宗教 14 宗教をやってはいけない理由

(読了目安10分)

全14話の最終回です。


◎宗教をやってはいけない理由

マスターは、人が長く愛されない理由のひとつに、「宗教」の存在があると思っています。
長く愛されるためになぜ宗教をやってはいけないのか・・・

以下、それぞれ重複するところもありますが、今回はその理由を短編5つで書き、最後にまとめて終わります。


1:愛にたどりつけなくなるからです

マスターは以前、

「人生は、愛にたどりつくための旅」

と書きました。


「生まれたときから親が宗教を・・・」という人は別として、人が宗教を始める主な理由は、悩みから解放されたいからですが、悩みを抱えてしまうのは、自分を客観視できないか、できていても自分を変えることができないからです。

宗教を始めれば、あなたの悩みや不幸を「先祖・霊」の責任にしてくれますから、その宗教の中では、先祖や霊を供養することで、あなたの悩みは解決できたことになってしまいます。
※解決しない場合は、「まだまだ供養が足りない、感謝が足りない」と、修行することやお金を使うことで解決させようとします

しかし現実社会では、あなたの悩みは、先祖を供養してもお金を使っても解決しません。
それは、自分で考えて解決していないからです。
逆に言えば、先祖を供養しなくても、お金を使わなくても、あなたの悩みは解決します。


たとえばあなたに彼氏ができたとします。


彼氏とうまくいかないで悩んでいる時、周囲から「あなたは悪くない、そんな彼、別れなさい」と言われたとします。


言葉どおり別れて、あなたは幸せですか?


「別れなければやがて彼は変わったかもしれない」なんて思ってしまったら、助言してくれた人を恨むことになります。


彼氏とうまくいかないのは、あなたに原因があります。
男性を見る目がなかったのはあなたの責任ですし、別れられないのもあなたの責任なんです。

うまくいかないことを彼氏のせいにして別れてしまったら、あなたは成長できないまま歳をとり、愛にたどりつけません。


同じように、人生の悩みや不幸の責任は、先祖や霊にはありません。
うまくいかない人生を宗教に頼って改善しようとしてしまったら、あなたは成長できず、愛にたどりつけなくなってしまいます。

だから、宗教をやってはいけないんです。




2:自分自身が神だということを否定する行為だからです

前回書いたように、自分の中に神があるのに、外に「神」や「悟り」を求めていても見つかりません。
偶像崇拝など、「神を拝む」ということは、自分が神ではないと認めることになります。
本物の神はあなたなのに、偶像や、教祖という名のおじさんやおばさんを崇めることは「愛」ではありません。
宗教をやるというのは、あなた自身が神であることを否定する行為です。


人生は、自分が神だと気付くための旅であり、宗教は、それを根本から否定する行為です。


だから、宗教をやってはいけないんです。




3:自分がブランドとして自立できなくなるからです

みなさんは、服装をはじめアクセサリー、香水、そして車、家具、持ち物全般など、俗に言う「一流ブランド品」で身のまわりを揃えた男性をどう思います?


ブランド品を使いこなしている男性、ブランド品の歴史や重みをしっかり受け止めて、ブランド品に負けていない男性は、少数ながらもいるかもしれません。

しかし多くの男性は、

「有名人が使っているから」

「高価なものだから」

「ウケがいいから」

「信用されやいすから」

「とりあえず無難で批判されにくいから」


などという理由でブランド品を使っています。



これらは「目に見えるもの」ですが、もうひとつ、「目に見えないもの」にもブランド品という考え方があります。

そのひとつが宗教です 。

「みんながやっているから」

「信者に有名人もいるから」

「昔から続いている宗教だから」


などという理由で宗教を信仰している人は、ブランドに頼り、自分で考えることをやめ、楽をしています。


あなたは「○○教の信者」ではなく、「あなた」です。

ブランド品に身を包んで安心し、喜んでいるだけでは、あなた自身は「ブランド」として自立できません。
大人になったら自分がブランドになり、あなたに着られている服や小物を輝かせ、そして周囲の人たちを愛してください。


宗教をやっていると、オリジナルブランドとして自立できなくなります。

だから、宗教をやってはいけないんです。




4:本質が見えなくなってしまうからです

あなたは彼氏のH君をふったとします。

H君はこれまでの恋愛でも何度かふられていて、今回、あなたとの恋愛を最後に結婚を考えていました。

ふられたH君は、自分の恋愛運が悪いと感じ、落ち込み、自分がふられた理由をなんとか探そうとします。


そこで、かねてから知り合いに薦められている宗教に入ることにしました。霊能力でふられた原因がわかり、悩み事が解決できると思ったんです。


教祖はH君に言いました。


「私の霊視によると、あなたの先祖に浮気が原因で苦しんだ人がいます。また、あなたに関連した先祖の水子の霊が助けを求めています。あなたの恋愛がうまくいかないのは、先祖からの警告です。まずは先祖供養が必要です、費用は5万円です」


H君は教祖の言葉を素直に信じ、5万円の費用を払い、先祖の供養をしてもらいました。

するとどうでしょう、やがて彼女ができたんです!


