しく書きますが、このアイドル氷河期の、しかもモーニング娘。の誕生と同じ頃に涼子さんが歌手デビューしたというのも、先に述べた「誕生年(1980年)」と合わせ、彼女を語る上では重要なポイントだと思っています。

デビュー曲は60万枚セールスを記録し、その年の紅白歌合戦にも2枚目のシングル「大スキ!」を引っ提げて初出場を果たすなど
「ヒロスエ・ブーム」
を巻き起こしたのですが、氷河期にデビューしたという影響からか、シングル7枚、オリジナルアルバムはわずか2枚(リミックスやベスト盤を除く)をリリースしただけで、デビューからわずか5年たらず(実質活動期は約3年半)の2002年に、彼女は歌手活動をやめてしまうのです。

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AKBグループ爆誕

広末涼子さんが歌手を止めた3年後の2005年。
「おニャン子クラブ」でグループアイドル戦略データを蓄積した秋元康氏プロデュースにより「AKB48」が世に出ます。

第一期、第二期のアイドルは、手の届かない雲の上の存在でした。もちろん、その時代にも俗に「親衛隊」と呼ばれる、コンサートやTV公開番組で掛け声を叫んでいた熱烈なファンは存在しました。

しかし、AKB48は「会いに行けるアイドル」というコンセプトを盛り込んだことにより、お気に入りのメンバー「推しメン」に入れ込んでお金を注ぎ込むという「アイドルヲタク」が生まれたのも、このグループからです。

そして、このAKB48グループはSKE、NMB、HKT、NGT、STUなどの地域グループから海外にまで進出し、さらに同じ秋元康プロデュースで乃木坂46が生まれ、日向坂、欅坂などの坂道グループも登場します。


ローカルアイドルの振興

AKBグループ以外のローカルアイドルでも、北海道のカントリー娘。(田中義剛プロデュース)や青森のりんご娘(王林ちゃんは今や大スター😆)、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、広島のPerfumeは2000年の結成ですが、ブレイクするのはAKB48誕生のずっと後、2007年頃です。
私の地元九州では福岡のLinQや、「奇跡の一枚」写真が話題となった橋本環奈を生んだRev. from DVLなど、続々と活動を開始しています。
※知らないグループもありますが(草)、Wikipediaを参照しました。


その他、AKB以外のアイドルグループとしては最も成功したと言える、スターダストプロモーション(スタダ)の「ももいろクローバー」は2008年の結成。
(結成当時は、Zはありません)

同じスタダ所属で、私がイチオシのエビ中(私立恵比寿中学)は、翌2009年の結成。
スタダ福岡営業所のばってん少女隊(ばっしょー)の結成は、2015年です。


第四期アイドル時代

2010年から始まった女性アイドルの大規模フェス「TOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)」の規模は、現在では200組以上ものグループが参加するまでになっています。

今や「私はアイドルです」と名乗る人数は、芸能界史上最多の「アイドル戦国時代」です。
いま現在が、まさに「第四期アイドル時代」と言えます。

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時代の悪戯

さて。
話を広末涼子さんに戻しましょう。

私は冒頭、彼女のことを
「遅れて来た、早すぎるアイドル」
と、書きました。

それは、つまりこういうことなのです。

もし彼女がもう15年早く産まれて、松田聖子さん、中森明菜さんらの「80年代アイドル」と同世代だったとしたら…

逆に。
あと10~15年遅く産まれて、AKB48の初期メンバー大島優子や前田敦子、渡辺麻友、高橋みなみ、その少し年下の柏木由紀、板野友美、指原莉乃らのメンバーと同世代だったとしたら…

そのどちらの時代でも、広末涼子は間違いなく超売れっ子のアイドルとして活躍したでしょう。

なぜなら、アイドル氷河期であった1990年代後半に、あの一大「ヒロスエ・ブーム」を巻き起こしたのですから…

先ほど、広末涼子さんが紅白歌合戦に出場したのは書きましたが、女性アイドル歌手がデビューした年に紅白に出場したのは、1980年の松田聖子・岩崎良美以来17年ぶりのことだったのです。

