ヨガ関連短編集

(読了目安9分)

ヨガについての短編集です。


◎本物のヨガ・瞑想


ヨガや瞑想は、もともとは宗教的な修業のひとつです。
「ヨガ・瞑想」にはいろいろと定義がありますが、以下に書くのは、広く一般的に知られている、商業的なものについてです。


さて、いきなり結論ですが、本当のヨガや瞑想は、「愛」から生まれました。
しかし商業ヨガや商業瞑想は、「愛」から生まれたものではありません。
ですから、これらをやっても愛にたどりつけません。
しかも、たとえ本物のヨガや瞑想があったとしても、現代は「商業」ベースのものが多すぎ、本物に出会える可能性はとても低いんです。
マスターがネパールで体験したアーユルベーダも、本物に出会えなければ意味がないのと同じです。


もちろんみんな「うちは本物です」と言います。
しかし、数千年前の異国の知恵を現代に再現することがいかに不可能に近いか、以前書いたとおりです。
現代の外国の言葉を訳すだけでも四苦八苦し、訳者によって解釈が違います。
このnoteだって、現代の共通の教育を受けた人たちが同時に読んでも、解釈はそれぞれですし、友達とメールのやりとりでも誤解が生まれるのが現状です。
「本物」があっても、数千年前の異国の文章を現代の日本語に訳すことは不可能です。
だからこそ、だれもが「うちが本物」と言えるわけです。




◎商業ヨガはひとりヨガり?


ヨガや瞑想をやることに夢中になり、普段の生活をおろそかにしてしまったら、それは愛とは程遠い「ひとりよがり」と言えます。
彼氏との時間、家族との時間を割いてまでヨガ教室や瞑想道場に通ったりして、「自分も相手も周囲も楽しい」という状態を崩してしまったら・・・ヘンですよねやっぱり。


たとえば仏陀が確立したと言われる瞑想法をマネしても、そのために残りの人生を全部費やすんじゃ、仏陀だってきっと言いますよ、「オレが言ってるのはそーゆーことじゃないんだけどなあ」って。
ヨガや瞑想をするのはいいんですが、「ひとりヨガり」にならないようにしてください。




◎タイムズスクエア


「柔道」というとどんなイメージでしょうか。
柔道はとりあえず日本の文化ですが、みなさんは柔道をやりますか?
たとえばアメリカやヨーロッパの女性が、「日本人の心意気・精神修養・東洋の神秘」、こんなことを言いながら集まり、ニューヨークのタイムズスクエアで柔道の形をとっていたら、なんとなくヘンな感じじゃないですか?
「そこまでやらないでしょ?」みたいな。
同じように、タイムズスクエアで集団ヨガをやる女性たちの映像を見ると、「そこまでやらないでしょ?」という感覚になるインド人も多いんだそうです。
もともと女性のものではなかったヨガが流行ったいきさつは、「ハリウッド女優・商業」がキーワードになります。
そしていまやヨガは世界的なブームになっています。



◎本当の愛にたどり着けるなら


ヨガや瞑想は宗教の修業のひとつで、宗教は、愛にたどりつくためのひとつの手段として存在してます。
では仮に、だれもが本当の愛にたどりつけるヨガや瞑想法があったとします。
だとしたら、それを生み出した国は、今ごろどうなっていると思いますか?
数千年前にインドで生まれたヨガや瞑想法が、本当に愛にたどりつける方法なら、今のインドは「愛の国」になっているはずなんです。


しかし実際はどうでしょうか。
いろいろな意味ですごい国です。
貧富の差が激しく、犯罪は後を絶ちません。
ヨガや瞑想じゃ、数千年経っても平和は実現しないんです。
商業ヨガや商業瞑想で自分の心や世界が平和になっても、それは瞬間的なものだと思ってかまいません。
「ちゃんとやらないから平和が実現しない」と言うなら、それこそが、つまり「誰も真髄に迫ることができず、誰も続けることができない」、ということが、ヨガや瞑想の限界とも言えます。




◎ヨガや瞑想の目的


ヨガや瞑想の目的・・・

やる側は、

「愛に近づくため」

「ヒマだから」

「流行ってるから」

「体に良さそうだから」

「悟りを開きたいから」

「出会いがありそうだから(実際はほとんどないですけど)」

などで、

教える側は、上記とかぶる部分以外については

「今なら儲かりそうだから」

「生活のために」

「他にできることがないから」

「指導者の資格をとったから」

などがあります。




◎ヨガも瞑想も当時は最新科学の健康法


最新科学に基づく健康法が嫌いな人へ、ちょっと提案です。
最新科学を嫌う人が、たとえば2500年前にできたヨガや瞑想などの、古典的な健康法に夢中になるって、不思議だと思いませんか?
2500年前は、ヨガも瞑想も最新科学だったんです。
もしあなたが2500年前の人だったら、「最新科学は嫌い」と言って、さらに500年前の古い科学を熱心に実行していたかもしれないんです。
そうなら、今あなたが500年前の健康法をやってもいいはずなんです。


