人間関係・恋愛・仕事の短編集 3

(読了目安7分)

◎叱られるということ


たとえばあなたが仕事に「遅刻」をして叱られたとき、相手に対して「こいつ、いちいち時間にうるさいよなあ、少しぐらいいいだろう」と考えるか、「全体の足を引っ張ってしまった、申し訳ない、気をつけよう」と考えるかで、人生が変わります。
もちろん後者が知恵に近づく考え方です。


また、叱られることがないと、なかなか自分を改善することができませんから、叱られるということは、成長するチャンスをもらえたということでもあるんです。
もし誰からも叱られないなら、それは「完璧な仕事をしているから」ではなく、「子ども扱いされている・あきらめられている・無視されている」、という可能性があるわけです。


それから、「サービス残業してる私がなんで叱られるわけ?」「私、なんにもしてないじゃん、もっとひどいことしてる人いるじゃん」「そのミス、そもそも私じゃないから」「聞いてないし」、こんなふうに思うこともあるかもしれません。


しかし、あなたが叱られることでその場がうまく機能するなら、叱られることも仕事のうちだと思ってそのお叱りを受けることも大切です。
顧客へのサービスや、総合的な判断を優先した結果、理不尽な責任の取り方を強いられることはありえます(解雇されたり給料が減ったりするようなことがあれば、会社の不法行為を追求してもいいと思います)。


叱られたときこそ自分を見返るいいチャンスです。
叱られることで、自分が叱る側になったとき、愛をこめて叱る方法を覚えるチャンスでもあります。
叱る側の気持ちがわかったとき、「叱られる」ということの意味も変わります。


せっかく叱られるなら、それを利用して自分を成長させてください。
大変なときもあると思いますが、マスターが応援しています。


◎職場の雰囲気 


職場に10人のスタッフがいたとします。
その職場がいつも「ため息」「怒りの言葉」「批判」「否定」に包まれていたら、働く気が徐々になくなっていきませんか?
しかしその逆で、いつもみんなが明るい雰囲気で楽しんでいたら、出社するのが楽しみになりませんか?


職場のスタッフは、大きく分けて、その場の雰囲気を上げる人と下げる人にわかれます。


さて、みなさんは職場の雰囲気を上げる人でしょうか?下げる人でしょうか?
また、もし選べるなら、雰囲気を上げる人、下げる人、どっちになりたいですか?


一人一人が職場の雰囲気を上げる人になる努力をすることで、仕事そのものが楽しくなります。
人間は完璧ではありませんから、調子が悪いときもあります。
しかし、10人中9人がため息をついている職場より、10人中9人が元気な職場なら、きっと楽しい職場になるはずです。


長く愛されるのは、職場の雰囲気を上げる人です。
すぐには不可能かもしれませんが、みなさんはいつかそんな人になってくださいね。



◎お金をもらって人生の練習


「組織」に所属して働くということは、お金をもらっていろいろな練習ができるということです。
「人生」という大きな流れで考えた場合、たとえば、「お金をもらいながら謝る練習ができること」が組織にいることの代表的なメリットかもしれません。
また、定時に行動する練習、精神力を鍛える練習、知恵を身につける練習、仮眠を取らずに行動する練習、一時的な激務に耐える練習、矛盾に耐える練習などもできます。
全てお金をもらいながらできるんです。


これらはやがて、将来みなさんが目指しているであろう「結婚」や「子育て」の練習につながり、それが平和な家庭につながり、長く愛されるための大きな力になります。


仮に「子育て」を考えた場合、社会に出たことがある人には比較的楽に感じることであっても、社会に出たことがない人にとっては、「ぶっつけ本番」の状態なので、苦労が多くなります。
組織で働くということは、人間として愛をそそぐ人生を送るための練習だと思えば、ストレスも半減します。


