感情的な他人叩き

(読了目安7分)

今回は、「感情的な他人叩き」です。

内容は、

「感情的になって他人を叩いてしまう理由」

「他人叩きは結局自分に返ってくる」


「他人叩きは愛ではない」


などの話です。


インターネットが普及し初めて20年以上経ち、老若男女だれもがインターネットを使うようになると、その便利さと比例して他人を叩く行為も目立ってきました。
世の中では常に「炎上騒ぎ」「ネットいじめ」が起こり、時には自殺者が出るほどの悲劇も繰り返されています。


「自分の価値観を認めてもらいたければ他人の価値観を認める必要がある」


これは、愛情をベースにして冷静に考えれば、理解できることです。
しかし他人叩きをする人は感情的になっているため、その余裕がありません。


マスターは、他人を叩くことも叩かれることもなく、「平和に生きたい」と考えていますが、世の中にはそう考えない人もいます。


ではなぜ人は、感情的になって他人を叩いてしまうんでしょうか。


幸せな人は感情的になって怒ることはありません。
ですから、感情的になって他人を叩きたくなるのは、叩く側にストレスが溜まっていることが原因です。


自分の価値観との違いが悪い意味でツボにはまってしまうと、自分が否定された気になるのかもしれません。


その結果、感情が高まり、なにかせずにはいられなくなるわけです。
感情的になっていますから、相手に対する愛情は一切ありません。
自分との価値観の違いをどうにかして埋めようと、自分の視点のみで行動し、相手を攻撃してしまうんです。


ストレス発散のために他人を叩いてその場限りの快楽を得る方法は、お酒を飲み、その場限りの快楽を得る心理と同じです。
他人を叩く人のほとんどが、満たされない心を癒そうと、「痛み止め」として人を叩きます。
しかし、「痛み止め」は根本的な方法ではありませんから、心を癒すことはできず、すぐに次の人を叩く必要が出てきます。
「他人を叩く」というのは、その人なりの「寂しさの表現方法」なんです。


お酒は自分への愛ではありませんから、やがて悪い形で自分に返ってきます。
他人叩きも自分への愛ではありませんから、やがて悪い形で自分に返ってきます。


一番の問題は、他人を叩いた事実がネット上だけでなく自分の心にも残ってしまうということですが、他にも「感情的な他人叩き」について、以下に短編を書いてみます。
ひとつでもヒントになれば嬉しいです。



◎大切な人が読んだら


書き込んだ言葉はすぐに拡散し、決して消えません。
ですから、自分が書いた「叩き文句」を親、兄弟、親戚、さらには配偶者や子どもなどが読む可能性もあります。
大切な人たちが、「叩き文句」を読む可能性があるわけです。
これは愛とは言えません。
ですから、叩いてはいけないんです。



◎情報が正しいとは限らない


インターネットの世界は、半分はバーチャルと言えます。
特に顔も知らない不特定多数の人が出会う場所では、書いてある情報そのものが本当のことかどうかもわかりません。
情報の不確かさだけでなく、書いている本人が存在するかどうか、性別が本当かどうかなども不明です。
たとえば相手が女性だと思って一生懸命叩いていたのに、実際は男性だったということもありえます。
作られた情報に感情を操作され、敏感に反応するのは、見ていて「痛い」としか言いようがありません。
これでは自分の人生の大切な時間がもったいないです。


◎周囲から反発される


他人を叩くと、叩いた人が他の人から叩かれることがあります。
たとえば、AさんがBさんを叩いたら、叩かれたBさんを擁護する人がAさんを叩く、ということです。
Bさんを擁護する人が多く存在する場合、Aさんにとって想定外の結果になるだけでなく、Aさんの精神状態がおかしくなっていきます。
「叩いた側が叩かれ謝罪する」・・・これでは負の連鎖が終わらなくなります。


◎叩いた証拠が残る


ネット上にアップしたデータは、ネットの世界に永遠に残ると言っても過言ではありません。
人を叩くと、「人を叩いた証拠」が残ってしまうんです。
その証拠を他人に見られてイヤな思いをするのは、結局自分です。
叩いた本人の特定は現在の技術でも可能ですが、将来さらに手軽に本人特定ができるようになったとき、データが残っていると、特定され、さらなるトラブルの原因になります。


