父 人生を楽しんでいる人 2
(読了目安4分)
前回に続き、マスターの父についてです。
◎結婚
父は28歳のとき、当時20歳だった母と結婚し、母が21歳のときにマスターが産まれました。
昼間は学校の教師、夜間は自分の塾を経営していて、とにかくよく働く父親でした。
父も母も恋愛経験が少なく、そのうえ母は短大を卒業してすぐに結婚したため、社会経験がない女性でした。
20歳は、長く愛されるにはまだまだ子供と言ってもいい年齢です。
28歳の社会人と、20歳の短大卒・・・若く経験不足の2人です。
この結婚の行く末、みなさんはどうなったと思いますか?(後述します)
◎子育て
父は、日曜日になるといつもどこかに遊びにつれていってくれる人でした。
よく働くだけでなく、よく遊ぶ父でもありました。
いつ寝ているのか尋ねたら、「ぼくは30秒ずつ寝貯めできるんだ」とか、「生徒に黒板の文字を写させている間に、立ったまま寝るんだよ」などと言っていました(半分冗談だと思いますが、半分は本当だと思います)。
父は教育者でしたが、「勉強はしたくないならしなくていい」というスタンスでした。
逆に母は「勉強しなさい」というスタンスで、価値観の違いが夫婦仲を壊していったのは間違いないと思います。
「価値観の違い」が子育てに影響し、マスターとしては「板ばさみ感」がありましたが、マスターは父の言うことを支持していました。
それは、自分にとって「楽・やりたいことをやれる」という理由からです。
父は、「なにかあったらぼくが責任を取るから、君はやりたいことをやりなさい」と日ごろから言い、実際、マスターが17歳の時にバイクで事故を起こしたとき、裁判所に行くのを嫌がる母に代わり、保護者として同行してくれたことがありました。
マスターが20歳のとき、「マスターのことを好きでいてくれる女性」と「マスターが好きな女性」、この2人と同時に付き合うことに限界を感じたマスターは、父に「人は愛して生きればいいのか、愛されて生きればいいのか」と質問しました。
(二股かけていることは言いませんでしたが)
父からの返事はもちろん「愛して生きなさい」です。
しかし父の言葉を理解するのに、それから10年以上かかりました。
この30年間で、ネパールでNGO活動をする父からから届いた手紙は、1000通を超えました。
その手紙には、「愛すること」についての学びがたくさんありました。
マスターが難病の痛みに苦しんでいるときは、父からの手紙と、ネパールでの父の生き方がマスターを救ってくれました。
父は、人を直接励ますのではなく、「生き方」で励ますタイプだと思います。
◎離婚
両親は結婚21年目で離婚しています。
(マスターも現在結婚して21年目です)
28歳と20歳の結婚・・・
28歳の父も若く、まだまだ「愛する力」が足りなかったはずですし、母はさらに若く、愛を求めるだけの生活だったはずです。
「仕事で忙しい夫と寂しい妻」という関係が続き、いろいろあったようでした。
マスターが20歳になったある日のことでした。
大学生活でひとり暮らしだったマスターに、こんな手紙が届きました。
お父さんとお母さんは、どうにかやり直そうと努力したんですが、やっぱり離婚しかないようです、許してください。
離婚しても、君にとってお母さんはお母さんです。
なにかあったら助けてあげてください。
恋愛経験の少なかった父にとって、社会経験のない若い妻が相手では、どうがんばっても力が足りなかったんだと思います。
マスターが成人するまでの20年間はがんばったみたいですが、結局は離婚でした。
やっぱり「長く愛される」というのは難しいんですね。
離婚・・・マスターだったら寂しくてすぐに再婚するかもしれませんが、父は違ったんです。
妻と別れて独身になった父は、その後「再婚」という形を選ばず、違った形で愛をそそぐ道を選びました・・・それがネパールの山奥での生活でした。
与えることはもらうこと
相手の喜びは自分の喜び
100円で救える命がある
命のはかなさ
自分の小ささ
こんなことが、ネパールで再認識できたそうです。
今回は以上です。
次回、「そしてネパールへ」と題して、父のNGO活動の様子を写真つきで書こうと思います。
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