17年間、広末涼子のような存在はひとりもいなかったのです。

ですから彼女は、80年代アイドルからは遅れてしまい、2000年代の戦国アイドル時代には、早く産まれ過ぎてしまったのです。

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プロフィール

それでは。
やっとこさ、広末涼子さん本人のプロフィールとその魅力に迫って行きましょう。

先にもちょっと触れましたが、彼女は1980年7月18日、高知県生まれ。本名は難しい字の廣末涼子です。

芸能界入りのきっかけは1994年、第1回クレアラシル「ぴかぴかフェイスコンテスト」でグランプリを受賞し、翌1995年にそのCMでデビューします。

その後も数本のCMに出演。中でも1996年に初出演し、その後シリーズ化されたNTTドコモポケベルのCM「広末涼子、ポケベルはじめる」で、一躍有名になります。

MajiでKoiする5秒前

そして!
1997年4月15日、「MajiでKoiする5秒前」で歌手デビューします。

↓ちょっと画質は悪いですが、どうか最後までご覧になってください。曲のオーラスで、アイドル歌手のPVとしては極めて胸ズッキュンシーンが待っています!
(最初は無音ですが、曲が始まるのは15秒過ぎです)


この曲は、竹内まりやさんのプロデュースであるとは先にも書きましたが、昨年(2019年)にまりやさんが発表したアルバム「ターンテーブル」には、この「MajiでKoiする5秒前」のセルフカバーver.が収録されています。

デビュー当時16才の涼子さんが歌うことを意識して書かれた楽曲ですが、まりやさん本人が歌うと、途端に大人っぽくなるんですよね~。

ばっしょーオマージュ

この曲が大ヒットした証しに、私が推しているスタダ所属の博多っ子アイドルグループ「ばってん少女隊(ばっしょー)」のインディーズデビュー曲「ばってん少女。」の中に、このタイトルのフレーズが出てきます。

2分25秒過ぎ↓「♪マジでなんちゃら5秒前?」


これはですね。
〝パクり〟ではありませんよ!(笑)こういう使い方するのを〝オマージュ〟と言うのです😉


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大スキ!

2曲目のシングル、岡本真夜プロデュースの「大スキ!」(1997年6月25日)は、オリコン1位の大ヒットとなり、先ほども書いたようにこの曲で大晦日の紅白歌合戦に出場します。


🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶


風のプリズム

3枚目のシングル「風のプリズム」(1997年10月15日)は、サザンオールスターズ桑田佳祐夫人の、原由子さんプロデュース。
これまでとはガラッと変わった曲調の素敵な曲です。


summer sunset 

4枚目のシングル「summer sunset 」(1998年5月13日)は、広瀬香美さんの作詞・作曲。
随所に「広瀬香美節」が繰り広げられ、ファンの間でも人気の高い曲です。

↑本当の恋人同士の日常を描いたようなPVは、この時から広末涼子の演技力の高さを示していますね。

🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶

オリジナルアルバムの曲目

ここで、彼女がリリースした2枚のオリジナルアルバムの曲目を記しておきます。

1stアルバム「ARIGATO! 」
(1997年11月19日リリース)

1.prologue (m.k.5)
作曲:藤井丈司
2.大スキ!
作詞・作曲:岡本真夜、編曲:藤井丈司・山本拓夫
※2ndシングル。アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CMソング
3.恋のカウンセル
作詞・作曲:竹内まりや、編曲:藤井丈司・金子飛鳥
4.風のプリズム
作詞・作曲:原由子、編曲:藤井丈司・島健
※3rdシングル。味の素CMソング
5.言い出せなくて
作詞・作曲:竹内まりや、編曲:藤井丈司
6.ヨリミチ
作詞・作曲・編曲:高浪敬太郎
7.とまどい (back to the summer version)
作詞・作曲:竹内まりや、編曲:藤井丈司
8.It's my Idol
作詞・作曲:奥居香、編曲:藤井丈司
9.なんてったって 今日はクリスマス!
作詞・作曲:岡本真夜、編曲:藤井丈司
10.MajiでKoiする5秒前
作詞・作曲:竹内まりや、編曲:藤井丈司・服部隆之
※1stシングル。NTTドコモ「ポケベル」CMソング、フジテレビ系ドラマ「木曜の怪談'97 悪霊学園」主題歌
11.f.s.b. (five seconds before)
作曲:藤井丈司
12.アリガト!
作詞・作曲:原由子、編曲:藤井丈司

2ndアルバム「private」
(1999年2月17日リリース)