◎叩いたことを後悔する


お酒を飲んで後悔することがあるのと同じで、感情的になって他人を叩くと後悔することがあります。
誰だってお酒を飲むときは後悔するつもりはないように、叩く側も、その時は後悔するつもりなんかありません。
しかしお酒を飲んで後悔したことがある人は、感情的になって他人を叩くと後悔するという意味もわかると思います。

後悔の理由はいろいろですが、たとえば、

「勘違いだった」

「思ったほどのことでもなかった」

「自分も似たようなものだと気付いた」

など、時間の経過と共に冷静になったとき、感情的になった自分を後悔することがあります。



◎叩くほど寂しくなる


たとえばお酒を飲むほど、その場では楽しくても、後になって夢の時間と現実とのギャップが激しくなります。
他人を叩くのも同じです。
叩いているときは楽しいかもしれませんが、その後ギャップが激しくなり、空しさに襲われます。
そして次の快楽を求めてまた他の人を叩きたくなります。
まさに「悪循環」です。


◎結婚生活に影響


人を叩くと、将来の結婚生活にも影響します。
人を叩く人は長く愛する力がなく、人を叩く人と結婚する人も、長く愛する力はないからです。
仮にあなたが誰かを感情任せに叩いた文章があったとします。
その文章を、パートナーに読まれたいと思いますか?
また、将来、親や子どもがそれを読むことになったら、とても悲しい思いをします。
「叩いた情報なんか隠せばいい」と思うかもしれませんが、隠し通せる保証はどこにもなく、子どもたちの時代は、今よりも検索が簡単にできるようになるのは確実です。
過去にアップした内容は、調べる気になれば、ほぼ筒抜けになると考えるのが本質です。


◎自分を追い込む


今後は法改正が進み、叩く側を特定しやすくなり、法的な罪が重くなります。
実際に罪に問われ、罰を受けた人も増えています。
叩いた側が、加害者として裁判所に出頭し、謝罪するわけです。


叩かれた人も

「私は周囲から悪評を受けている」

「私の人生は終わった」

「私は嫌われている」

と感じる場合も多いですが、叩く人の方がはるかに大きな負担を負うことになります。


◎愛から遠ざかる


いろいろなパターンがあるので一概に言えませんが、あえて書けば、「叩く人」と「叩かれる人」では、「叩く人」がより愛から遠ざかります。
現代、ちょっとしたきっかけから、ネットの世界で叩かれる人は後を絶ちません。
叩かれて悩み、精神疾患に追い込まれる人も後を絶ちません。
しかし上に書いてきたことを踏まえて考えれば、叩かれる人よりも、叩く人の方が、長い目で見ればはるかに不幸です。
叩かれた人は、周囲にいる理解者たちの温かい言葉と、ネット上の擁護派からの応援コメントで守られますが、叩いた側は、発した言葉が生涯ネットの世界に残り続け、しかも「現実の世界」に理解者はほとんどいないんです。
愚痴や批判で繋がる人間関係は、人が本来求める「心の通った人間関係」ではないため、安定して長く続くものではありません。
表面的な人間関係を繰り返すその孤独が、自分を苦しめることになります。
人は、愛が欲しくて他人を叩きますが、他人を叩くと愛から遠ざかります。



◎叩きたくなる理由


ではなぜ他人を叩く必要があるのか・・・
他人を叩いたことがある人は、そのときの心境を思い出してみてください。

「自分が正しい・相手は間違っている」

こんな気持ちが強くありませんでしたか?


また、自分と他人の意見の違いに、

「自分が否定された」

という寂しさを感じなかったでしょうか。


「本物のプライド」がある人は、もちろん他人を叩きません。


他人を叩くなら、それは、

「自信がないから」

「いま幸せではないから」

「違う価値観を認めたくないから」

こんな理由かもしれません。



◎まとめ


感情的に他人を叩くというのは、

「私は寂しいです!自信がないです!」

と叫んでいるのと同じです。



そして、叩かれた側も、心に傷を負います。
いいことなどひとつもありません。


愛とは、「人の幸せを願う気持ちの実践」です。
感情的になって他人を叩く人が、長く愛されるでしょうか。

・・・

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