なぜ2500年前にこだわるのか・・・


2500年前の人間こそが物事の本質を知り、全て愛をこめて正直にその「健康法」を文書化したんでしょうか。
歴史を考えてみるのも大切です。




◎「悟り」とは


たとえば仏陀の瞑想法も、2500年前の当時は最新科学だったんです。
意図した変性意識状態に、より確実に近づくために仏陀が編み出した方法が、彼なりの瞑想法だったわけです。
しかし、彼だって完璧じゃありませんから、彼の瞑想法が誰にでもうまく通用するものではないわけです。
みなさんのストレスの解消法が、それぞれ違うのと同じことです。
人によっては読書、人によってはスポーツ、人によってはお酒・・・ということです。
強いて言えば、ヨガや瞑想で悟りを得るんじゃなく、人類の歴史を勉強し、「ヨガや瞑想で悟りを得ることは不可能かもしれない」、こう気付くことが「悟り」への入り口かもしれません。
悟りとは、「ヨガや瞑想では悟れないと悟ること」、つまり「自己責任で生きていく覚悟」、ということです。




◎人類共通のマニュアルはありません・・・


人間は、神と一体になった感覚や万能感を体験できると言われる「変性意識」を手に入れるために、昔から工夫をしてきました。
ドラッグはもちろん、光と音の儀式・お酒・神経系毒キノコ・苦行・パワースポット、また、日常生活の不測の事態による変性意識体験(極度の心身的ストレス)もあります。
そして瞑想も変性意識状態を作り出す手段だということは、以前も書いたとおりです。
最近では安全に変性意識になるため、脳を変性意識状態に誘導するための、音や強い磁場などが使われるようになりましたが、誰もが安全に、狙いどおりの変性意識状態になることはほとんど不可能で、さらにその状態を安全に解除する方法も一般には知られていません。


お酒で変性意識状態を狙うと、お酒の種類や体調、個体差によって出る効果は全然違います。
極端に言えば、同じお酒を同じ量飲んでも、パラダイスを見る人もいれば、地獄を見る人もいるわけです。
しかも翌日、すっきりする人もいれば、二日酔いで動けない人もいます。
これが変性意識状態になる難しさです。
どんな方法を使ったとしても、なにをしてなにが起こるか、人類は体験的になんとなくわかっているだけで、確実ではないんです。
変性意識状態に人類共通の安全なマニュアルは、いまのところありません。




◎どうすりゃいいのさ


人間は、コンピュータと違い、情報のインストールや削除という作業で瞬間的に変わることはできませんから、愛に近づくためには、何度も何度も反復練習をする必要があるんです。
なにが愛か考え、愛だと思うことを何度も何度も反復することで、愛することができるようになっていきます。
そして愛することができるようになったとき、愛されていることに気づくんです。


ヨガや瞑想も、何度も何度もやればきっと愛に近づくことはできますから、愛に近づく方法のひとつではあると思います。
しかしそれが、日常生活を犠牲にしているのでは意味がないんです。
人間は、ヨガや瞑想がなくても、普段の生活の中で、愛に近づけるようになっています。
もしそうじゃないと、ヨガ以前の人類は愛を知らないということになってしまいますからね。


男性は、ストレスが溜まると、お酒や女遊びに走ることが多いですが、女性は、ストレスが溜まると、宗教やペットなどに走る人が多いと思います。
ヨガや瞑想も、女性にとっては宗教やペットと似たようなものです。
ハリウッド女優を使って美容と健康にいいと宣伝し、宗教色を弱めれば、女性から支持を受けることはほぼ間違いありません。
しかし、結局はストレスが溜まったときの「痛み止め」としての存在です。


ほとんどの人は、地球で一人になったときに本当に欲しいものは「パートナー」です。
本当に欲しいものを手に入れない限り、欲しいものが次から次に出てきます。
「どうすりゃいいのさ?」・・・するべきことは、本当に欲しいものを手に入れる努力です。




◎ヨガも瞑想も数千年


人類の200万年の歴史に対して、ヨガも瞑想も数千年の歴史です。
ヨガや瞑想が生まれるもっと前から愛に近づく方法はあったはずです。
ヨガや瞑想は、人類の歴史の中の、愛の一部にすぎないと言えます。




◎オレを信じるな(by仏陀)


マスターは本人から聞いたわけではないんですが、仏陀は教典の中で、「私の教えも妄信するな」と言っています。
「自分で愛かどうか判断し、それを愛じゃないと思うなら、私の言葉さえ信じてはいけない」ということですが、それには2つの理由があると思います。


ひとつは、仏陀自身が「人間の不完全性」についてよくわかっていて、「どうせオレが言うことなんて全部が正しいわけじゃない」とわかっていたということ。


そしてもうひとつは、仏陀は自分の死後、弟子たちの裏切りや仲間割れ、誤解などによって、自分の言葉が正確に伝わらないことを、充分に承知していたからだと思います。
彼は王子として生まれましたから、国家間の政治的駆け引きの闇の部分も多く見てきたはずです。
そんな教訓から、自分の死後、自分の存在が誰かの利益のために悪用されたり、弟子たちの誤解が原因で分裂が起こることも充分にわかっていたんだと思います。


仏陀が予想したとおり、その後仏教はいくつもの分派が生まれ、今では同じ仏教内で敵対している宗派もあります。
こんなことを仏陀が望むはずはありませんが、仏教内で混乱が起こるのも人間の不完全性によるものです。
たとえ仏陀が同じことを言っても、受け取る側の感度の違いによって、違う解釈になります。
ですから、仏陀がオススメしてるヨガや瞑想法も、いまや仏陀が本当にオススメしているものかどうかはわかりません。

「オレを信じるな by仏陀」


これが本質だと言えます。

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