こだわりの天然酵母パンはおいしいの?

(読了目安9分)

今回は「パン」の話です。
最後は「人は心で食べている」ということを書きますので、できれば最後までお付き合いください。

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たとえば銀座に、個人経営の小規模なパン屋「S屋」があるとします。

「手作り天然酵母パン」

「機械ではなく心をこめて手でこねました」

「こだわりの製法」

「手作り窯でひとつひとつ丹念に焼き上げたパン」

「天然酵母によるほどよい酸味」

「食べごたえのあるしっかりしたパン」

「有機農法の材料にこだわりました」


こんなうたい文句でパンを販売し、ひとつ1000円で売っているとします。


そしてこのパンを「すごくおいしい!」と、毎週買っている女性Aさんがいるとします。
Aさんは、友達の家で女子会をするとき、おみやげにそのパンを買いました。
みんなで食べたところ、友達は「おいしい!」と喜んでくれました。


「おいしい!」

という意見のほかにも、

「でも高いんでしょ?もっと安かったら毎日食べるのに」

「高いからおいしいのは当たり前、でも庶民には買えないわよねえ」

という意見が出ましたが、さて、これらの意見は本心だと思いますか?


たとえば日本最大手のヤマザキパンの研究室が本気になれば、Aさんが「おいしい!」と言っているパンを作ることは可能です。
大量生産すればコストを下げることも可能です。
しかしヤマザキパンはそのパンを作っていません。


なぜかわかりますか?


そう、


「売れないから」です。


売れない理由は「あまりおいしくないから」です。


ヤマザキパンには、S屋と同じパンを作る技術はあるんです。
しかしたくさん売れないことがわかっているので作りません。
仮にS屋のパンの支持者が1000人、ヤマザキパンの支持者が100万人いるとして、S屋のパンの支持者はヤマザキパンの千分の一です。
コスト的に考え、ごく少数の意見を満たすために会社全体が動くことはできず、そこの部分のニーズは小さな店に任せてしまった方がいい場合があるわけです。
「たくさん売れない」ということは、大きな社会貢献ができないということ、そして社員を養っていくことができないということです。
ですからヤマザキパンはS屋と同じパンを作りません。
1000人を喜ばすより、100万人を喜ばす方が重要なんです。


逆にS屋としては、ヤマザキパンと同じことをしていたらコストがかかり、同じ価格で対抗できません。
ですからパン屋として経営を続けるためには、大手と「差別化」をする必要があり、大手がやっていないことをやるわけです。


以下、S屋のうたい文句の裏事情について本質を書いてみます。

「手作り天然酵母パン」
天然酵母という言葉に対する解釈の幅や規制の甘さがあるため、「天然」という言葉を使い、「身体によい」というイメージを前面に出していますが、これは、調べるほどおかしな単語だとわかります。
まるで大手のパンが、「機械作り人工酵母パン」と言っているように感じますが、人工酵母は今のところ開発されていません。
パンに使われるのは、どれももともと天然で、選別され培養された酵母です。


「機械ではなく心をこめて手でこねました」
手の汗や皮脂、雑菌がパンに入ってしまうため不衛生です。
人件費がかかり、パンの価格が上がってしまいます。


「こだわりの製法」
作業工程や機械の衛生、研究費や時間のコストなど、大手の方がこだわりが多いです。
脱酸素剤や窒素充填などの技術は、酸化を防ぐこだわりです。
小規模のパン屋では、空気に触れたまま店頭に並べたり、大手工場と比べ、衛生的に劣る工場や売り場でビニール袋に入れられています。


「手作り窯でひとつひとつ丹念に焼き上げたパン」
手作りの窯ではパンの品質が不安定になるため、同じ味を提供できません。
焼きに失敗する可能性も上がり、コストも増えて価格に上乗せされてしまいます。


「天然酵母によるほどよい酸味と香り」
人類のパン作りの歴史は、「パンから酸味を取り除く歴史」とも言えますが、酵母の研究が進み、酸味があるパンが少なくなった現在、あえて酸味を強調することが付加価値だと考える人もいます。
また、「普通のパンに飽きた」と考える人にとって酸味は刺激的かもしれませんが、今後30年間毎日食べ続けるかどうかは別の話です。


「食べごたえのあるしっかりしたパン」
人類のパン作りの歴史は、いかにして「ふわふわ・もっちり」を実現するかです。
酸味と同様、研究の結果「ふわふわ・もっちり」が実現すると、硬いパンを食べたいと感じる人もいますが、今後30年毎日となると、人類は「ふわふわ・もっちり」を好む傾向があります。


「有機農法の食材にこだわりました」
「有機農法の食材は高価だが身体に良くておいしい」と信じている人がいるため、この言葉だけでパンの価格を上げることができます。


小規模のパン屋や、その店のパンを気に入っている人たちから、業界最大手の「ヤマザキパン」が露骨に攻撃されることがありますが、ヤマザキパンはその人たちに反撃することはありません。
その理由は、小規模のパン屋は反撃するに値しないほど小さな存在だからです。


ヤマザキパンの支持率が高いのは、結局「コスパ」がいいんです。
簡単に言えば「安くておいしいパン」なんです。
S屋の常連のAさんは「S屋のパンはこんなにおいしいのになんで?」と思うかもしれませんが、それはAさんの味覚が少数派なのか、初めに書いたように、S屋のうたい文句に価値を見出しているからです。



