「接ぎ木」は自然か不自然か ―遺伝子操作―

(読了目安7分)

主に、「遺伝子操作なんか絶対ダメ!」と考えている人へのメッセージです。


「遺伝子操作の食べ物なんか絶対にダメ!」と言う前に、まずこの投稿を読んでみてください。
また、知人に「絶対にダメ」と言っている人がいたら、参考までにこの投稿を紹介してあげてください。


主に「農業」の話です。

世の中には、植物の「遺伝子操作」を頭から否定している人がいます。
特に「オーガニック最高!」と考えている人たちや、自称自然志向の若い女性たちの中には、「遺伝子操作」と聞くだけで気分が悪くなる人もいるようです。


トーンの強いものから弱いものまで、意見としては以下のようなものがあります。


「不自然だ」

「倫理に反する」

「神の意思を無視した悪魔の食べ物だ」

「命を操るなんて神を冒涜している」

「完全に頭がおかしい」

「いつか天罰がくだる」

「怖いから絶対に食べない」

「安全性が証明されていない」


では以下、マスターと一緒に考えてみましょう。
きっと新しい発見があると思います。



◎「接ぎ木」は自然か不自然か ―遺伝子操作―


農業を営む人の中には、「接ぎ木(つぎき)」や「挿し木(さしき)」に縁がある人も多いと思います。
また、「種無し・害虫に強い・寒さに強い」などに代表される「品種改良」された農産品を作っている人もいるかもしれません。


農産品は、効率良く収穫するために、同一品種を一ヶ所に集め、水や肥料や日照時間を計算し、計画通りに生産することがほとんどです。
「間引き」をしてひとつの個体を大きく育てることもあると思います。
人間は、農産品を効率よく生産するために、日々努力しているわけです。


「接ぎ木」は、自然界では起こるはずもなく、人間で言えば外科手術のようなものです。
植物の立場としては、人間の都合で健康な腕を切られ、違う腕を移植されたようなもので、たまったものじゃないかもしれません。


「挿し木」も、高度な挿し木技術は、「クローン技術」と同じと言ってもいいかもしれません。


異種の掛け合わせなどによる品種改良は、「遺伝子操作」です。


たとえば北海道と沖縄の植物の掛け合わせは、自然界では起こりえない不自然なことです。


同じ品種が同じ場所に集まり、計画的に育つ環境は、単に「過保護」であって自然界ではありえません。


「優良なもの」を残すために「劣るもの」を摘み取る「間引き」は、もし同じことを人間でやったら大問題になる「命の操作」です。


しかしこれらは、現代の農業では、誰もがあたりまえのようにやっていて、消費者たちもあたりまえのように食べています。


では、大昔に、上記の技術を知らない人が、上記の技術で収穫された農産品を見たら、どう感じたでしょうか。
人類がまだ狩猟採取をしていたころは、「栽培」という概念がなく、人々は自然に生えている草や、木の実を食べていました。
そんな時代の「接ぎ木」や「挿し木」は、「最先端技術」です。
新しい技術に興味を持つ人たちがいた反面、自分が理解できない「先進技術」に否定的な人たちは、以下のように言ったかもしれません。


「不自然だ」

「倫理に反する」

「神の意思を無視した悪魔の食べ物だ」

「命を操るなんて神を冒涜している」

「完全に頭がおかしい」

「いつか天罰がくだる」

「怖いから絶対に食べない」

「安全性が証明されていない」



しかしそう言われても、みなさんは気にせず食べるでしょうし、農家も従来の方法で野菜を作り続けると思います。


むしろ、こう思うかもしれません。

「どうせ説明してもわからない」

「知恵のない人たちが先進技術を盲目的に恐れているだけだ」

「理解する気がない人たちは放っておけばいい」



・・・しかし、ここで不思議なことに気付きませんか?
最新技術である「遺伝子操作」を否定する人たちは、まさに大昔の人と同じことを言っているんです。


世の中には、大昔の人にとって「悪魔の手法・呪術」だったかもしれない「接ぎ木」や「挿し木」という技法で農産品を作っているにもかかわらず、さらに先進的な、「遺伝子操作」に反対する人がいます。