お金をもらって人生の練習ができるわけですから、ありがたいことかもしれません。


◎人生の責任者


あなたが雇用されている立場なら、職場には「現場責任者」がいると思います。
ですからあなたがミスをしても、対外的には現場責任者や社長などが責任をとってくれます。


能力のある責任者ほど、それまでの多くの経験から、あなたの実力を洞察して指示をくれます。
あなたの状況を把握して、能力を引き出すための助言や指示をくれるんです。


また、もしあなたが仕事がイヤになって会社を辞めても、すぐに代行者を立てますから、組織の状態が大きく傾くこともありません。


「責任を取らなくていい、能力を引き出してくれる、辞職してもオッケー」・・・
そう考えると、「職場(社会)」は甘い環境だと言えます。


では、「人生」はどうでしょうか。
あなたの人生の責任者は誰でしょう。
あなたが未成年なら「親」と答えても一理あるかもしれません。


しかし、大人になったら、人生の責任者は「自分自身」です。


大人になってしまったら、自分のミスの責任を取るのは自分です。
自分の能力を見極め、自分に指示を出すのも自分です。
イヤになっても、気軽に人生を辞めることはできません(どうか親よりは長く生きてください)。


人生の責任者は自分自身ですが、そのかわり、誰の指示にも従う必要はなくなります。
仕事をするもしないも自由、彼氏を作るも作らないも自由です。
自分の人生に責任を負うかわり、あなたの判断で自由に生きていくことができるわけです。
ですから、いまあなたが成人なら、その環境は、あなたがあなたの意思で選んだ環境だと言えます。
今の仕事も、恋人も、人間関係も、全部あなたが選んだものです。
「私の場合は違う、私は大きな力に従わされた」と感じている人もいるかもしれませんが、大きな力に従うことを選んだのもあなたです。
もし今が不満なら、その状況を変えるために必要な努力を「する」か「しない」か選べるんです。


あなたの人生の責任者は、あなた自身だということを忘れないでください。
他人はあなたの人生の責任を取ってくれませんから、「私はやりたいようにやるけど失敗の責任は取らない」と考えると、生きていくことが困難になります。


◎陰気な25歳と陽気な60歳はどっちが魅力的か



人の性格を「陰気・陽気」で単純に判断できるはずはありませんが、以下、「傾向」として考えてみてください。


・いつも下を向き、あいさつも小さな声、目を見て話さない陰気な25歳の女性

・いつも元気で動きも軽く、受け答えもしっかりできる陽気な60歳の女性


どっちの女性に人が集まるでしょうか。
多くの場合、おそらく後者の「陽気な60歳」に人が集まると想像できると思います。
それは、陽気な人は、多くの場合、「愛の発信源」だからです。


「愛」の発信源には人が集まりますよね。
ですから、人が集まらない「陰気」というのは「愛」ではないんです。
愛ではないということは、つまり知恵でもなく、長く愛する力でもないということです。
「若さ」はただそれだけで価値のあるものですが、「愛を発信できるかどうか」の方が、幸せな人生にとって、より大切だということがわかると思います。


では、陰気な25歳の女性に近づいてくる男性は、どんな人でしょう?
可能性が高いのは、「陰気な、年上男性」です。
人は同じ価値観の人と一緒にいようとしますから、陰気な人には陰気を「よし」とする人が近づいてきます。
そして陰気な男性は同年代から相手にされませんから、自分より若い女性を相手にしなければ、大人として尊敬してもらえません。
陰気な25歳の女性には、必然的に、「陰気な年上」の男性、つまり、長く愛する実力がない男性が近づいてくることになります。


「イイ男がいない・どうも男に縁がない」と感じるなら、「陰気・陽気」をキーワードにその理由を考えると、なにかのきっかけになると思います。


では逆に、「愛を発信できる25歳」と、「愛を発信できない60歳」なら・・・
これはもう、圧倒的に「愛を発信できる25歳の女性」に人が集まります。
また、両者に愛を発信する力があるなら、若い女性に人は集まり、両者に愛を発信する力がないなら、やはり若い女性に人は集まります。
同じ条件なら、人は若い女性に集まるということです。
しかし、初めに書いたように、陰気と陽気なら、年齢を超えて「陽気な女性」に人は集まります。


肉体的な魅力は30歳ごろをピークに衰えるかもしれませんが、人間的な魅力は30歳を過ぎても衰えることはなく、むしろそこからが本番です。
人間的な魅力は、若さと引き換えに磨かれていく場合がほとんどですから、30歳を過ぎてから、人間的な魅力が出てくるんです。
歳をとるということは、それだけ魅力的な人間に近づけるということでもあるわけです。

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