オーガニック教 6

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◎農家でさえわかっていない?


「有機野菜はおいしい!」という言葉がありますが、それが本当かどうか、そして「うちの野菜が一番おいしい!」と言っている農家が、もし自分の農場で採れる野菜の味がわからなかったら・・・こんなことを書いてみます。



1:有機野菜はおいしいのか


ある店に、芸能人もオススメの「最高においしい有機野菜料理」を売る店があったとします。
野菜は全て有機野菜という宣伝文句です。
あなたがその店に行き、素晴らしい器と接客を体験しながらそのメニューを食べたとします。
すると、やっぱりおいしいんです。


では、その料理を、鉄道の駅近所のダンボールハウスに住む酒まみれのおじいさんが、カップ焼きそばの空き容器に入れてあなたに出してくれたら・・・


出された料理そのものは、芸能人がオススメするまさにそれです。
カップ焼きそばの空き容器は、アルカリ消毒された衛生的なものです。
・・・だけど、きっとあなたはおいしいと思わないはずです。


そのメニューは、芸能人が「おいしい!」と笑顔で宣伝し、その店で食べるからおいしいんです。
味だけ検査をすれば同じものなんですが、他の条件が変わると味が変わるということです。
これは、人は単に舌だけでなく、心でも食べるということを示しています。


また、産地偽装や食品偽装により、その店で使われていた食材が有機野菜じゃないと発覚しても、芸能人が笑顔で宣伝すれば、食べた人はおいしいと感じるかもしれません。
極論すれば、「ダンボールハウスで食べる有機野菜」と、「芸能人が宣伝する有機じゃない野菜」では、後者の方がおいしいと感じる人がほとんどだと言えます。


「有機野菜」がおいしいのは本当のことだと思います。
しかし、有機野菜じゃない野菜もきっとおいしいんです。
味は、「心で食べているかどうか」がポイントです。


2:自分の農場で採れた野菜の味がわかるのか


「農家でさえわかっていない?」についてです。
有機栽培とそうじゃない野菜の味の差というのは、極端に差のある場合を除き、農家もわからないという意見があります。
また、「うちの野菜が一番おいしい!」と言っている農家でさえも、自作野菜の味がわからない場合があります。
この点について書きますね。


「有機肥料無農薬野菜はおいしい!」と言っている農家に、以下のような方法で作った野菜を食べてもらったら、どんな答えが返ってくるでしょうか。
他の条件は同じだとして考えてみてください。
もちろん外見上、どれがどれだかわからないようにして食べてもらうわけです。
以下の方法で作った「大根・白菜・ニンジン・きゅうり・トマト」の5種類を、全てナマで食べてもらいましょう。


・有機肥料無農薬野菜

・有機肥料低農薬野菜

・無機肥料無農薬野菜

・無機肥料低農薬野菜

・自然農野菜


さらに加えると、有機肥料と無機肥料を混合した場合の味はどうでしょうか。
実際の農業では、即効性のある無機肥料と、遅効性の有機肥料を併用することも多いんだそうです。


上記の条件でどれだけの農家が味の違いを理解できるのか、また、有機野菜のカテゴリーに入る野菜を一番おいしいと感じるのか、みなさんはどう思いますか?
マスター自身は実験したことはありませんが、味の違いがわかる農家の方が少ないと思います。


次に、「うちの野菜が一番おいしい!」と言っているA農園のオーナー、Aさんがいたとします。


たとえば大根です。
Aさんの他、近隣5軒の農家にそれぞれ自慢の大根を持ってきてもらいます。
品種はもちろん同じで、それぞれに自信作です。
Aさんに目隠しをしてもらい、同じ大きさに切った大根の中から、「一番おいしい」と思う大根をピックアップしてもらいます。
そしてそれが5回連続で自分が作った大根なら、たしかに「一番おいしい」ということになるかもしれません。
でも実際はどうでしょうか・・・


また、味を判別できたとしても、「自分の大根が一番おいしい」と感じなければ意味がないんです。
目隠しをして「おいしい」と感じた大根が、仮に他の農園の大根だったら、「うちの野菜が一番おいしい!」ということになりませんからね。


野菜の味というのは、水分や糖分、ミネラル含有量や温度など、「数字で表せるような味」よりも、「これはおいしいですよ!」という情報や、どんな環境で食べたかという味覚以外の要因も多い・・・こんなことがわかっていれば、野菜に対する評価も言葉も本質的なものへと変わります。


思いっきり汗をかいた畑作業の後に、採れたてのトマトをかじれば、それがどんなトマトでもおいしく感じるはずです。


それから、「ベトナムコーヒーはベトナムで飲むからおいしい」という話がありますよね。
マスターの知人にも、「日本に帰ってきてからいろいろ探しても、あんなにおいしいコーヒーはどこにもない」なんて言っていた人がいましたが、たとえ同じ味であっても、ベトナムで飲んだ方がおいしいわけです。
もしかしたら、旅の達成感から来る喜びや、「本場」という安心感がそのコーヒーをおいしくしたのかもしれませんし、旅先でおいしいものがそれしかなかったから、ひときわおいしく感じたのかもしれません。
マスターなんか、ネパールでは一滴のしょうゆと、一枚の海苔が最高のご馳走だったときがありました。