「危険な食べ物だ!」と、まるで大昔の人たちと同じように、先進技術を盲目的に恐れているんです。


「接ぎ木」は自然界ではありえません。
明らかに不自然な「接ぎ木」を認める人が、遺伝子操作を「明らかに不自然だ」と批判しているわけです。
「明らかに不自然」という意味では、どっちも同じなんです。


接ぎ木や挿し木、そして品種改良などを肯定している農家が遺伝子操作を否定したら、おかしなことになってしまいます。

上にも書いたように、接ぎ木や挿し木は、植物を切ったり貼ったりして、生産効率を上げる技術です。
人間で言えば、臓器の摘出や移植などの「外科手術」や、同じ物を増やす「クローン技術」と同じ考え方で、全ての技術は人間側の都合で、人間の利益のために行われるものです。
ありのままの「自然」が本当に大切なら、野生のものを採って食べる必要があるわけです。
仮に、「接ぎ木や挿し木、品種改良はいい。遺伝子操作はダメ」と言うなら、その人の中では、どこまでの品種改良が安全なのか、おそらくはっきりとした答えは出てこないはずです。


「接ぎ木や挿し木は、安全性が確立されているからいいんだ」、こんな意見もあると思います。
しかし、その「安全性」を確立するには、誰かがそれを食べる必要があります。
接ぎ木や挿し木でできたものを、全ての人が拒否していたら、安全性はわかりませんよね。
ですから、どんな技術にも、「それを食べてきた人」がいるわけです。
マスターは、過去に、接ぎ木や挿し木でできた農産品が、怖くて食べられなかった人がいたとしても、それでいいと思います。


同じように、遺伝子操作でできた農産品が怖い人は、ムリして食べる必要はありません。
しかし、人類の農業技術を前進させたのは、「食べる人」、つまり「実験台になってくれる人」ですから、遺伝子操作されたものを食べる人に感謝し、見守るスタンスが大切だと思います。
接ぎ木や挿し木の技術も、人間の欲で生まれた技術であり、先人たちが食べることによって安全性が確立されてきたわけです。


新しい技術を頭から否定しなかったからこそ、現代、様々な農業的技術があるわけです。
より新しい「遺伝子操作」という技術を否定するのは、人類の歴史に反した「知恵のない行為」です。
遺伝子操作された作物を食べる人がいたら、批判せず温かく見守り、安全なのかどうか、冷静にデータを積み重ねていく必要があると思います。



◎まとめ


遺伝子操作を盲目的に否定するのは、接ぎ木や挿し木を盲目的に否定する原始人と変わりません。
接ぎ木や挿し木は、研究する人と食べる人がいなければ、現在の技術に発展しませんでした。


農家も一般の人も、その時代ごとの「最新技術」の恩恵を受けています。
多くの技術を編み出した人たちに感謝するのと同様、現在の最新技術を研究する科学者たちの才能や探究心に感謝し、その経過を好意的に見守ることが知恵だと言えます。


「接ぎ木」は自然か不自然か・・・この答えはもちろん「不自然」です。


しかし、人間が不自然なことをするのは自然なことだと思います。
「スマホ」なんか、不自然極まりない物体のように思えますが、大きな視点から見れば、「人間は不自然なことをする」という「自然の流れ」の中でできたものです。
その意味では、遺伝子操作も、ただ時の流れの中で、人類の進化の度合いに応じて起こっているだけです。
現時点で「遺伝子操作」を盲目的に否定するのは、知恵のない考え方だと思います。



余談:
「人体への安全性が証明されていない!」と、「遺伝子操作」を恐れている農家の人が、人体への危険性が証明されている、「お酒・タバコ」をやっていたら不思議ですよね。
不確実な遺伝子操作を否定するより、確実に身体に毒だと証明されている「禁酒・禁煙」が先です。
遺伝子操作で安くておいしい野菜ができると、自分が作った野菜が売れなくなり、お酒が買えなくなることを恐れているのかもしれません。

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