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永遠のアイドル05.~松田聖子&神田沙也加

皆さん、おはこんばんちは。

今回のアイドルシリーズは、松田聖子さんと、そしてどうしても切り離すことのできない娘の神田沙也加ちゃんを取り上げます。

聖子さんについて書き始めたら、いつものことながらちょー長くなりましたので(笑)、沙也加ちゃんのことは「その06」で書くことになりそうです。


松田聖子

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このブログ、しばらく前に書き始めたんですが、YouTubeで「松田聖子」と検索すると、表示される動画の全てに観ハマってしまい(笑)、思わず時間を費やしてしまいました😆

ま、それだけ私にとって思い入れのあるアイドルであることは間違いありません。

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好々爺Q所蔵の写真集


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プロフィール

松田聖子さんは、1962(昭和37)年3月10日、福岡県久留米市で生まれました。

私と同じ福岡県人であることを誇りに思う芸能人は他にも数多あまたいますが、彼女はその中でもトップクラス…、う~ん、もうNo.1と言ってもいいかも。

私より2つ年下(学年はひとつ下)で、デビューは1980年4月の18歳ですから、アイドルとしてはやや遅咲きです。それはお父さんが厳格な公務員であったり、芸能事務所がなかなか決まらず、決まった後も事務所の方針でデビューするまでに紆余曲折あったのが原因だったわけですが、それを詳しく書いていくと止めどがなくなってしまいますので、割愛させていただきます。
(興味のある方はWikipediaを参照してください)

とにかく、デビューしてからの彼女は瞬く間にスターダムに駆け上り、伝説となりました。
独特のヘアスタイル「聖子ちゃんカット」や、可愛い仕草を意識的にしていると半ば批判を受けた「ぶりっ子」など、当時はまだ流行語大賞はありませんでしたが(第1回は1984年)、あれば絶対に選ばれていたことは間違いありません。

今、日本の芸能史では何度目かのアイドル全盛期ですが、現在のようなグループでの活動ではなく、一人の女性としてこれだけ世の中に影響を与えたアイドルは多分、もう現れないでしょう。

そしてアラフィフ、もうすぐアラシクを迎える今もなお輝きを放ち続けている、日本の芸能史を代表するトップアイドルだと思います。

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伝説の始まり

彼女の伝説は、このCMから始まりました。


デビュー曲「裸足の季節」が、資生堂の洗顔料「エクボ」のCM曲に抜擢されます。
最初はCMに出演するタイアップ企画だったんですが、聖子さんにどうしても「エクボ」が出来なかったので、起用はお流れになってしまいます。
ですが、それでも曲だけは使おうということになったんですね。

デビュー後、初めて出演した「夜のヒットスタジオ(夜ヒット)」の映像です。

いかがでしょう。
デビュー後わずか1ヶ月の新人歌手にしてナマ歌でこの声量、正確な音程!
新人とは思えない堂々とした態度!
アイドルとしての片鱗を垣間見させる仕草、カメラ目線、歌い終わった後の深々としたお辞儀…。

将来を予感させる要素に枚挙のいとまがないと思うのは、私だけではないと思います。

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不動の地位を築く

そして。
彼女の地位を不動のものとしたのは、なんといっても2枚目のシングル「青い珊瑚礁」ですね。
この曲は、甲子園センバツ大会の行進曲にも選ばれています。


以前私は、私がいま推しているアイドルグループ「私立恵比寿中学」のメンバー・真山りかちゃんについて書いたブログで、その「しゃくる」歌い方について書きました。

↑ここにも書いている通り、この歌い方は松田聖子さんが原形なのです。

「あ~私の」と「恋は」の間、「あ~青い風」の「かぁ~ぜ~」で裏返る声が、聴いている私たちのハートを射ぬくビームライフルだったんですね。
一撃で撃破されました。
その歌い方は、盤化音源の方がもっと良く分かります。


それまでの日本歌謡史にも、アイドルといえる女性歌手はたしかに存在しました。

私がティーンエイジャーであった1970年代は、前半は山口百恵、桜田淳子、森昌子、南沙織、天地真理、小柳ルミ子、岡崎友紀、麻丘めぐみ、浅田美代子、伊藤咲子、アグネス・チャンなど。