あなたがもし「有機野菜」の意味を知らないまま「有機野菜はおいしい!」なんて言っていると、陰で食品偽装をしている人たちは、心の中で笑っているかもしれません。


今の時代、「有機農業」という言葉や「有機」という言葉を使うと野菜の値段を上げることができるため、単に「有機」という言葉を使って稼いでいる業者もいます。
様々な食品偽装がありますが、おそらく農産物も似た状況があると思います。
たとえば自分の県でできた「そば」のパッケージに、そばで有名な「長野産」と印刷したシールを貼るとよく売れるとか、中国産を日本産と表示して売ったりするのと同じです。


「オーガニック教」の信者になりかけている人に提案です。
「オーガニック野菜だからおいしい・オーガニックじゃないとまずい」と思うのは自由です。
しかしそれを「おいしいでしょ!おいしいでしょ!」と他人に同意を求めるのはやめましょう。
あなたが、有機じゃない野菜を「おいしいでしょ!」と言われて迷惑するのと同じことです。
また、「オーガニックじゃないと身体に悪い、健康のためにオーガニック」という言葉も、「先祖供養をしないと幸せになれない・幸せのための宗教」と言う宗教者と似たようなものです。


価値観の押し付けがなければオーガニックの実践は自由です。
しかし他人に押し付けた時点で「オーガニック教」になります。
あなたが健康で、明るく楽しく生きていれば、周囲がおのずとあなたの生活をマネするようになります。
そのとききっとあなたは「何を食べているんですか?」と聞かれますから、「オーガニック野菜です」とだけ答えてみてください。
愛とは、「私もあなたも周囲も楽しい」という状態です。


◎親のオーガニックのせいで仲間ハズレに

マスターが住んでいる地域は、近所を猿が歩いているような田舎です。
そんな田舎には、オーガニックライフを求めて都市部から引っ越してくる人もいます。


オーガニックライフを求めて都市部から引っ越してきた人の中には、自分の生活をオーガニックライフに近づけようとがんばっている人もいるわけです。
そして、そんなオーガニックライフ実践者の両親から生まれた子どもに悲劇が起こります。
以下は半分フィクションですが、実話からのものです。


まず、親が「オーガニック教」なんです。
子どもはいつも半そで半ズボン、動物性たんぱく質はナシ、白い砂糖はダメ、牛乳はダメ、添加物はダメ、外食はダメ、給食はアレルギー食または自前の弁当だけ、テレビはダメ、パソコンはダメ、ゲームもダメ。


もちろんワクチン拒否です。


こんな生活じゃ、周囲から浮きまくるわけです。
明治時代の生活をさせるようなものですから、その子は仲間ハズレになり、「うつ」で登校拒否になってしまいました。


親の役割は、「なにが愛か」を行動で示すことです。
親はオーガニックを「これこそが愛」と思っているのかもしれませんが、子どもが「うつ」では、状況証拠が「愛ではない」ということを示しています。
愛とは、「私もあなたも周囲も楽しい」という状態ですが、この状況で楽しいのは親だけです。


以前、親が宗教を妄信し、ビタミン剤の投与を拒否して子どもが命を落としてしまったり、輸血しないまま放置して子供が命を落とした事件がありましたが、これも愛ではありません。
親の信念で子どもを犠牲にしてしまったら、極論すれば人類は絶滅してしまうんです。


「妄信」とは、考えることをやめて楽をすることです。
人は、楽をするために、なにかを妄信します。
上記の場合、「オーガニック教」を信じて楽を選んだツケが、子どもの登校拒否です。
そして子どもの登校拒否は、それだけで済む問題ではありません。
子どもが社会からはみ出してしまうことで、愛から一層遠ざかるからです。


以前書いたように、地球で一人になったときに欲しいもの、それは「パートナー」でしたよね。
パートナーは、社会からはみ出す人ほどできにくい、またはできたとしても長く続かないんです。


両親は、「子供のために」と「オーガニックライフ」を選んだかもしれませんが、将来子供にパートナーもできない状態では、子供のためでもなんでもありません。
子供は、社会から浮いたまま孤独死するかもしれないんです。

親も「孤独なわが子」を見て、安心して老後を過ごし、安心してこの世を去ることができるでしょうか。
社会からはみ出した人は社会からはみ出した人としか関われませんから、結婚できても、やがて親と同じことを繰り返し、小さな世界で、なにかを妄信しながら細々と生きていくことになります。


「われこそはオーガニック教だ!」と個人で楽しむのはいいですが、その「オーガニック教」を子どもにまで押し付けることがないようにしてくださいね。


ということで今回はこのへんで。

以後、以下のような内容で「オーガニック教」の話を進めます。
◎中学生と同じ思考
◎微量のお酒なら
◎愛するためのオーガニック
◎「商業オーガニック」と「本当のオーガニック」の見分け方
◎オーガニックライフに戻るのではなくその先へ
◎オーガニックで長く愛されるか
◎オーガニックの酒とタバコ
◎愛するためのオーガニック
◎まとめ

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投稿タイトル一覧は以下です。