妄信者と探究者 2

(読了目安15分)


今回の話は長めになりました。
以下に沿って書いてみます。


◎はじめに
◎金環食
◎王様と学者
◎疑うこと
◎あなたはどっち?
◎実例

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◎はじめに


マスターはこれまでに

「人間関係がうまくいかない」

「彼氏が欲しいのにできない」

「結婚したいのにできない」

「結婚したけど長く続かない」

「離婚しました」

という女性の話を聞いてきて、いつも頭に浮かぶ言葉があるんです。


それは、「妄信」という言葉です。


「妄信」とは、本質とは無関係に、「信じたいこと」を強く信じることですが、たとえば「空飛ぶサンタクロースは存在する」と強く信じ、子どもの思考のまま大人になってしまった人は、知恵のある人との縁はできません。
「妄信」の度合いが強いほど、知恵のある人を遠ざけてしまいます。


月が太陽を覆い隠す「皆既日食」という現象がありますよね。
皆既日食が起こったとき、もしあなたの隣の住人が、「太陽が消えたのは神の怒りだ!いけにえの儀式を!」と言っていたら、あなたはその人に近づかないはずです。
しかし、もしあなた自身が、その隣人と似たようなことをしていたら・・・


以下、マスターのnoteを始めから読んでくれている方にとっては、「もう知ってるよ」と思う内容かもしれませんが、表現を少し変え、別方向から書きますので、ぜひもう一度読んでみてください。
これがわかっているかどうかで、本当に人生が変わります。
知恵を身につけるための大前提になる考え方で、この考え方を理解することで、このnoteも一層みなさんの役に立ちます。


◎金環食

たしか10年ほど前の出来事です。
太陽より少し小さな月の影が太陽を隠し、太陽が金色の輪に見える「金環食」という現象に、日本中が沸きました。
事前のニュースでは、「午前○時○分から何分間、東の空の○○度のところに見えます」、などと言ってましたが、その情報を疑った人はいなかったと思います。
昔の人から見ればまさに「予言」ですが、現代人は、ただの「予定」ぐらいにしか思っていなかったかもしれません。
ですから、その予定を信じ、金環食というイベントが始まる直前まで、ゆっくり寝ていた人もいたでしょうし、優雅に朝食を摂った人もいたはずです。
また、通勤途中その時間になったとき、金環食を電車の中から見た人もいたかもしれません。


みなさんが金環食というイベントを楽しめたのは、天文学の発展によって、金環食が起こる日時だけでなく、方向や角度などが緻密に計算された結果なんです。
現代人は、この日なにが起こるか秒単位でわかっていました。


ではここでちょっと考えてみましょう。


以下、太陽が欠ける現象を「日食」と書きますね。


「天文学が発展していなかった時代、日食は神の怒りだと思われていた・・・」
これはなんとなくわかりますよね?
現代は暖房や照明器具のおかげで、太陽の存在感は、昔より薄れています。
しかし昔は、太陽の暖かさや光の恵みは、「命そのもの・生きることの全て」と言っていいほど重要だったはずです。
そんな「太陽」が隠れてしまうなんて、「娯楽」どころではありません。
多くの人が、心の底から湧き上がる恐怖や不安を感じたであろうことは、みなさんも想像できると思います。


さて、昔と現代で、日食に対する人類の意識は大きく変わりました。
昔は「恐怖」、そして、現代は「娯楽」です。
現代人は、日食を「美しい」とさえ表現する余裕が出てきました。
時代とともに人類は成長し、恐怖から解放されたんです。


そして人類を恐怖から解放したもの・・・


それが・・・


「本質を追求する努力」です。


本質を追及する努力は、「恐怖」を「娯楽」に変える力があるんです。


◎王様と学者


大昔、日食が「神の怒り」だったとき、恐れた人たちの中には、「いけにえ」を捧げて神の怒りを鎮めようとした人もいたはずです。


「太陽が隠れるのは神の怒りだ。オレたちはもうだめだ、太陽がなくなってしまう! 神の怒りを鎮めるにはどうすればいいんだ!命を差し出せ!」


という感じです。


アステカ文明では、毎日何人ものいけにえが太陽神に捧げられたようですが、それは、「いけにえを絶やしたら太陽が昇らなくなる」と信じられていたからだそうです。

しかしそんな時代、

「いけにえがなくても太陽は昇るよ、計算すればわかるじゃん」

なんて言い出す人がいたら、状況はどうなったでしょうか。


以下は、太陽神の怒りを鎮めるために、「いけにえの儀式」を執り行っていたA王国の「王様」と、本質の探究をした結果、「いけにえがなくても太陽は昇る、日食は天体現象だ」とわかった同国の「学者」とのやり取りです。
もちろん実話ではなく、わかりやすく説明するためのフィクションです。