1.向日葵
作詞:広末涼子 作曲・編曲:藤井丈司
2.summer sunset
作詞・作曲:広瀬香美 編曲:藤井丈司
※4thシングル
3.ジーンズ 〜1999 Mix〜
作詞:相田毅 作曲・編曲:朝本浩文
※5thシングル
4.リズム
作詞・作曲:古内東子 編曲:小松秀行
5.青い空に浮かぶ月のように 〜1999 Mix〜
作詞・作曲:平岩英子 編曲:島田昌典
6.Snow Letter
作詞:相田毅 作曲:村上てつや 編曲:野崎貴朗、ゴスペラーズ
7.2 Seat
作詞・作曲:桜井秀俊 編曲:桜井秀俊、鈴木俊介
8.プライベイト
作詞・作曲:シーナ・リンゴ 編曲:斎藤有太
※5thシングルのカップリング
9.大人にならないように
作詞:広末涼子 作曲:篠原ともえ 編曲:藤井丈司、島田昌典
10.明日へ 〜Album Version〜
作詞・作曲:岡本真夜 編曲:有賀啓雄
※6thシングル
11.in private
作曲・編曲:藤井丈司
12.あのつくことば
作詞:広末涼子 作曲:かの香織 編曲:藤井丈司
※6thシングルのカップリング

どうですか。

これだけの豪華な作家陣と、本人の作詞した曲も含めて完成度の高い楽曲の数々、そしてそれらの作家陣にオファーしたり、CMなどのタイアップを獲得することができた優秀なスタッフ陣にも恵まれ、短い期間でしたが広末涼子さんが残したアイドルとしての軌跡は、アイドル史に燦然さんぜんきらめく足跡であった、と私は思っています。

🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶

最後に。
これだけは書いておかなければならないことがあります。
広末涼子さんには、述べてきた煌めく足跡に反するような、悪い「噂」があります。

いくつかの奇行をフライデー(スキャンダルを写真報道した雑誌の名称)に掲載されたり、薬物疑惑が報じられるなどネットでも様々な噂が飛び交っていますし、中には読むに耐えないような内容のものもあります。

しかし、それらは私にとってあくまでも噂であり、それが真実かどうかを確かめるすべがありません。

「そんなことは関係ない」と言ってしまっては言い過ぎですが、彼女がアイドル時代に放った輝きは、何があろうとも決して色褪せることはないのです。

それは例えば、薬物使用で実際に逮捕されてしまった歌手の槇原敬之さんや、プロ野球選手の清原和博さんに置き換えてみても同じことが言えると思います。

槇原敬之さんが発表した素晴らしい楽曲の数々は、彼の逮捕で色褪せることはありません。
「世界に一つだけの花」が、日本の音楽史の中で名曲であることを否定する人はいないでしょう。

清原和博さんについても、↑上で紹介したPL学園時代に残した甲子園での記録や名シーンの数々が、薬物使用で逮捕されたことで全て記録が抹消されてしまう、ということがあってはならないと思います。

他にも、「ひまわり」など、今も数億円単位で取引される数々の名画を世に残し「炎の画家」として知られるヴィンセント・ヴァン・ゴッホも、生前は奇行や性格の不安定さで「危険人物」として扱われ、お世辞にも幸せな人生を送ったとは言えません。
自分で耳を切り取った後の「自画像」も有名ですが、彼の生前に売れた作品はたったの1枚とも言われ、評価されるようになったのは彼の死後、何年も経ってからです。

他にも例えば、今では放送禁止用語とされている言葉が古い映画で使われている時、「作品のオリジナル性を尊重して、そのまま放送します」という但し書きをご覧になったこともあるでしょう。

松田聖子さん&神田沙也加さんの回でも書いた、二人の「不仲説」の噂についても同じですね。
広末涼子さんも私にとって、それと全く同じことが言えるのです。

涼子さんは、いつまで経っても私にとって「永遠のアイドル」なのです。

🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶🎤🎶🎬🎶

それでは。
一人のアイドルについて語るため、日本のアイドル史を紐解くという暴挙に出てしまったため(笑)、8000字超えという何時にもまして長文になってしまい、申し訳ありませんでした。

最後までお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

また逢えるから、この言葉が言えるんですよね。
ごきげんよう、さよならdestiny!

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