「雨女」がいる理由

(読了目安6分)

今回の投稿は、「雨女」がいる理由についてです。

ここで書く「雨女」とは、「私が行くところは必ず雨になる!私は雨女!」と言う女性のことです。
ただし、「必ず」と書くと大げさなので、「90%以上の確率で雨が降る」・・・この程度で考えてみてください。



では質問です。
「雨女」は、実際にいると思いますか?

答えは、もちろんいません。
もし「雨女」がいたら、ダムは干上がりませんし、干ばつで苦しむ地域もなくなります。

ではなぜ、「雨女」という言葉がなくならないんでしょうか。
理由は、人は自分が望む天気の逆になると、そのときのことを強く記憶する傾向があるからです。


たとえばマスターは、16歳から20歳ぐらいまで自分は雨男だと信じていました・・・


バイクでツーリングの予定の日になると、いつも雨が降って中止になる気がしていましたし、晴れてツーリングに出かけても、途中で雨が降ってくることばかりだった気がしていました。


そして、洗車をすると、次の日に雨が降ってがっかり・・・なんていう体験もたくさんしました。


しかし現実は、マスターは雨男ではなかったんです。
大人になってから気付いたんですが、「自分は雨男説」は、「偶然」や「誤認」が原因でした。


まずなんと言っても、天気は人間を中心に決まっているわけではありませんよね。
天気をコントロールする力など今の人間にはなく、その天気のときに、人間がどう感じるか、どう認識するかの問題です。


マスターの場合、「洗車をすると雨が降る」という印象が強かったですが、雨が降る前の日になると、洗車をしたくなったのかもしれません。
「雨が降る前の日」と言うよりは、晴れが続いて車がホコリっぽくなってきたから洗車をしたくなった、ということかもしれません。
それまで晴れが続いていたわけですから、確率的に見て、洗車をした翌日が雨になってもおかしくないということです。
天気の統計で言えば、日本では週に2回(7分の2)は雨が降ります。
洗車直後は雨が降ってほしくない気持ちが強く、7分の2の確率で雨が降ったとしても、いつも雨が降るという記憶になって残るのかもしれません。


ということで、マスターが雨男になった理由は、「晴れてほしい」という願望が強いあまり、雨の記憶が強く記憶された上、人生経験の少なさから、自分の無知にも気づいていなかったからなんです。


「いいえちょっと待って!私だけは間違いなく雨女です」

「私が出かけるとほぼ100%雨になるんです!私こそ本物の雨女です」



という女性はいますか?
もし本当にそんな人がいたら、確実に社会貢献できます。
たとえば農地に行けばいいんです。
雨が降らなくて困っている地域に行き、雨を降らせるというのはどうでしょうか。
また、ダムが干上がりそうな地域で近隣住民の死活問題になっているときも、雨を降らせてあげれば関係者は喜ぶはずです。


・・・しかし


いざ仕事にしようとすると、たとえ「私は雨女」と信じている人でも、自分が天気をコントロールできないことに気づきます。


それは、
「雨を降らす力が急になくなった」
ということではなく、
「本当のことに気づいた」
ということなんです。


どの分野でも、「本当のことに気づく」というのは、大切なことです。
人は、自分が使う言葉で他人を引き寄せたり遠ざけたりしますから、良好な人間関係の構築には大人の思考が必要です。
軽はずみに「雨女」という言葉を使うと、それなりの人間関係、つまり子供の思考の人間関係になっていきます。
子供の思考では、表面的な人間関係を繰り返すだけの人生が続きます。
本当のことに気づけば、その後の自分の言葉が「大人の言葉」に変わり、人間関係も、大人の人間関係になっていきます。


たとえば、


現代人にアレルギーが増えたのは、人が弱くなったからではなく、検知する機械の感度が上がったから。

食品から発がん性物質がたくさん検出されるのも、食品の毒性が増えたのではなく、検知する機械の感度が上がったから。

現代人の死因にガンが増えたのは、生活習慣や食べ物のせいではなく、医学が進歩したから(他の病気が治るようになったから・昔の人間はガンになる前に死んでいたから・平均寿命は延びている)。


こんなことを理解できるようになれば、使う言葉が変わっていき、「大人の思考の人・知恵のある人・愛を理解している人・幸せに暮らしている人」たちとの出会いが増えていきます。


◎まとめ


現代、科学技術を使って雨を降らせる実験は進んでいますが、生身の人間で、天気のコントロールを商売にしている人はいません。
このことが、「雨女」がいないことを証明しています。

では、それでもなぜ「雨女」がいるのか・・・
それは、人間がまだまだ未熟だからです。


みなさんにできることは、「雨女」という言葉を耳にしたとき、人間の未熟さを思い出して自戒することです。
人間が未熟だということを信じることができれば、自分にも他人にも寛容になれ、結局のところ、ストレスから解放され、人は本来の力を発揮できるようになります。
人が本来の力を発揮できるということは、愛をそそぐことができるということです。
愛をそそぐことができるということは・・・そう、愛されるということです。


今回は「雨女」という、ある意味「どうでもいいこと」がテーマではあります。
しかし「大切なこと」を誤認している大人も多くいますので、これから少しずつ書いていこうと思います。


余談:
世の中には「晴れ女」もいます。
行く場所が必ず晴れるなら、野外コンサートやロケットの打ち上げ、台風の接近などのときに活躍できそうですが、やはり確率通りのことが起こります。

・・・

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