王様 「明日もいけにえの儀式をやるぞ!」


学者 「私の研究の結果、人の命がなくても太陽は昇ります、儀式は命のムダですし、やめましょう」


王様 「でも儀式をやっていれば、実際に太陽は昇ってるよね、毎日いけにえを捧げているからだよ」


学者 「いけにえを捧げても捧げなくても太陽は昇るんです。太陽が欠ける現象は、天体の動きによって起こるだけです。お願いです、いけにえを捧げるのはやめましょう」


王様 「オレはいけにえが途絶えると太陽が昇らないと信じてるんだって、昔から太陽神にいけにえを捧げなさいって言われてるしね」


学者 「お願いです、まずは天文学を学んでもらえませんか?私の言葉の意味がわかりますし、次の日食の日時もわかりますから」



王様 「うるさーーーーい! 日食は神の怒りなの! 明日も儀式やるよ!おまえはウザイから死刑!」



学者 「王様!どうか天文学を学んでください・・・(後日処刑されました)」



※日食は、現代では子どもでも「天体現象」と認識していて、神の怒りかどうかなど、議論にさえなりません。
しかし、「日食は天体現象」という意見が出はじめたころは、学者の意見の正しさを理解できる人も少なく、「本質の探究」は、王様にとってジャマな存在だったんです。
王様にとっては、信じてきた神の存在を否定されてしまったり、これまで自分がしてきたことさえも否定される気がして、たとえ本質がどうであれ、学者の言葉を認めるわけにはいかなかったんです。


王様に天文学を奨めた学者は処刑され、いけにえの儀式は続いていました。
しかし、いけにえを確保できなくなってきた王様は戦争をし、捕虜からいけにえを確保しはじめました。
それを知った他の文明国「B国」の王様は、いけにえの儀式をやめさせるため、自国で最高レベルの天文学者一団を、A王国へ派遣しました。


B国の学者たちはA王国の王様に会いました。


王様 「なんだよ?」


B国の学者 「いけにえの儀式のため、大勢の庶民が苦しんでいます。どうかやめてください。我々の天文学によれば、儀式をやめても太陽は必ず昇ります。日食の日時もわかります。よろしかったらご説明します」


王様 「まいったなあ、儀式をやめたら太陽は消えちゃうよ。オレは儀式をやめないよ、天文学なんて勉強する気もないし」


B国の学者 「そこをなんとか。丁寧に説明いたしますので、きっとご理解いただけると思います」

王様 「神の存在を否定するような学問はオレの好みじゃないもんね。人間には見えないかもしれないけど、太陽神は必ずいるってオレは感じるの。学者ってのは頭でっかちでまったくロマンがないよね」

B国の学者 「学問は神の存在を否定したり、夢を壊したりするためのものではありません。本質を探求するためのものです。むしろ本質の探求はニセモノを排除し、本物の神やロマンに近づくためのものなんです」


王様 「ばーか!オレの神は太陽神だ、太陽神が本物の絶対神だよ。他に神様なんていらないもん、くたばれ天文学!」


B国の学者 「日食は神の怒りではなく、天体現象なんです。お願いです、それを理解し、いけにえの解放を」


王様 「やだ、おまえらウザイから帰ってくれない?てゆーか、二度と来ないでくれる?来たら処刑するよ」


B国の学者 「残念ですが、そこまでおっしゃるなら・・・」



B国の学者たちは本国へ戻りました。


B国の王様は、圧倒的に有利な武力を使い、A王国の王様を捕まえ、処刑しようと考えました。
しかしそれでは「信念のために人を殺してもよい」となってしまい、やっていることはA王国の王様と変わりません。
どうやったら彼を説得できるか考えていたところ、A王国の王様は、自国民や側近たちから恨まれ、暗殺されたんです。
結局、内部分裂により、いけにえの儀式は終わりを告げました。


・・・


以上です。
王様が太陽神を信じなければ、数千人の命を奪うこともなく、王様自身も裏切られることはありませんでしたが、なぜ王様は天文学を学ばず、ひたすら太陽神を妄信したんでしょうか。


