消失と不安

純情ロマンチカのアニメを観た私の感想になります。ネタバレもあると思うので嫌な方は読まないことをお勧めします。面白いのでぜひ観て語りましょう♪

もう好きなやつを目の前で取られたくない。
消失からくる依存。
恐怖からくる引き留め。

なんだろう。性交渉も本当にロマンチック。
アニメだから汚い部分がすべて排除されているからなのかもしれない。
色も白黒が主だし…
いやいやいや、そういうのがロマンチックだって言わないだろう!って人の意見も受け入れます笑
もちろん人間同士の性交渉は逆に本当の意味でさらけだすというのがいいのかもしれない…

しかしながらまた本題に戻ると何がどうしてそう思うのだろう。
純情エゴイストの一話目は角が言っていたことの逆を行く。
人はどれだけ肌を重ねたって愛することがないことも、逆に虚しくなることもある。
角は何かを知っていたんだろう。
でも、きっとそれは相手であって宇佐見は一度も心を開いていない。虚しかっただけなんだ。

多分私が想像するに宇佐見はたくさんの相手と関係を持ったと思う。
そのどれもが虚しくて。私はなんとなくその気持ちは理解できる。

関係ないが何故大事な本は三冊づつなんだろう…と考えた。
ふとネットで検索してみたら、「読む用」「保管用」「人に貸す用」に買う人もいるようだ。
その発想はなかった!
そして雪崩が起きない箇所に置くというのは本当に本が好きな人の発想だなと思う。
この辺は私の想像の範囲を超えた「本愛」のある人の感覚で新鮮だった。
それぞれに愛やいろいろな見方をすることでそこに特化した発想が生まれるものだ。

物語のいうように弘樹の描写では好きな人以外と性交渉に及んだ部分はない。
受けとか攻め?とかのそういうプライドみたいな話はよくわからないけれど、弘樹からしたらそういうときの自分とは普段出ない弱さ(というのかな?私はそうは思わないのだけれど)や恥ずかしさを見せられる相手はよほどではないと無いのだろう。

好きになることはどうしてこうも不安にさせるのかと何度も考える。
恥をかくことなのか。そもそも恋は恥ずかしいだけなんて誰が決めたのか。
現実的に見ればみんながそうであるなら、単に事実であって特別なことではないのだから受け止めればいいだけなのに、それでも恥ずかしく思ってしまうね。

野分のストレートさには本当に適わない。弘樹のような不器用な人が一生懸命にしているのにも涙が出るけれどね。

人を好きになる表現や恥ずかしさは本当にそれぞれ違って、とっても人間らしくていい。

お見舞いの幻想と現実はその通りだよね。ちなみに風邪のお見舞いです。
特にお化粧をする、髪をセットしている人ならわかるけれど絶対に見せたくない姿笑

目をウルウルさせて、弱ってなんてもんではなくまさに何か汚い…笑 が素直な感想すぎて笑っちゃう。
でもそれをちゃんと知らなかったってのにもなんだか切なさがこみあげて…
でも本当に優しくて涙が出ちゃう。

宇佐見はなんだかんだ本当に人を見抜く力がある。だから美咲の不安にも気が付く。
自分が不安を感じやすい分大事な人が不安なのにも敏感だ。

そしてそれが住むきっかけになるんだね。人をテリトリーに入れる。私も本当に苦手な人間だからわかるけれど、それでも入れたくなる相手がいつかできるのだろうか。




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