やりました!これはきっと供養のおかげです!・・・


・・・なんて思ってはいけません。


この理由は、ある程度簡単に説明できます。


教祖に不安を取り除いてもらった安心感や、教祖から励まされたことによる喜びや自信、さらに、お金を使ったことによる満足感と、5万円というコストを回収したい気持ちなどがH君の「力」になり、彼の表情や姿勢、積極性などが変わった結果、女性からのウケがよくなったからなんです。


H君の新しい恋愛は順調に進んでいました・・・しかし、やがて彼女は離れていきました。


H君は当然落ち込みます。


そして教祖に相談したところ、

「より深く霊視すると、さらにいくつかの先祖の霊が助けを求めている。供養には10万円かかります」

とのことでした。

H君は10万円を用意し、供養をお願いしました・・・・

するとどうでしょう、また彼女ができたんです。


やりました!これはきっと供養のおかげです!・・・


・・・なんて思ってはいけません。


この理由は、ある程度簡単に説明できます。


教祖に不安を取り除いてもらった安心感や、教祖から励まされたことによる喜びや自信、さらに、お金を使ったことによる満足感と、10万円というコストを回収したい気持ちなどがH君の「力」になり、彼の表情や姿勢、積極性などが変わった結果、女性からのウケがよくなったからなんです。



H君の新しい恋愛は順調に進んでいました・・・

しかし、やがて彼女は離れていきました。

H君は当然落ち込みます。



そして教祖に相談したところ、

「もっと深く霊視すると、さらにいくつかの先祖の霊が助けを求めている。供養には20万円かかります」

とのことでした。

H君は20万円を用意し・・・<以下くりかえし>



これはとても簡単に書いたものですが、極端に表現すれば、

宗教をやっていると、こんなことを繰り返しながら人生が進んでいきます。

やがて教祖は歳を取って死んでしまうんですから、H君は、また「よりどころ」を探すことになります。



除霊や先祖供養では、物事の本質は見えません。

実際、彼がふられ続けた理由は簡単です。

彼と肉体関係を持った女性たちが、彼の性癖やクセ、体臭などに嫌気がさしたからなんです。

除霊や供養で、彼の性癖やクセ、体臭などが改善されることはありません。

ですから、H君の悩みは宗教で消すことはできないんです。


余談ですが、「占い」や「セラピー」などの、「スピリチュアル系」「癒し」なんかもそうなんですよ。
「私はあの人に一生ついていく!」と決めた占い師やセラピストが、気まぐれで他の仕事を始めたり、結婚を機に主婦になったりして仕事を辞め、顧客は相手にされなくなることがあります。

現実に、

「彼氏ができたら仕事を辞めてもいいです、結婚までのつなぎです」

「資格も無用だし、今は仕事がないから、生活のためにやってます」

と言う占い師やセラピストも多くいます。

つまり、顧客のためではないんです。



話は戻りますが、宗教の教祖がH君に本質的な助言をしないのと同様、その宗教内の信者たちも、H君に助言をしてくれません。

他の信者は彼と同棲するわけでもありませんし、もし彼がふられる原因に気付いても、「彼を傷つけてはいけない」と心で言いながら、本質的な助言は心の中にしまったままか、もしくは、「あなたは悪くない・教祖様がいるわよ」と、全然関係ない話に終始してしまう可能性もあります。


このように、宗教をやっていると本質が見えなくなってしまうんです。

だから、宗教をやってはいけないんです。




5:トラブルの原因になるからです

宗教は、信者同士は価値観の共有ができますが、一歩外に出ると、現実社会の一般人にとって、その価値観が「違和感」になってしまう場合があります。


人間同士が自分の価値観を押し付けあうと争いになりますが、熱心な宗教信者は、「人助け」と称して、まさに自分の価値観を押し付けようとします。そこで、トラブルが発生します(マスターも、マスターの身内も、以前いろいろありました)。
価値観の押し付けは、場合によっては戦争になってしまうほど危険なことです。


平和を望む宗教が、その目的とは逆に、トラブルの原因になってしまうんです。
だから、宗教をやってはいけないんです。



◎まとめ

宗教は、人類にとってニーズがあるから存在していますが、その役割は、世の中にある「心の痛み止め」と同じものです。

つまり、宗教をやるということは、その人がストレスを抱えているということです。

一時的なものなら「宗教も必要」と言えるかもしれません。

しかし人生は、宗教をやるためにあるわけではありません。

ストレスを抱えている人ほど愛をそそげなくなり、愛をそそげなくなるということは、愛されなくなるということです。


ストレスを発散しているうちは愛をそそぐことができないので、愛されることはありません。

長く愛されるために大切なのは、ストレスの発散ではなく、ストレスを溜めない生き方をすることです。

長く愛されたいなら、心の根本的な問題を解決する必要があります。

どこも痛くなければ痛み止めを飲む必要がなくなるように、ストレスを溜めない生き方を実践することができれば、宗教という痛み止めに頼る必要はなくなります。

そして、ストレスを溜めない生き方ができれば、長く愛される人になることができます。



長く愛されている人は、「宗教者」としてではなく、「人」として愛をそそいでいます。


たとえば、

「教祖様が言うからお酒は我慢します」

「教祖様が言うから浮気は我慢します」

「教祖様が言うから奉仕活動をします」


という考えではなく、


「愛ではないからお酒を飲まない」

「愛ではないから浮気はしない」

「愛だと思うから奉仕活動をする」


と考えているんです。

見返りを求めていませんから、本人ももちろん幸せです。



神はあなた自身です。

あとはそれに気付くかどうかです。

自分が神だと気付き、宗教を超えることができたとき、あなたは長く愛されます。

・・・

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