それは、妄信しているうちは「これ以上新しいことを考えなくていい」ということになり、結局のところ、楽をするためなんです。


では以下、このA王国の王様のような人を、「妄信者(もうしんしゃ)」と名づけ、B国の学者たちのような人を、「探求者」と名づけ、以下に話を進めましょう。


◎疑うこと


みなさんが月と太陽のイベントである「日食」を楽しめるのは、「探求者」の努力の積み重ねによるものです。
「妄信者」ばかりの世界なら、人類はいまだに恐怖の中にいました。


探求者たちは、「日食は神の怒り」という意見が主流だったころ、「いや、待てよ、いろんな現象から本質を調べてみる必要がある」と、「疑うこと」をはじめた人たちです。
彼らは、数々のデータの積み重ねや、何世代にもわたる知恵の蓄積によって、日食が神の怒りではないことを知りました。
計算どおりに日食が起こることで「太陽の動き」を予測でき、それは神の怒りではないという確信に変わり、人類は徐々に天体現象を楽しめるようになっていきました。
親が楽しんでいれば、親の表情から、子供にも娯楽だということが伝わり、代々日食を楽しめるわけです。
そして現代、みなさんは過去の「探求者」たちのおかげで恐怖から解放され、計算どおりに始まる日食の直前に準備し、一大イベントを楽しめるわけです。


探求者が持つ「疑い」というのは、妄信者を否定するためのものではなく、本質に迫るためのものです。
探求者を前にした妄信者は、「自分たちが否定される」という恐怖を感じることもあるようですが、本物の探求者は、妄信者を否定することを目的とせず、ただ本質に迫ることを目的としています。
たとえば、神に祈ることで、遠くの人と意思疎通をしようとしている人たちがいるとします。
探求者は、「祈っているだけではムリかも」と疑い、物事の本質を追求し、これまで祈ってきた時間を「電話の開発」に費やします。
そして電話を開発した後、祈るだけの人たち、つまり「妄信者」に電話を貸してあげることができ、その人たちも遠くの人と意思疎通ができるようになりました。
このように、探究者が本質に迫った結果として妄信者が救われることはありますから、「物事を疑う」という行為は、むしろ妄信者を否定するためではなく、「救うため」の疑いと言えるんです。
妄信者の考えを疑う人がいなければ、妄信者は救われないわけです。



◎あなたはどっち?


日食を「神の怒り」だと信じていた妄信者にとって、探求者の言葉は、自分を否定するための言葉だったに違いありません。
ですから、自分が否定されてしまうという恐怖や怒りの感情は、探求者を酷評することにつながります。


「そんな細かいデータを集めてなにやってんだ」

「神の存在を否定するなんて、不遜だ、冒涜だ」

「神の領域を侵す愚か者」

「いまに神の怒りに触れるぞ」

「そんな小さい作業がなんになる」


などです。


妄信者は、それが本質であれどうであれ、信じきることで楽をしようとしますが、その固執が強いゆえ、信じているものの根底が覆されても思考のシフトができないまま、A王国の王様のように探究者を敵視することになってしまう場合があります。


現代で言えば、単純な思い込みで行動したり、思い込みに固執している人は妄信者です。
他人からの意見を聞こうとせず、古い知識や少ない知識をベースに、信じたいことを信じ続けます。
自分の考えに否定的な意見はできる限り排除し、聞かないようにし、聞かされると不機嫌になります。


妄信者は、探求者の「疑い」を悪い意味に捉えます。
逆に言えば、自分の考えを否定されるようなことを言われて頭に来るなら、その人は「妄信者」です。


探求者というのは、物事の本質を探究することが目的ですから、積極的に多くの意見を聞こうとしますし、それと同時に、本質に迫るための「疑い」も持ち続けます。
自分が否定されるようなことを言われても、そのことについて冷静に考えることができるのが探求者です。
探求者は、「自分を押し通す」とか、「相手を否定する」とか、そんなレベルでの話はしません。
その時間を「探究」のための時間として使いたいんです。


時代を開拓するのはいつも「探求者」です。
探求者のおかげで、パソコンやスマホが開発され、それを使った人たちの生活は便利になっていきます。
「妄信者」は、神の怒りを恐れ、いけにえの儀式をしただけでした。


◎実例


以前も書いた「心霊写真」の記事は、とてもわかりやすい妄信の実例です。

1990年代だったか、「心霊写真ブーム」というのがありました。
写真は、条件によっては不思議な写真が撮れることがあります。
プロなら、なぜそうなったか簡単にわかることであっても、素人にはわからないこともたくさんあります。