そしてAさんの友達の言葉についてですが、

「でも高いんでしょ?もっと安かったら毎日食べるのに」

という言葉の本質は、「値段の割においしくないから私は個人的には買わない」または、自分からすすんで買わないための理由です。


「高いからおいしいのは当たり前でしょ、庶民には買えないわよ」

というのは、高価なものはおいしいと信じているだけで、半額以下で全く同じ味のものがあったとしても、「やっぱり安いものはおいしくないわね」と言ってしまうタイプです。
極論すれば、同じコーヒーでも、一杯30円より500円の方がおいしく感じる心理です。
S屋のパンは、ヤマザキパンと比較して高価で、人類全体から見れば支持率が低いものです。
人類は、ヤマザキパンのパンを求めて進化を続けてきましたから、ヤマザキパンとS屋のパンを比較すると、以下のようになります。

「スマホに対して黒電話」

「戸建て住宅に対して洞窟」

「ステンレス包丁に対して石器」

しかし後者のようなパンを「おいしい」と言って食べる人もいます。
その理由は以下のようにいくつかあります。

以下太文字は、人の「心」が大きく関わっていることがわかると思います。

「大企業が作ったものは身体に悪いものに決まっている」

「私はみんなと違う、一般庶民が食べているものは食べないわよ」

「こだわりのあるものの方がおいしいに決まってる」

「高価なものだからおいしいに違いない」

「天然や有機はヘルシーなイメージがあるし」


しかし、もしS屋のパンを食べている人が、太っていて元気がなかったら不思議ですよね。
また、もしS屋が、自社のこだわりのものだけではなく、ヤマザキパンの商品に似たものを、店の一角で売っていたら、これも不思議な話です。
これは従来の農法を否定する人が有機農法の良さをアピールしつつ、従来の農法の野菜を売るというのと同じです。
「お客様の多様なニーズに応える」という理由でなんでも売り、自分のポリシーよりも、お金を稼ぐことが目的になってしまいます。
さらに、もしS屋の社長がお酒やタバコをやっていたら、S屋のこだわりはいったいなんなんでしょうか・・・・


さて、話は根本的な部分に戻ります。
ヤマザキパンのパンは、トータルで支持者が圧倒的に多く、品質は安定し、おいしく、安価で、衛生的で、身体にも安全なものです。
以前問題とされた臭素酸カリウムも、技術の発展と研究の成果によって現在は使われていません。


一方、S屋のパンは、支持者が少なく高価なパンです。
焼いた後の衛生状態はヤマザキパンの足元にも及びません。
人間は、おいしくて安く、安全なものを手に入れようとしますが、S屋のパンを食べるAさんは、それと逆のことをしているようにも感じます。


それはなぜか・・・


人は、「心」で食べているからなんです。


「人・情報・うたい文句」などを信じ、本質を見ていないと言ってもいいのかもしれません。
Aさんの場合は、大手企業に対する嫌悪感や不安感に加え、S屋のオーナーの「〇〇で何年修行・フランス留学経験あり」のような肩書や、「こだわりのパン」という言葉を信じたい気持ちが強いのかもしれません。
「高価なパン」から幸せをもらいたいのかもしれません。
しかしそれらは、本質を知っている人から見れば、「無知による妄信」である部分がほとんどなんです。


ちなみにマスターは、ここ10年ほどは、パナソニック製のホームベーカリーで焼いたパンを食べています。
焼きたて数分後には食卓に出しますが、フワフワのモチモチで、とてもおいしいパンです。
そして原価はひとつ100円前後で、4~5人分の食事になります。
仕込みは3分で完了し、節約した時間でいろいろな勉強ができ、もちろんこのnoteも書けます。
もしマスターが小麦粉の栽培から製粉、酵母の採取、塩作り、砂糖作り、バター作り、窯作り、薪作りなど、全部手作りでやっていたら、それだけで人生が終わってしまいます。
品質が安定しないパンひとつの値段がいくらになるんでしょうか。



◎まとめ


ここから大切なことです。
今回の本題と言ってもいいかもしれません。
本質的なことから目をそらす妄信者は長く愛されることはありませんが、「人は心で食べている」ということがわかれば、同じものでも、おいしく食べてもらうことができるとわかるはずです。

「元気がないあなたが自信なさげに出す料理」

「笑顔のあなたが自信ありげに出す料理」

この両者では、後者の方がきっと周囲はおいしく感じるはずです。


太って不潔で否定的なことばかり言い、汗臭い悪臭を放つ人が出す料理と、スリムで清潔で前向きなことを言い、かすかな香水をつけた人が出す料理では、やはり後者がおいしいんです。
前者が元ホテルの料理長だとしても、誰もその料理を食べたいと思いません。


話は戻りますが、小規模店が売る「こだわりの天然酵母パン」は、食べる人の考え方によっておいしくなるのは事実です。
しかしそれは本当の意味で言う絶対的なおいしさではなく、そのパンにある背景を知ることによって湧き上がる「おいしいと信じたい心」がおいしくしているということを忘れないでください。


極論すると、

「ヤマザキパンなんかまずくて食べられない」

という若い女性もいると思いますが、これもおそらく「まずいと信じたい心」がまずくしています。
ですからあこがれの男性から、「僕の手作りだよ」と言ってヤマザキパンを出されたら、「おいしい!」と言うかもしれません。


おいしいと信じたい気持ちになる理由はなんなのか、まずいと信じたい気持ちになる理由はなんなのか、そこが、自分の中の愛に近づく大切なポイントです。


※よかったら「Amazonとヤマザキパンの話」も参考にしてください

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