保証されない名前。でも、自分。

先日、めでたく結婚した。
「一般的な」流れに逆らわず、私は旦那の苗字になった。
それ自体には何も抵抗なかった。婿養子になって欲しいとも思わなかったし、そもそも私の両親がそれを望んだりしなかっただろう。
婚姻届を出して、自然と自分の苗字が変わった。紙面上は。

生活の上では、ほとんど変化がない。
珍しくてかっこいい旧姓の苗字が好きで、会社は旧姓のままで働いている。そのため、日常で苗字が変わったことを意識する機会はほとんどない。例え名前を書く場面があったとしても、身分証明書を出す必要がなければどちらの名前で書いても特に問題にならない。そうなると、28年間使っていた苗字を自然と書いてしまう。どこにも旧姓を保証してくれる物はないのに、不思議なものだ。

婚姻届を出して2ヶ月くらい、手続きが面倒で身分証明書の変更をしていなかった。手元にある身分証明書は旧姓なので、見せろと言われたら旧姓で認識される。しかし戸籍上は旦那の苗字なので、実際には身分証明書が身分を証明できていない。でもそんなのは他人が見たところで全くわからない。役所で取り寄せるような証明書でない限り、自分が本当に身分証明書通りの人かなんて誰にもわからないんだと初めて感じた。
とても不思議な気分だった。
自分が何にでもなれそうで、でも、誰であるかも保証されていない。そんなふわふわした感じだった。

今なら、名前を聞かれたら適当な名前で答えてもいいなと、ふと思った。
旧姓の苗字では、なかなか電話口や口頭では一発で聞き取ってもらえないことがあった。そういう不便さを感じつつも、偽名を使うのにはどうしても抵抗があって今までなかなかできずにいた。しかし、何も自分の名前を保証してくれる物がないと思った瞬間、偽名を名乗ることはとても簡単だと気付いた。

結局のところ物心ついた頃には、自分はこの名前であると認識しており、その認識が強いから偽名が使えなかったのだ。
しかしそれは、親や周りから聞いている自分の名前であって、「本当に」自分の名前が認識通りかはきちんと証明書を見ない限りわからない。それでも、自分はこの名前であると思い、その名前にあった証明書が定期的に作成され、持っていたからこそ、保証され信じられていたのだ。

大事なことなのに、初めてきちんと確認したのはパスポートを作ったとき(22歳前後)かもしれない。それくらい実態を確認していないのに、自分をたらしめる物として大事なのが名前だったんだ。
今後、旧姓の自分の名前を保証できる物は手元になくなる。それでも会社では旧姓で呼ばれ続けるのだ。ある意味間違った名前で呼ばれているのに、許容され、書類もハンコもそれで通る。不思議なもんだ。

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