そんな不思議な写真が撮れたとき、それを「心霊写真」と呼ぶ人がいます。
特に、人の腕がない、指がない、首がないなんていう写真は不安をあおります。
そして、撮影者はその写真を持って、「霊能者・霊媒師」のところに相談に行くわけです。
(今は「チャネラー」などと呼ばれることもあります)


マスターが覚えている最も有名なものが、「宜保愛子(ぎぼあいこ)」という自称霊能者の女性と心霊写真の話です。
宜保愛子さんは、人を救いたいと願う親切な霊能者だったと思いますが、彼女は、カメラの仕組みを知らなかったんだと思います。
そのため、不思議な写真を「心霊写真」と判定し、写真の持ち主に対して除霊や供養を薦めました。


心理学をやっている人ならすぐにわかるはずですが、写真の除霊をすれば体調が良くなる人もいます。
なにもしなくても治るタイミングだったかもしれませんし、プラシーボ効果なのかもしれませんが、除霊をすると本当に体調が治る場合があるんです。
でもそれは、プロのカメラマンから見れば心霊写真じゃないですから、もしプロカメラマンが同じ写真を撮っても、それが理由でカメラマンの体調が悪くなることはありません。


心霊写真ブームは、カメラの仕組みを知らない人と霊能者、テレビ局などのメディアが盛り上げた、一大イベントだったと言えます。


大儲けしたテレビ局、人助けをしたと思っていた霊能者、悪霊にとりつかれたと勘違いして悩み続けた人、心霊写真じゃないと知っていて黙認したカメラマンたち、黙殺された心霊写真に対する専門家たちの反論・・・これらが当時の心霊写真ブームを牽引しました。


さすがに今の時代、多くの人が心霊写真の仕組みを知ったため、心霊写真のテレビ番組はほとんどありませんが、一部で細々とブームは続いているようです。


忘れてはいけないのは、プロカメラマンにも解明できないからと言って「心霊写真の存在」の証明にはならない、ということです。
今の人類のレベルでわからないことを全て神や霊の仕業としてしまうのは楽なんですが、それをするのはA王国の王様と同じ「妄信者」です。


興味がある人は、以下のページを読んでみてください。
心霊写真について書いた記事です。
心霊写真の正体



詳しい人ならすぐに原因がわかるような光のトラブルによる映像を、心霊写真と勘違いすると、愛は遠ざかります。


他にも身近な例を挙げると、以下のようなことを信じている人は、「妄信者」と言えます。
多くの場合、ほとんど調べることなく、信じたい情報に触れたとき、信じたいように信じています。


石鹸の方が合成洗剤より環境に優しい

晴れ女・雨女は実際にいる

コカ・コーラは身体に悪い 

カップラーメンは身体に悪い

砂糖を食べると虫歯になる

ノンシリコンシャンプーは髪にいい

ミネラルウォーターはおいしい

ワインは身体にいい

玄米は身体にいい

有機野菜はおいしい

山崎パン・マクドナルドは添加物だらけだからカビが出ない

食事を抜くと力が出ない

寝る前に食べると太る


たとえば最後の「寝る前に食べると太る」について書くと、そんなことで少しでも太れるなら、戦後日本の食糧難の時代や、飢餓に苦しむ国では、みんな寝る前に食べるはずです。
それから、ミネラルウォーターは、硬度が低く冷えていればおいしいですが、ぬるくて硬度が高すぎると明らかにまずくなります。
ミネラルがない「蒸留水・純水」と呼ばれる水も、冷えていればもちろんおいしいです。
水の味は、水の温度、外気温、身体の水分量などの条件で感じ方がずいぶん変わることがわかれば、言葉を選べるようになります。
「食事を抜くと力が出ない」と言っている人も、たとえお腹が空いていても、なにかの緊急時にダッシュしない人はいないはずです。


物事は、上記太文字のように表現できるほど単純ではありません。
親から言われたことを妄信している人も少なくありませんが、親が完璧ではないことは、みなさんが一番理解しているはずです。
信じていいのは「親の言葉」ではなく、「人間の不完全性」ですから、親の言葉を疑うのも、「探求」に欠かせないことです。


上記太文字のようなことを単純に主張してしまうと、やっていることは、上に書いたA王国の王様と変わりません。
知恵のある人を遠ざけてしまいますから気をつけてくださいね。


次回、今回と似た内容ですが、
以下のようなことを書いてみたいと思います。

◎妄信者の特徴・探求者の特徴

◎探求者がニセモノの神を排除した例
◎探求者として
◎妄信は宗教と同じ

・・・

投稿タイトル一覧は以下です。