生きる練習ってあるんですか?

(読了目安5分)

今回は、

「できないと思っていたことができるようになる」

という話です。

主に20代の若い人たちに読んでもらいたい内容です。

・・・

バイクの練習をしている後輩スタッフと話していて思い出しました。
一度書いた話ですが、以前マスターの店に体験学習に来た女子大生がいたんです。
日中、マスターが「バイクの練習に行ってくる」と彼女に伝えたところ、「バイクに練習ってあるんですか?」と質問されました。


彼女は、免許を持っている人はみんな同じレベルの技能だと思っていたようでしたが、現実は、免許を取ってからが、技能を身に付けるための本番と言えます。
マスターは「練習は、あると言えばあるよ」と答えるだけにしておきましたが、心の中では、「この子なんにも知らないんだな」と少し驚きました。
免許があれば「公道で運転してOK」ということですから、最低限の運転ができるなら、上達しようとする必要もないかもしれません。
しかしさらに練習をすることは、運転に余裕が出てきて、自分を守ることにも周囲を守ることにもなりますから、愛に近づく行為です。
バイクの他にも、自動車はもちろん、「資格を取ってからが本番」と言えるものはたくさんあります。

ですから、「バイクに練習なんてあるんですか?」という質問は、言ってみれば、「私は社会についてなにもわかっていない」「私は物事に本気で取り組んだことがない」ということを周囲に伝えてしまう行為なんです。


さて、後輩スタッフには、以前その話をしていたので、「あの女子大生の質問の話、覚えてる?」と、尋ねました。


「はい」と答えた後輩スタッフに、マスターは質問しました。


「バイクって、実際は免許を取った後に練習することになるってわかる?」


後輩スタッフは、


「はい、わかります、練習あるのみです」


と答えました。


そのとき、後輩スタッフと出会ったときのことも話しました。
出会った当時、バイクの後ろに乗ったまま「眠くてウトウトすること」や、「写真を撮ること」が不可能だと思っていた後輩スタッフは、時間を経て、現在その両方とも体験できるようになりました。
昔は不可能だと思っていたことが、何度も乗ることで徐々に慣れていき、できるようになったんです。


マスターはこれまで、バイクの後ろで寝る人を何十人も見てきましたから、「バイクの後ろで寝ることもある」ということはわかっていました。
しかし後輩スタッフにとっては未知の世界ですから、初めは「それはありえないでしょ」としか思えなかったんです。
人は、本質はどうであれ、自分の経験の範囲内でしか判断できないわけです。
また、バイクの後ろで写真が撮れるようになるということも、マスターはできるとわかっていましたが、後輩スタッフは、当初「ありえない」と思っていたようです。
「手を放すとバイクから落ちる」と信じていたわけです。


上記の話は「人生」そのものについても同じことが言えます。
マスターは毎日「愛をそそぐ練習」をしていますが、みなさんはそれを聞いて「愛をそそぐ練習なんてあるんですか?」と思うでしょうか。


愛をそそぐ練習は、もちろんあるんです。


というか、「二十歳を超えたら大人の思考が身に付き、自動的に幸せになれる」なんてありえませんからね。
人生は、命が尽きるまで愛をそそぐ練習です。
そして、それができれば、不可能だと思っていたことができるようになります。


「私は幸せになれるはずがない」と思っていても、努力を続ければ幸せになれるんです。


日々の「愛をそそぐ練習」は、バイクの練習と同じで、愛に近づくためにはとても大切なことです。
バイクの練習は、「理想の乗り方に近づくため・納得できる乗り方をするため」に続けます。
そして愛をそそぐ練習も、「理想の生き方に近づくため・納得できる人生を送るため」に続けるものです。


バイクの免許を持っているスタッフは、「バイクの練習ってあると思う?」というマスターからの質問に対して、体験学習で来た女子大生とは違い、しみじみとこう言いました。


「バイクにはもちろん練習があります。日々練習だと思います」



ですから、きっと「生きる練習ってあると思う?」という質問には、「人生にはもちろん生きる練習があります。日々練習だと思います」と答えられるはずです。


マスターは、今も「生きる練習」をしています。
そして20代のドタバタ劇を思い出しながら、今はある程度幸せに暮らしています。
これまでの経験から、人はみんな幸せになれることも知っています。
教習所を卒業してからが、バイクの練習の本番です。
人間も、成人になってからが、生きる練習の本番です。



◎まとめ


出会ったとき、
「バイクの後ろでウトウトするなんてムリ」
「バイクに乗りながら写真を撮るなんてムリ」
と言っていた後輩スタッフは、おそらく20回ほどバイクの後ろに乗ったことで、寝ることも、写真を撮ることも体験できました。
少しずつバイクの動きに慣れていき、恐怖心をなくしたり、片手を放すことに挑戦してみたりして、そんな自分に成長したわけです。


その後スタッフは、カフェ経営の修行と並行して様々なことに挑戦し、車の運転も当初よりできるようになりましたし、包丁の使い方の練習では、目を閉じて切ることもできるようになったんです。
これらも、それまでの思い込みによる誤解が解けた出来事でした。


若いころ
「幸せになるなんてムリ」
「結婚なんてムリ」
「平和な家庭なんてムリ」
「自営業なんてムリ」
などと思っていても、努力を続けたら、きっとできるようになりますよね。


もちろん「生きる練習」は、バイクや車、包丁の使い方の練習より、はるかに大きな労力と長い時間がかかります。
それを理解し、焦らず努力を続けた人たちが愛に近づけるわけです。

・・・

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