70年代後半にも岩崎宏美、太田裕美、榊原郁恵、高田みづえ、大場久美子、石野真子などが活躍した訳ですが、その誰一人として、聖子さんのような「しゃくる」歌い方はしていません。

おそらく、その頃は
「音程正しく、楽譜に則った歌い方」
が歌手としての本分であり、音楽家たちがその様に指導していたのでしょう。

それを、松田聖子が見事に撃ち破った訳です。
それについてWikipediaには、こう解説してあります。

出版プロデューサーの但馬オサムは「容姿だけでなく歌の表現力でも1980年代のアイドル歌手としては突出したものを持っていた」と評価しており、歌の下手なアイドルでも通用した「かわい子ちゃん歌手」の時代からの転換を象徴していた。声量に関しても特筆すべきものがあり、初期の楽曲の作詞を手掛けた三浦徳子は初めて聖子の歌声を聴いた時を振り返って「いくらでも声が出るんで驚きました。マイクなんかいらないくらい」とコメントしている。また、三浦が「母音をしゃくりあげるような歌い方」と表現する特徴的な歌唱法は同じく初期の楽曲の作曲を手掛けた小田裕一郎から受けたレッスンの影響によるもので、彼の歌い方にそっくりだという。

引用元:wikipedia

まさに歴史を塗り替えた存在だったのです。


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可愛さの頂点

そして私の見解として、松田聖子の可愛さが頂点に達したと思う動画がこれです。↓

1983年、13枚目のシングル「天国のキッス」です。


この動画は、ドリフターズのバラエティー番組「ドリフの大爆笑」で収録されたものですが、聖子ファンの間では
「風船天キス」
と呼ばれている伝説の映像です。

YouTubeにアップされた時、収録にレコードの音源(そう、まだレコードだったんですよ。販売枚数ベースでCDがLPレコードを追い抜いたのは1986年ですからね)が使用されていたため、YouTubeの規範で削除されてしまいます。

それはもう悔しい想いをしていたのですが、「夜ヒット」の音源に差し替えて再アップされたものが↑これです。

「ドリフ」では1コーラスだったため、2コーラス目は「夜ヒット」の映像が挿入されていますね。
ニコニコ動画にはドリフ版の動画がありますが、無数に流れるコメが五月蝿うるさいので、こちらにしました😆

いま観ても、聖子さんの表情、その仕草、その目線、その声、しゃくる歌い方…。
ため息が出ますね~😂

アップを多用したカメラワークも秀逸ですしね。
「泳げないふりわざとしたのよ」と、カメラ目線で見つめてくれるところ。
「連れて行ってね ダーリン」でわざと目線を外すところ。
1コーラス目の終わりでスローになった時、ペロリと舌で唇をなめるところ…。

何回でも、いつまでも観ていたいと思える可愛さMaxの映像です。「夜ヒット」のカメラワークも当時、他の歌番組と比べて評判は良かったんですが、この映像だけは「ドリフ」が勝っています。

ちなみに私は、↑上の「裸足の季節」の動画と、この「風船天キス」ともにダウンロードして保存しています😆

※↑上のコメントを残していた動画は、残念ながら削除されてしまいましたので、代わりの動画を貼り付けています🙇

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可愛さからの脱皮

「可愛いアイドル」の頂点を極めた後、聖子さんは少し大人っぽい雰囲気に脱皮します。

「天キス」に続く14枚目のシングルが「ガラスの林檎」、15枚目が「瞳はダイアモンド」と、どちらもバラード調の大人びた楽曲となります。
ただ、しゃくる歌唱法はどの曲も健在ですけどね😆


「瞳はダイアモンド」のB面、「蒼いフォトグラフ」↓もいい曲です。これはTBSドラマ「青が散る」の主題歌でした(観てましたよ😉)。

※↑コメントの動画を貼り付けていたのですが、どれも削除されてしまいました😢

「大人の聖子」の象徴

もちろん、これらの曲の後にも
「Rock'n Rouge」
「時間の国のアリス」
「ピンクのモーツァルト」
など、アイドルらしい楽曲はあるんですけれど、
「天キス前」と「天キス後」
とでは、明らかに違う
「可愛いだけじゃない聖子」
の評価を確実に得ていきます。

その象徴とも言えるのが、↓この曲です。


サントリーCANビールのCMに使われた「SWEET MEMORIES」です。

が、初めの頃、画面には
「唄/松田聖子」
とは出ていなくて
「誰が唄ってるんだ?」
と話題になったんですね。

この曲は「ガラスの林檎」のB面だったんですが、「SWEET MEMORIES」を聖子さんが唄ってるのが分かってからは、両A面シングルとして再リリースされたのです。

その経緯をWikipediaでは、

放送当初は歌手名のクレジットが表記されていなかったため、歌っている歌手は誰なのかと話題になった。しかし当初はレコードを買っていたファン以外は歌手が聖子だということがわからず、レコード会社2社から「歌っている新人歌手を自社で使いたい」と引き合いの電話が来たという。聖子の母親すらも、聖子本人から知らされるまで気づかなかった。しばらく後に“唄/松田聖子”のクレジットが表示されるようになり、本作レコードの売り上げ再浮上へと繋がった。この経緯から、聖子の歌唱力を世間に認知させる契機になった、と評される名曲である

と解説しています。 

ちなみに、CMの「泣かせる味じゃん」のナレーションは、所ジョージさんです😉

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アーチスト・松田聖子

もうひとつ、彼女の「アイドル」としてだけではない才能についても触れておきましょう。

↓この「Canary」という楽曲は、聖子さん自身が初めて作曲したもので、1983年12月発売の8枚目のアルバムタイトル曲となっています。


「♪薔薇の模様の壁紙」
のところのメロディライン、好きですね~。
(「歩道の脇のシトロエン」は車のブランド名なので、NHKでは唄えません😆)

そのメロディラインがサビの部分でも効果的に使われていますよね。
いやいや、上手いと思いませんか? 彼女の曲作り!

この曲はファンの間でも評価が高く、ベスト盤収録曲を決めるリクエストでも票を集めてランクインしています。

一方、作曲だけでなく作詞も手掛けていまして、自身の曲はもちろん他のアーティストにも詞を提供しています。
私がこのブログでも度々取り上げている、岡田有希子さんの曲にもあります。

「くちびるNetwork」

作詞家としては「Seiko」というペンネームを使用していますね。

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さてここまで、いつにも増して長くなってしまいました。

これ以後、聖子さんの人生はまさに波瀾万丈。それをひとつひとつ書いて行ったら一冊の本になっちゃいますので、この辺りでお開きにさせてもらいたいと思います。

それでも「アイドル」としての聖子さんの魅力は、僅かばかりながらお伝え出来たのではないか、と思います。

最後に。
私が聖子さんの好きな楽曲を選べば、間違いなくベスト5に入るであろう曲に「瑠璃色の地球」があります。彼女の13枚目のアルバム「SUPREME」(1986年)に収録されています。

シングルカットされてないのが不思議なくらい(ちょうど神田正輝さんと結婚して沙也加ちゃんを妊娠していた時だったので、プロモーション出来ないという事情はあったのですが)、ファンだけに留まらず音楽界全般での評価が高く、中森明菜、辛島美登里、沢田知可子、手嶌葵、最近では広瀬すずもカバーしています。

また、コロナウイルスでの自粛期間中に一般の人が歌い継ぐ企画や、つい先日、聖子さん本人による「瑠璃色の地球 2020」のPVが公開になりました。

♪夜明けの来ない夜は無いさ あなたがポツリ言う

♪泣き顔が微笑みに変わる瞬間の涙を
♪世界中の人たちに そっとわけてあげたい

♪地球という名の船の 誰もが旅人

♪ひとつしかない 私たちの星を守りたい

コロナ禍で世界がガタガタに揺れている今こそ聴いてほしい、心に沁みる名曲です。
この曲で、お別れしましょう。

そして、「その06~神田沙也加」につづく



追記:2020年8月7日広瀬すずがカバーした瑠璃色の地球は、アニメ映画「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の挿入歌でした。
今日、地上波で初放送されたのを観ました。いい場面で使われていましたね。

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